2007年4月アーカイブ

陶淵明の詩「命子」(子に名づく)は、長男の儼が生まれたときに、その誕生を祝福するとともに、改めて祖先に思いをいたして詠んだ詩である。時に陶淵明29歳であった。この詩には、陶淵明の祖先、とりわけ曽祖父陶侃に対する尊敬の念が現れており、陶淵明の家族観を知る上で貴重である。

ジェーン・グドール Jane Goodall 女史は、今日におけるチンパンジー研究の礎石を築いた人である。チンパンジーは、地球上に棲息する動物の中で、人類に最も近い種だ。彼らはある面では人間並の、時には人間以上の能力を持っている。そんなチンパンジーの持つ能力の全貌が、次第に解明されつつある。

ボリス・エリツィン Борис Николаевич Ельцин が死んだ。76歳、死因は持病の心臓病だったようだ。これで、20世紀の世界史を彩った立役者が、もう一人いなくなった。

死者の火葬は、ヨーロッパ文化圏では長らくタブーに近い扱いを受けてきた。しかし近年に至って、プロテスタント文化圏を中心に火葬を受け入れる雰囲気が広がり、急速に普及しつつある。

狂言「蝸牛」は理屈抜きに楽しめる作品である。山伏がシテを勤めるので演目上は「山伏物」に分類されるが、太郎冠者のとぼけぶりとあいまって、初めて作品としての面白さが発揮される。筋はごく単純なものだが、当意即妙のやり取りと、山伏の踊りがなんとも言えず滑稽であり、観客を引き込んでやまない。狂言の中でも、祝祭性に富んだ作品であるといえる。

万葉集巻十六に、「乞食者の詠二首」と題された珍しい作品が載せられている。まず、乞食者(ほかひひと=ほかいびと)とはどういう人をさすのかについて、古来議論があった。文字通りの乞食という意味ではなく、芸を売る見返りに食を得ていた、芸能民の類だろうというのが大方の説である。

大伴家持は、防人を筑紫に送り出すために難波津に滞在した一ヶ月ほどの間に、防人から提出された歌を編集して歌日記に書きとどめるとともに、自身も防人を歌った長歌三首を作った。家持は東国からやってきた防人たちの、飾らない歌いぶりに感動したのであろう。自身を防人の身に事寄せて、その気持をくみ上げようとする気持がよく出ている。

ヴラヂーミル・プーチンの独裁的体質は、かねてより指摘されていたことではあるが、最近は度を超したものになってきつつあるようだ。情報通の中では、プーチンはすでに一線を越えて、スターリン並の独裁者になったとする見解が強まっている。

万葉集巻二十には、「天平勝宝七歳乙未二月、相替へて筑紫の諸国に遣はさるる防人等が歌」と題して、防人の歌がずらりと並んで載せられている。その数は八十数首、大伴家持はそれらの歌の間に、自作の歌をもちりばめて配している。

万葉集巻十四には、東歌として、東国各地の歌が集められている。これらの歌がどのようにして集められ、万葉集に収められるに至ったか、そのいきさつは明らかでないが、恐らく中央から派遣された国司たちによって、集められたのであろう。常陸風土記など、風土記の編纂がそのきっかけになったのかもしれない。

生殖にかかわる行動は、種の保存にとって最も根源的なことであるから、あらゆる動物に本能という形でビルトインされている。人間はそれを性欲という言葉で表現し、人間性の奥に潜む抑えがたい衝動として理解してきた。

月の表面の土地を不動産取引の舞台にして、ビジネスを展開している男がいるそうだ。その男とは、ネヴァダの実業家デニス・ホープといい、月の表面1エーカーあたり20ドルで売っているという。Making a mint out of the Moon : By Nick Davidson BBC

能「合甫(かっぽ)」は、漁師に釣られた魚が通りがかりの者に助けられ、そのお礼に宝を差し上げるという内容の、一種の動物報恩譚である。中国を舞台にしているが、出典は不明。小品ながら、さわやかな印象の作品である。

万葉の時代に東国に伝わっていた民間伝承は、京の人々にとっては遠い僻地での物珍しい出来事ではあったろうが、その中には人々の関心を引いたものもあったようだ。葛飾の真間の手古奈の伝説などは、その最たるものだったようで、山部赤人、高橋蟲麻呂の二人によって、歌にも読まれた。

この世に生まれてくる人間の子どのもうち、女子より男子のほうが割合が多いことはよく知られている。男子は女子に比較して、幼児期の死亡率が高いために、その埋め合わせをするかのように、自然が巧妙な仕掛けをしたのだろう。ところが近年、その男女間比率の差が次第に縮小する傾向が見られるという。Male Births declining in the US and Japan By Amy Norton : Reuter

先に大伴家持に関して諸国の遊行女を取り上げた文の中で、重婚を禁じた例規があったことを紹介した。万葉の時代の後半は、どうも一夫一妻の制が建前であったらしいのである。天智、天武の両天皇は後宮を設けて多くの妃を蓄えていたのであるから、その頃までは臣下の間でも一夫多妻が行われていたはずだ。だから、これは大きな政策転換であったといえる。

物質文明にどっぷりつかった人々の中にも、前世の記憶を有し、自分はナポレオンの生まれ変わりだなどと、信じている人はいるものだ。

万葉の時代の女性たちが、現代人の我々が考えている以上に自由な生活を送っていたであろうことは、彼女らがかなり奔放な恋愛を楽しんでいたことからも察せられる。筆者は先に、坂上郎女や額田王のそのような恋を取り上げてきた。だが、奔放な恋を生きた女性としては、石川郎女を以て万葉の女性チャンピオンとせねばなるまい。

大伴坂上郎女は、額田王と並んで万葉の女流歌人を代表する人である。家持にとっては叔母にあたり、作家の上でも大きな影響を与えたと思われる。その作品は、家持の手によって筆写され、万葉集の中に多く残された。

精神医学には二つの流れがあって、互いに牽制しあってきた歴史がある。一つは精神の失調の原因を人間関係に求めるもので、これは他者とのかかわり方の失敗が様々な精神症状を引き起こすという考え方に立っている。もう一つは、能の神経組織に原因を求めるもので、遺伝或は何らかの外圧によって脳内に異常が生じた結果精神症状が現れるとする見解である。

先稿「食料が燃料に化ける」の中で、とうもろこしのバイオ燃料化の問題点について触れた。その最たるものは、とうもろこしの資源としての希少性であろう。

能「道成寺」は現行の能の中でも大曲の部類に入り、また位の高い作品として扱われている。静と動のコントラストが激しく、また鐘の作り物など、舞台の演出も派手で、緊迫感に溢れた作品であるが、演じ方がまずいと散漫に流れ、観客をいらいらさせたりしかねない。能楽師にとってはむつかしい作品とされ、したがって一定の成熟を経た節目の時期に始めて演ぜられる。

大伴家持は、正妻の坂上大嬢や若い頃に死んだ妾の他にも、多くの女性と恋の駆け引きを演じた。家持は自ら女好きの男であったとともに、女性からも好かれるタイプだったらしい。そんな家持が、何人かの女性との間に交わした相聞歌が万葉集に載せられている。家持の愛した女性たちには、優れた歌い手が連なっていたのである。

聖武天皇が譲位して上皇となり、孝謙天皇の世に変わると、藤原武智麻呂の子仲麻呂が女帝に接近して権力を握り、政敵の追い落としをするようになる。最大の標的は橘諸兄だった。政治的に諸兄に近かった大伴家持は、世の中の変化に敏感にならざるを得なくなった。

アメリカの著名な脳科学者でセックス不全治療の権威でもあるダニエル・アメン博士が、脳がセックスに及ぼす影響を研究した成果「脳でセックス」を出版した。これは、ベター・セックスにとって、健全な脳を持つことが如何に大事かを論証したものである。

チョコレートといえば、大方の日本人にとっては、年に一度のバレンタインデーを彩る季節的な食べ物だろう。つい最近まで、子どもはいざ知らず、大人が年中チョコレートを食うことはなかった。それを裏付けるように、チョコレート業界の売り上げは、バレンタインデーに依存することが大きかったのだ。

大伴家持の生きた時代は、人麻呂の時代とは異なって、常に内乱の危機をはらんだ政治的動揺の時代であった。737年に流行した大疫によって、藤原武智麻呂はじめ、藤原氏の実力者が次々と死に、政治的な空白ができたのがその原因である。藤原氏にとってかわって、橘諸兄が一時的に権力を握ったが、安定したものとはいいがたかった。740年には、藤原博継による大規模な内乱がおきている。

大伴家持の生きた時代、諸国に派遣された国司は妻子を伴わず、単身赴任するのが原則だったようだ。家持が越中に単身赴いたのも、この原則に従ったのだろう。だから、諸国の官衙は独り者の男たちで構成されていた。一時代前の連隊兵営を思い起こせば、その雰囲気が伝わってくるだろう。

雑誌タイムの最近号が地球温暖化対策を特集している。カバー・ストーリーでは温暖化対策の51の選択肢が載せられているが、そのトップを飾っているのはバイオ燃料、つまり食料の燃料化だ。

アメリカ大統領ブッシュの信仰心は有名だ。信仰深い彼の姿は現在に生きるアメリカ人を象徴している。あらゆる点で地球の今をリードしているアメリカ人だが、こと信仰に限っては、彼らほど保守的な国民はない。

幻聴や幻視など幻覚と呼ばれるものは、かつては精神病理的現象とりわけ分裂病(統合失調症)に特徴的な症状であるとされていた。だが、今日においては、うつ病患者、躁病患者、癲癇質者にも幻聴はみられ、普通の人にもおきることがわかっている。なかには、15年、20年と幻聴に苦しみながら、それ以外に精神病理現象の見られない人々が多数いることもわかってきた。

能「経政」は小品ながら良くまとまった作品である。他の修羅能のように複式夢幻能の体裁をとらず、一場で構成されている。動きは少なく、筋も単純だが、音楽的要素に富み、幻想的な雰囲気に溢れているので、観客を飽きさせることはない。作者は不詳、平家物語巻七に題材をとったと思われる。

大伴家持は花鳥風月を歌に詠む風流の人であったとともに、鷹狩や鵜飼を楽しむ行動の人でもあった。特に鷹狩を好んだらしく、鷹を詠んだ長歌を三首も作っている。ここでは、そのうち最初に作られたものを取り上げてみよう。

大伴家持は花鳥を愛した人らしく、花や野鳥を詠んだ歌が多い。花鳥を主題にして歌を詠むということは、人麻呂や赤人の時代にはなかったことである。ここに、風雅の人大伴家持の新しさがある。家持は、様々な点で、万葉と古今以後との歌風をつなぐ歌人といわれるが、その真髄は花鳥を好んで詠む姿勢にあった。

アメリカでは今、癌の話題でもちきりのようだ。有力メディアはどこも、癌の特集記事をトップ扱いで掲載している。というのも、民主党元上院議員で大統領選の有力候補者エドワーズ氏が、妻の乳癌が再発したことを公表し、それに国民全体が深い関心を示したからだ。

大伴家持が越中国守に赴任した年の九月、家持は使いのものから弟書持の死を知らされた。この時家持は29歳であったから、書持は余りに若くして死んだのである。父旅人の死後、まだ少年だった兄弟は、互いに寄り添うようにして育ってきたのであろうから、弟の死は家持にはこたえたに違いない。

大伴家持が越中国守として赴任したとき、越中国衙の官人たちの中に大伴池主の姿があった。池主の出自については確かなことはわかっていないが、北山茂夫は大伴氏の同族、それも大伴田主の子ではないかと推論している。もしそうだとすれば、田主は旅人の弟であるから、池主は家持にとっては従兄弟にあたる。

「うつ」は長い間女性に特有の精神症状であると考えられてきた。それは子宮を持つ者の宿命であり、思春期、出産、閉経と、節目ごとに変動するホルモンのバランスが失調に陥ったとき、女性を苦しめるのだと考えられた。



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