高橋蟲麻呂:東国の民間伝承(万葉集を読む)

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万葉の時代に東国に伝わっていた民間伝承は、京の人々にとっては遠い僻地での物珍しい出来事ではあったろうが、その中には人々の関心を引いたものもあったようだ。葛飾の真間の手古奈の伝説などは、その最たるものだったようで、山部赤人、高橋蟲麻呂の二人によって、歌にも読まれた。

高橋蟲麻呂は東国の伝説に取材した長歌を多く作った。万葉集には蟲麻呂歌集から取られたそれらの歌が載せられている。ほかにも載せられずに埋もれた歌があったのかもしれない。

歴史考証によれば、高橋蟲麻呂は、養老年代に常陸の国衙に勤めていたらしい。その頃編纂された常陸国風土記の編纂にかかわったのではないかとする説もある。

蟲麻呂が民間伝承に取材した歌には、先の葛飾の真間の手古奈のほかに、上総の珠名娘子や浦島伝説を取り上げたものがある。最も異彩を放っているのは、葦屋の菟原処女を歌ったものである。

真間の手古奈の場合においては、二人の男に言い寄られた乙女が、苦悩のあまり自殺する話が詠まれていたが、ここでもまた、ひとりの乙女を巡って二人の男が競い、挙句の果ては、乙女も二人の男も皆死ぬという悲しい話が語られる。

手古奈には実際に伝承されていた話の裏づけがあったが、この話は蟲麻呂の創作だろうという説が有力である。

―菟原処女が墓を見てよめる歌一首、また短歌
  葦屋の菟原処女(うなひをとめ)の 八年子(やとせこ)の片生ひの時よ
  小放(をはなり)に 髪たくまでに 並び居る家にも見えず
  虚木綿(うつゆふ)の籠りて座(ま)せば 見てしかと鬱(いふ)せむ時の
  垣ほなす人の問ふ時 茅渟壮士(ちぬをとこ) 菟原壮士(うなひをとこ)の
  臥屋(ふせや)焚き すすし競ひ 相よばひ しける時に
  焼太刀(やきたち)の 手かみ押しねり 白真弓 靫(ゆき)取り負ひて
  水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ 競へる時に
  我妹子が 母に語らく 倭文手纏(しづたまき) 賤しき吾が故
  ますらをの 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあらめや
  宍薬(ししくしろ)黄泉に待たむと 隠沼(こもりぬ)の下延(したば)へ置きて
  打ち嘆き 妹がゆければ 茅渟壮士 その夜夢に見
  取り続き 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士い
  天仰ぎ 叫びおらび 地(つち)に伏し 牙(き)噛み猛(たけ)びて
  如(もころ)男に 負けてはあらじと 懸佩(かきはき)の 小太刀取り佩き
  ところつら 尋ね行ければ 親族(やがら)どち い行き集ひ
  永き代に 標にせむと 遠き代に 語り継がむと
  処女墓 中に造り置き 壮士墓 此方彼方に
  造り置ける ゆゑよし聞きて 知らねども 新喪(にひも)のごとも 
  哭泣きつるかも(1809)
反歌
  葦屋の菟原処女の奥城を行き来と見れば哭のみし泣かゆ(1810)
  墓の上の木枝靡けり聞きしごと茅渟壮士にし寄りにけらしも(1811)
右ノ五首、高橋連蟲麻呂ノ歌集ノ中ニ出ヅ。

歌は題にあるとおり、乙女の墓を見ての挽歌という体裁をとっている。

葦屋の菟原処女に思いを寄せる男が二人いて、「水に入り火にも入らむと 立ち向ひ」競っていた。自分のために男たちの争うのをみて、心苦しく思った乙女は、「賤しき吾が故 ますらをの 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあらめや」と母に語り、「宍薬黄泉に待たむと」打ち嘆いて自らの命を絶ってしまった。

そのことを夢に知った一人が乙女の後を追うと、残されたもう一人も負けじと乙女のところに来てみれば、親族たちが、亡くなった乙女と男の墓を作っていた。それを目にした二人目の男は、呆然として泣き叫ぶばかり、これが歌の趣旨である。

乙女は、自分の死を以てはじめて、二人の男のうち、結ばれるべき方の男と結ばれ得たのだと、歌は訴えているようである。


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