責子:陶淵明の子どもたち

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陶淵明は、29歳にして長男の儼が生まれたとき、「命子」と題した詩一篇を作り、始めて子を得た喜びと、子の将来への期待を歌った。その父親としての情は、時空を超えて人々の胸琴に響くものがあった。

しかしてそれから15年後、陶淵明には5人の男子があった。淵明があれほど期待をかけた長男をはじめ、その子たちはどう育っただろうか。

「責子(子を責む)」と題した詩を読めば、おのずから察せられる。

  白髮被兩鬢  白髮 兩鬢を被ひ
  肌膚不復實  肌膚 復た實ならず
  雖有五男兒  五男兒有ると雖も
  總不好紙筆  總て紙筆を好まず
  阿舒已二八  阿舒は已に二八
  懶惰故無匹  懶惰 故より匹ひ無し
  阿宣行志學  阿宣は 行(ゆくゆ)く志學なるに
  而不好文術  而して 文術を好まず
  雍端年十三  雍・端は 年 十三にして
  不識六與七  六と七とを識らず
  通子垂九齡  通子は 九齡に 垂(なんな)んとするに
  但覓梨與栗  但だ 梨と栗とを覓む
  天運苟如此  天運 苟くも此くの如くあれば
  且進杯中物  且し 杯中の物を 進めん

この時、陶淵明は44歳。あらゆる職を擲って田園に隠棲し、「帰去来」の詩一篇を詠んでから3年程が経っている。「帰去来」の中で僮僕喜び迎えと云った時、その中にはこの5人の子の姿もあったに違いない。

舒とは、長男儼の幼名。阿は親しみをあらわす接頭辞である。既に馬歯16歳にもなるというのに、「懶惰故より匹ひ無し」と淵明は嘆いている。「命子」の中では「子が不才なれば致し方ない」といっていたが、どうやら懶惰な少年になったようだ。

次男の宣は、そろそろ15になり、学問に志さねばならぬ時期なのに、文術を好まない。

雍と端は、13歳にもなって、まだ6と7の区別もつかない。同い年なのは、双子か或は腹違いの兄弟かどちらかだろう。

末っ子の通は、もうすぐ9歳だが、梨と栗をねだるばかり。

陶淵明の表現には、思うようにならないことへの誇張があるのかもしれないが、それにしても、子どもたちの出来損ないぶりは笑えない。

期待の外れた父親陶淵明は、これも天運とあきらめ、酒でも飲んで、気を休めようと、ため息をついたのであろう。

この詩を作った数年後、50歳を過ぎた頃に、陶淵明は子どもたちにあてて戒めの文を作っている。題して「與子儼等疏」という。はや老年を迎えた陶淵明は、子どもたちが心配な余り、生きるうえでの教訓のようなものを残しておきたかったのかもしれない。


―與子儼等疏

  告子儼、俟、份、佚、佟:
  天地賦命,生必有死,自古聖賢,誰能獨免、
  子夏有言:「死生有命,富貴在天」。四友之人,親受音旨。
  發斯談者,將非窮達不可妄求,禱夭永無外請故耶。
  吾年過五十,少而窮苦,每以家弊,東西遊走,性剛才拙,與物多忤。
  自量為己,必貽俗患,僶俛辭世,使汝等幼而飢寒,余嘗感孺仲子賢妻又言,
  敗絮自擁,何慚兒子。此既一事矣。
  但恨鄰無二仲,室無萊婦,抱玆苦心,良獨內愧。
  少學琴書,偶愛閒靜,開卷有得,便欣然忘食。
  見樹木交蔭,時鳥變聲,亦復歡然有喜。
  常言五六月中,北窗下臥,遇涼風暫至,自謂是羲皇上人,
  意淺識罕,謂斯言可保,日月遂往,機巧好疏,緬求在昔,眇然如何。
  病患以來,漸就衰損,親舊不遺,每以藥石見救,自恐大分將有限也。
  汝輩稚小,家貧無役,柴水之勞,何時可免。
  念之在心,若何可言。然汝等雖不同生,當思四海皆兄弟之義。
  鮑叔、管仲,分財無猜;歸生、伍舉,班荊道舊;遂能以敗為成,因喪立功。
  他人尚爾,況同父之人哉。穎川韓元長,漢末名士,身處卿佐,八十而終,
  兄弟同居,至於沒齒。濟北汜稚春,晉時操行人也,七世同財,家人無怨色。
  《詩》曰:「高山仰止,景行行止」。
  雖不能爾,至心尚之。汝其慎哉!吾復何言。


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