山部赤人は、柿本人麻呂と並んで万葉集を代表する歌人である。人麻呂より人世代後の、平城京時代初期に活躍した。その本領は、人麻呂同様宮廷歌人だったことにある。元正、聖武天皇両天皇に仕え、儀礼的な長歌を作った。大伴家持は、柿本人麻呂、山部赤人を並べ立てて「山柿の門」という言葉を使ったが、これは宮廷歌人としての、荘厳で格式の高い歌風をさしたのだと思われる。
山部赤人は、儀礼的な長歌のほか、叙情的な短歌にすぐれていた。後の時代への影響という点では、短歌のほうが、及ぼした影響の範囲が大きい。
山部赤人の最も愛された歌は、有名な富士を詠った歌や花鳥を題材にした叙景歌である。また、恋の歌にも優れたものがある。彼は、人麻呂とは違うイメージで人間の感性をのびのびと歌った歌人であり、古今集以後にもつながるようなところがある。
山部赤人はまた、下級官人として諸国を旅し、そのなかから、葛飾の真間の手古奈のような、地方の伝説に取材した歌を作った。
ここでは、山部赤人について、筆者が折々に考察した論考をまとめてみた。
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