能「鞍馬天狗」:牛若丸と大天狗

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能「鞍馬天狗」は、牛若丸が沙那王といった幼年時代を題材にして、大天狗が沙那王に武術を教え、平家を倒し源氏の再興を期するという内容の物語である。桜の季節を背景に、シテ(天狗)と子方(沙那王)がやりとりする光景は、色気を感じさせるものであり、これを男色の能と見る見方もある。

作者の宮増はほかに「接待」「大江山」「夜討曾我」などを作っており、わかりやすく大衆受けする作風である。この曲は、大天狗をシテにしているところから、「車僧」など一連の天狗ものに分類されることもあるが、ほかの作品の天狗たちが、どこかユーモラスで憎めないのに対し、この曲の大天狗は父性あふれる姿に描かれている。

曲の前半では、大勢の子方が花見見物に出てくる。これらの子方は「花見」と呼ばれ、能楽師の子どもが歩けるようになると最初に勤めるものだとされている。また中入では大勢の木葉天狗が出てくるが、これは狂言師の子どもたちである。こんな子どもたちの活躍もあって、全体がにぎにぎしく、楽しさあふれる作品になっている。

舞台にはまずシテが現れる。ほかの天狗もの同様前段では直面である。シテは鞍馬山から花見をするために比叡山までやってきた旨を口上した後、舞台前方右側の床几に腰掛ける。(以下、テクストは「半魚文庫」を活用)

シテ詞「かやうに候ふ者は。鞍馬の奥僧正が谷に住居する客僧にて候。さても当山において。花見の由うけたまはり及び候ふ間。立ち越えよそながら梢をもながめばやと存じ候。

そこへ西谷の能力に扮した間狂言が現れ、東谷まで花見の案内をしにゆくのだと述べる。続いてワキ方と花見の子方が大勢現れる。能力はワキの僧に案内の手紙を差し出す。

狂言「これは鞍馬の御寺に仕へ申す者にて候。さても当山において毎年花見の御座候。殊に当年は一段と見事にて候。さる間東谷へ唯今文を持ちて参り候。いかに案内申し候。西谷より御使にまゐりて候。これに文の御座候御らん候へ。
ワキ詞「何々西谷の花。今を盛と見えて候ふに。など御音信にもあづからざる。一筆啓上せしめ候ふ古歌にいはく。けふ見ずはくやしからまし花ざかり。咲きものこらず散りもはじめず。げにおもしろき歌の心。たとひ音づれなくとても。木蔭にてこそ待つべきに。
地歌「花咲かば。告げんといひし山里の。告げんといひし山里の。使は来たり馬に鞍。鞍馬の山の雲珠桜。たをり枝折をしるべにて。奥も迷はじ咲きつゞく。木蔭に並み居ていざ/\花をながめん。

ここで、花見に興を添えるために小歌を謡えと僧に命じられ、狂言が小謡を謡う。歌いおえた狂言(能力)は客僧の存在に気づき、追い払おうとするが、僧たちは引き上げようと言って、子方一人を残し、みな退場する。

狂言「いかに申し候。あれは客僧の渡り候。これは近頃狼藉なる者にて候ふ。追つ立てうずるにて候。
ワキ詞「しばらく。さすがに此御座敷と申すに。源平両家の童形達各御座候ふに。かやうの外人は然るべからず候。しかれども又かやうに申せば人を選び申すに似て候ふ間。花をば明日こそ御らん候ふべけれ。まづ/\此処をば御立ちあらうずるにて候。
狂言「いやいやそれは御諚にて候へども。あの客僧を追ひ立てうずるにて候。ワキ「いやただ御立あらうずるにて候。

ワキや子方が去って一人舞台に残った沙那王に向かって、シテはやおら立ち上がって近づき、何故一人だけ残ったのかと問いかける。それに対して沙那王は、平家一門のなかにまぎれて、自分だけ肩身の狭いをしているのだと応える。

シテ「遥に人家を見て花あれば即ち入る。論ぜず貴賎と親疎とを弁へぬをこそ。春の習と聞くものを。浮世に遠き鞍馬寺。本尊は大悲多聞天。慈悲に洩れたる人々かな。
子方「げにや花の下の半日の客。月の前の一夜の友。それさへ好みはあるものを。あら痛はしや近うよつて花御らん候へ。
シテ詞「思ひよらずや松虫の。音にだに立てぬ深山桜を。御訪の有難さよ此山に。
子方「ありとも誰かしら雲の。立ち交はらねば知る人なし。
シテ詞「誰をかも知る人にせん高砂の。
子方「松も昔の。
シテ「友烏の。
地「御物笑の種蒔くや。言の葉しげき恋草の。老をな隔てそ垣穂の梅さてこそ花の情なれ。花に三春の約あり。人に一夜を馴れそめて。後いかならんうちつけに心空に楢柴の。馴れは増らで恋のまさらん悔しさよ。
シテ詞「いかに申し候。唯今の児達は皆々御帰り候ふに。何とて御一人是には御座候ふぞ。
子方詞「さん候唯今の児達は平家の一門。中にも安芸の守清盛が子供たるにより。一寺の賞翫他山のおぼえ時の花たり。みづからも同山には候へども。よろづ面目もなき事どもにて。月にも花にも捨てられて候。
シテ「あら痛はしや候。さすがに和上臈は。常磐腹には三男。毘沙門の沙の字をかたどり。御名をも沙那王殿と付け申す。あら痛はしや御身を知れば。所も鞍馬の木蔭の月。
地「見る人もなき山里の桜花。よその散りなん後にこそ。咲かばさくべきにあら痛はしの御事や。
地歌「松嵐花の跡訪ひて。松嵐花の跡訪ひて。雪と降り雨となる。哀猿雲に叫んでは。腸を断つとかや。心凄のけしきや。夕を残す花のあたり。鐘は聞えて夜ぞ遅き。奥は鞍馬の山道の。花ぞしるべなる此方へ入らせ給へや。さても此程御供して見せ申しつる名所の。ある時は。愛宕高雄の初桜。比良や横川の遅桜。吉野初瀬の名所を。見のこす方もあらばこそ。

客僧があまりに親切なので、不思議に思った沙那王がその訳を聞くと、シテは自分こそ大天狗であると本性を明かし、明日改めて参会しようと言い含めて、ともに舞台を去る。

ロンギ子方「さるにても。如何なる人にましませば。我を慰め給ふらん。御名を名のりおはしませ。
シテ「今は何をか包むべき。我此山に年経たる。大天狗は我なり。
地「君兵法の。大事を伝へて平家を亡ぼし給ふべきなり。さも思しめされば。明日参会申すべし。さらばといひて客僧は。大僧正が谷を分けて雲を踏んで飛んでゆく。立つ雲を踏んで飛んでゆく。

(来序中入間)中入では、大勢の木葉天狗たちが現れる。大天狗が沙那王に武術を教えることになったので、自分たちも稽古に励もうと言って、たがいに槍をもってやりあう。

後段では、若武者姿になった子方と、大天狗になったシテが登場する。大天狗は供の天狗たちについて語り、天狗の威力を強調する。

後子方一声「さても沙那王がいでたちには。肌には薄花桜の単に。顕紋紗の直垂の。露を結んで肩にかけ。白糸の腹巻白柄の長刀。
地「たとへば天魔鬼神なりとも。さこそ嵐の山桜。はなやかなりける出立か
な。
後シテ「そも/\これは。鞍馬の奥僧正が谷に。年経て住める。大天狗なり。
地「まづ御供の天狗は。誰々ぞ筑紫には。
シテ「彦山の豊前坊。
地「四州には。
シテ「白峯の。相模坊。大山の伯耆坊。
地「飯綱の三郎富士太郎。大峯の前鬼が一党葛城高間。よそまでもあるまじ。邊土においては。
シテ「比良。
地「横川。
シテ「如意が嶽。
地「我慢高雄の峯に住んで。人の為には愛宕山。霞とたなびき雲となつて。月は鞍馬の僧正が。
地「谷に満ち/\峯をうごかし。嵐こがらし滝の音。天狗だふしはおびたたしや。

大天狗は更に、黄石公の故事について語り、沙那王に武術を教える。

シテ詞「いかに沙那王殿。只今小天狗をまゐらせて候ふに。稽古の際をばなんぼう御見せ候ふぞ。
子方詞「さん候只今小天狗共来り候ふ程に。薄手をも切りつけ。稽古の際を見せ申したくは候ひつれども。師匠にや叱られ申さんと思ひ止まりて候。
シテ「あらいとほしの人や。さやうに師匠を大事に思しめすに就いて。さる物語の候語つて聞かせ申し候ふべし。
語「さても漢の高祖の臣下張良といふ者。黄石公にこの一大事を相伝す。ある時馬上にて行きあひたりしに。何とかしたりけん左の履を落し。いかに張良あの履とつてはかせよといふ。安からずは思ひしかども履を取つてはかす。又其後以前の如く馬上にて行きあひたりしに。今度は左右の履を落し。やあ如何に張良あの履取つてはかせよといふ。なほ安からず思ひしかども。よし/\この一大事を相伝する上はと思ひ。落ちたる履をおつとつて。
地「張良履を捧げつゝ。張良履を捧げつゝ。馬の上なる石公に。はかせけるにぞ心とけ兵法の奥儀を伝へける。
シテ「そのごとくに和上臈も。
地「そのごとくに和上臈も。さも花やかなる御有様にて姿も心も荒天狗を。師匠や坊主と御賞翫は。いかにも大事を残さず伝へて平家を討たんと思し召すかややさしの志やな。
地歌「抑武略の誉の道。

(舞働)盛り上がったところで、シテの舞働きがあり、曲はキリの部分へ向かって高まっていく。

地歌「抑武略の誉の道。源平藤橘四家にも取りわきかの家の水上は。清和天皇の後胤として。あらあら時節を考へ来るに。驕れる平家を西海に追つ下し。煙波滄波の浮雲に飛行の自在を受けて。敵を平らげ。会稽を雪がん。御身と守るべし。これまでなりや。御暇申して立ち帰れば。牛若袂に。すがり給へば実に名残あり。西海四海の合戦といふとも。影身を離れず弓矢の力を添へ守るべし。頼めやたのめと夕かげくらき。頼めやたのめと。夕かげくら馬の。梢に翔つて。失せにけり。


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このページは、が2007年5月11日 19:22に書いたブログ記事です。

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