弱法師:盲目の乞食と四天王寺

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能「弱法師(よろぼし)」は、難波の四天王寺を舞台にして、盲目の乞食俊徳丸と、故あって俊徳丸を捨てた父親との、再会と和解を描いた作品である。

同じ題材を取り上げた説経の作品に「しんとく丸」がある。説経では、しんとく丸が父親によって捨てられた理由が詳しく描かれている。継母が我が子可愛さに、しんとく丸を貶めようとして呪いをかけ、その身をらい病病みにしてしまうのである。絶望したしんとく丸は、諸国を流浪した挙句に天王寺に隠れ場を求めるが、最後には恋人の愛によって救われる。

能では、父親はさる人の讒言によって我が子を捨てたことになっている。しかも主人公は盲目とだけされていて、らい病のことには触れていない。

弱法師を書いたのは、世阿弥の長男観世元雅であるが、おそらく元雅も説教の作者も、四天王寺に古くから伝わっていた話をもとに、それぞれ別々に作ったのだろうと思われる。もともとの話は、四天王寺にアジールを求めた乞丐人たちに伝わっていたらしいから、説経のほうが原型に近いのではないか。

説経が人間の業と情念を描いて、おどろおどろしい雰囲気に満ちているのに対して、この作品は俊徳丸の悲惨な運命にはあまりこだわっていない。むしろ、親子の再会をさらりと描くことで、ハッピーエンドにしているところなど、明るい雰囲気もある。比較的人気曲であり、謡曲としても人気が高い。

舞台にはまず俊徳丸の父、左衛門の尉通俊がワキツレを伴って登場する。このワキツレは狂言方が勤めるのが普通である。(以下、テキストは「半魚文庫」を活用)

ワキ詞「かやうに候ふ者は。河内の国高安の里に。左衛門の尉通俊と申す者にて候。さても某子を一人持ちて候ふを。さる人の讒言により暮に追ひ失ひて候。余りに不便に候ふ程に。二世安楽のため天王寺にて。一七日施行を引き候。今日も施行を引かばやと存じ候。
狂言シカジカ。

シテの弱法師は、弱法師面とよばれるこの曲特有の盲目面を被り、黒頭の髪を振りかざして、いかにも異形の様子。手には普通より長い杖を持ち、手探りしながら舞台前面に進み、して柱を鳥居に見立てて、「石の鳥居こゝなれや」と、杖を当てる。この曲最初の見所とされている。

シテ一セイ「出入の。月を見ざれば明暮の。夜の境をえぞ知らぬ。難波の海の底ひなく。深きおもひを。人や知る。
サシ一セイ「それ鴛鴦の衾の下には。立ち去る思を悲み。比目の枕の上には波を隔つる愁あり。いはんや心あり顔なる人間有為の身となりて。憂き年月の流れては。妹背の山の中に落つる。吉野の川のよしや世と思ひもはてぬ心かな。あさましや前世に誰をか厭ひけん。今又人の讒言により。不孝の罪に沈む故。思の涙かき曇り。盲目とさへなり果てゝ。生をもかへぬ此世より。中有の道に迷ふなり。
下歌「本よりも心の闇は有りぬべし。
上歌「伝へ聞く。彼一行の果羅の旅。彼一行の果羅の旅。闇穴道の巷にも。九曜の曼陀羅の光明。赫奕として行末を照らし給ひけるとかや。今も末世と言ひながら。さすが名に負ふ此寺の。仏法最初の天王寺の石の鳥居こゝなれや。立ち寄りて拝まんいざ立ち寄りて拝まん。

弱法師の姿を見た通俊は、進み出て弱法師に施行を授ける。折から春も彼岸の中日、梅の花が咲き乱れ、散った花が弱法師の袖にまとわる。

ワキカヽル「頃はきさらぎ時正の日。誠に時も長閑なる。日を得てあまねき貴賎の場に。施行をなして勧めけり。
シテ詞「げにありがたき御利益。法界無辺の御慈悲ぞと。踵をついで群集する。
ワキ「や。これに出でたる乞丐人は。いかさま例の弱法師よな。
シテ「又われらに名を付けて。皆弱法師と仰あるぞや。げにも此身は盲目の。足弱車の片輪ながら。よろめきありけば弱法師と。名づけ給ふはことわりなり。
ワキ詞「げに言ひ捨つる言の葉までも。心ありげに聞ゆるぞや。まづ/\施行を受け給へ。
シテ「あらありがたや候。や。花の香の聞え候。いかさま木の花散り方になり候ふな。
ワキ「おうこれなる籬の梅の花が。弱法師が袖に散りかゝるぞとよ。
シテ「憂たてやな難波津の春ならば。唯木の花とこそ仰あるべきに。今は春辺もなかばぞかし。梅花を折つて頭に挿しはさまざれども。二月の雪は衣に落つ。あら面白の花の匂やな。
ワキ「げにこの花を袖に受くれば。花もさながら施行ぞとよ。
シテ詞「なか/\の言。草木国土。悉皆御法も施行なれば。
ワキ「皆成仏の大慈悲に。
シテ「漏れじと施行に連なりて。
ワキ「手を合せて。
シテ「袖を広げて。
上歌地「花をさへ。受くる施行のいろ/\に。受くる施行のいろ/\に。匂ひ来にけり梅衣の。春なれや。何はの事か法ならぬ。遊び戯れ舞ひ謡ふ。誓ひの網には漏るまじき。難波の海ぞ頼もしき。げにや盲亀のわれらまで。見る心地する梅が枝の。花の春の長閑けさは。難波の法によも漏れじ。難波の法によも漏れじ。

クセの部分は、世阿弥の作詞作曲になるものといわれており、天王寺の縁起物語である。もともと独立した曲舞として作ったものを、この曲に取り入れたらしい。居グセの形をとっており、シテは腰掛けたまま謡う。

クリ「それ仏日西天の雲に隠れ。慈尊の出世遥に。三会の暁未だなり。
シテ「然るに此中間に於て。なにと心を延ばへまし。
地「こゝによつて上宮太子。国家を改め万民を教へ。仏法流布の世となして。普く恵を弘め給ふ。
シテ「然れば当寺を御建立あつて。
地「始めて僧尼の姿を顕し。四天王寺と名づけ給ふ。
クセ「金堂の御本尊は。如意輪の仏像。救世観音とも申すとか。太子の御前生。震旦国の思禅師にて。渡らせ給ふゆゑなり。出離の仏像に応じつゝ。いま日域に至るまで。仏法最初の御本尊と。あらはれ給ふ御威光の。真なるかなや。末世相応の御誓。然るに当寺の仏閣の。御作の品々も。赤栴檀の霊木にて。塔婆の金宝にいたるまで。閻浮檀金なるとかや。
シテ「万代に。澄める亀井の水までも。
地「水上清き西天の。無熱池の。池水を受けつぎて。流久しき世世までも五濁の人間を導きて。済度の舟をも寄するなる。難波の寺の鐘の声。異浦々に響き来て。普き誓満潮の。おし照る海山も。皆成仏の姿なり。

弱法師が我が子と気づいた通俊はすぐにも名乗ろうとする気持を抑え、日が暮れて暗くなったら名乗ろうと、それまでの間、弱法師に日想観を拝むように勧める。日想観とは、天王寺の西門から極楽の方向を拝むことである。当時天王寺の西門は極楽の東門に通ずるといわれていた。

ワキ詞「あら不思議や。これなる者をよくよく見候へば。某が追ひ失ひし子にて候ふはいかに。思のあまりに盲目となりて候。あら不便と衰へて候ふものかな。人目もさすがに候へば。夜に入りて某と名のり。高安へ連れて帰らばやと存じ候。やあ如何に日想観を拝み候へ。
シテ詞「げにげに日想観の時節なるべし。盲目なればそなたとばかり。心あてなる日に向ひて。東門を拝み南無阿弥陀仏。
ワキ詞「何東門とはいはれなや。こゝは西門石の鳥居よ。
シテ「あら愚や天王寺の。西門を出でて極楽の。東門に向ふは僻事か。
ワキ「げにげにさぞと難波の寺の。西門を出づる石の鳥居。
シテ「阿字門に入つて。
ワキ「阿字門を出づる。
シテ「弥陀の御国も。
ワキ「極楽の。
シテ「東門に。向ふ難波の西の海。
地「入日の影も舞ふとかや。
シテ詞「あら面白やわれ盲目とならざりし前は。弱法師が常に見馴れし境界なれば。何疑も難波江に。江月照らし松風吹き。永夜の清宵なんのなすところぞや。
ワカ「住吉の。松の隙よりながむれば。
地「月落ちかゝる淡路島山と。
シテ「眺めしは月影の。
地「詠めしは月影の。今は入日や落ちかゝるらん。日想観なれば曇も波の。淡路絵島。須磨明石。紀の海までも。見えたり見えたり。満目青山は。心にあり。

一曲はいよいよクライマックスを迎え、弱法師は法悦の余りに狂う。ここは、杖をこきざみに突きながら足早に歩き、往来の人に突き当たってまろび伏し、放した杖を探りながら拾う、といった一連の象徴的な動作が続く場面である。

シテ「あう。見るぞとよ見るぞとよ。
地「さて難波の浦の致景の数々。
シテ「南はさこそと夕波の。住吉の松影。
地「東の方は時を得て。
シテ「春の緑の草香山。
地「北は何処。
シテ「難波なる。
地「長柄の橋の徒らにかなた。こなたとありく程に。盲目の悲しさは。貴賎の人に行き合ひの。転び漂よひ難波江の。足もとはよろ/\と。実にも真の弱法師とて。人は笑ひ給ふぞや。思へば恥かしやな今は狂ひ候はじ今よりは更に狂はじ。

弱法師は、狂いから覚めると、己の現実の姿を改めて思い出し、身の不幸を嘆くのだが、そこに通俊が父親の名乗りを上げる。

ロンギ上「今ははや。夜も更け人も静まりぬ。いかなる人の果やらん。その名を名のり給へや。
シテ「思ひよらずや誰なれば。我がいにしへを問ひ給ふ。高安の里なりし。俊徳丸が果なり。
地「さては嬉しやわれこそは。父高安の通俊よ。
シテ「そも通俊は我が父の。その御声と聞くよりも。
地「胸うち騒ぎあきれつゝ。
シテ「こは夢かとて。
地「俊徳は。親ながら恥かしとてあらぬ方へ逃げ行けば。父は追ひ付き手を取りて。何をかつゝむ難波寺の鐘の声も夜まぎれに。明けぬ先にと誘ひて高安の里に帰りけり。高安の里に帰りけり。

かくして一曲は、親子の再会と和解の喜びのなかで、フィナーレとなる。


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