平曲と平家語り(平家物語の成立と琵琶法師たち)

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平家物語は、中世から近世にかけて、琵琶法師と呼ばれる盲僧たちによって、全国津々浦々に語り歩かれた。この国の口承文芸の中でも、とりわけて大きな流れをなしてきたものであり、能をはじめほかの文芸に及ぼした影響も計り知れないものがあった。また、口承の文芸というにとどまらず、読み物の形でも広く受容された。いわば、この国の民族的叙事詩ともいうべきものなのである。

平家物語の成立については、徒然草第二百二十六段の記しているところが、最も早く、かつ詳しいものとして知られている。

「後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御論義の番にめされて、七徳の舞をふたつ忘れたりければ、五徳の冠者と異名をつきにけるを、心うき事にして、学問をすてゝ遁世したりけるを、慈鎮和尚、一芸ある者をば、下部までもめしをきて、不便にせさせ給ければ、此信濃入道を扶持し給けり。此行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教てかたらせけり。さて、山門のことをことにゆゝしくかけり。九郎判官の事はくはしく知て書のせたり。蒲冠者の事はよくしらざりけるにや、おほくのことゞもをしるしもらせり。武士の事、弓馬の業は、生仏、東国のものにて、武士に問聞てかゝせけり。彼生仏が生れつきの声を、今の琵琶法師は学びたる也。」

この記述によれば、平家物語の原型が成立したのは、承久年間、平家が壇ノ浦で滅びた寿永四年(1185)から、ほぼ30年たった頃、源平の戦の記憶がまだ覚めやらぬ時期である。

作者とされる行長については、諸説あるが、その者が剃髪して比叡山に入った後、天台座主慈鎮和尚の扶持を受けながら平家物語を作り、盲僧の生仏に語らせたのが始まりだとしている。

当時の比叡山は、源平の戦乱の後の世にあって、多くの遁世者が身を寄せる所であった。行長もそんな者のひとりとして、まだ記憶に新しい源平の戦について、ほかの遁世者に尋ねるなどしながら、物語を書いたものと思われる。

重要なのは、この物語を盲僧に語らせたという点である。むしろ、盲僧に語らせることを念頭において作ったのではないかとも、思われるのである。

盲僧が琵琶を弾くようになるのは、任明天皇の子人康親王が盲目となり、ほかの盲僧にも琵琶を教えるようになって以来といわれている。鎌倉時代初期には、そのような琵琶法師が多数存在していた。生仏もそのような琵琶法師の一人だったと思われる。琵琶法師の中には、乞食同然の者もいて、語り物を語って諸国を漂泊していたとも考えられるのであるが、盲官という官職を授けられて、詩歌管弦をこととする者もいたのである。生仏はそのような盲官であったと思われる。

このように、平家物語は語られる物語として作られた。平家物語という名称自体、徳川時代以降に定着したものであり、当初は単に平家と呼び、その語りを平曲ともいっていたのである。そして、平曲を語る者を平家語りというようになったのであった。

語った盲僧たちは比叡山ゆかりの琵琶法師たちであったから、その語り方には、天台声明の響きがあった。同じく声明を取り入れたものに、安居院派の唱導や説教などがあるが、両者は親縁関係にあったものと思われる。

平曲に用いられた琵琶は、独特なものだったらしい。漂泊する乞食僧たちは、笹琵琶とよばれる比較的単純な琵琶を使っていたことがわかっており、また、一方では雅楽に用いられる伝統的な楽琵琶というものがあった。平曲用の琵琶は、それらを折衷させたものだったらしい。

生仏のあと、平曲は後継の琵琶法師たちによって語り継がれ、また修正を加えられて次第に大部のものになっていく。三巻だったとされる原型の物語は、13世紀半ばには十二巻にまで膨らんだ。

平曲を語る琵琶法師たちは、乞食法師たちとは異なる扱いを受け、社会的にも認知されていた。彼らは、検校、別当、勾当、座頭からなる身分組織をつくり、強い団結を誇ったといわれる。盲僧には世襲の権威というものはないので、自分たちの実力を示すことで、その存在価値を社会に認めさせたのであった。


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