2007年6月アーカイブ

ジェンダーという言葉は、フェミニストたちがポレミカルな文脈の中で用いたこともあって、とかく政治的な色彩を帯びがちである。それは自然の性差に対して、社会的に作られた性差というような意味合いで使われることが多い。

10年ほど前まで、人間の脳は3歳ころまでの間に成長を終え、その後は一生を通じて、構造的にも機能的にも不変なものと考えられていた。また人間の性格というものも、脳が不変なこととパラレルに、一度形成されたら変わることのないものとされていた。

フランソア・ラブレーの作品には、糞尿のイメージがいたるところにあふれている。ラブレーの作品を糞尿(スカトロジー)の文学とする見方も成り立ちうるほどである。

ランボーが住むアルデンヌ県一帯はフランス北東部に位置し、プロシャとの国境に近いこともあって、普仏戦争の際には戦場と化した。1870年10月末にはメッツがプロシャ軍に降伏、翌年1月1日にはメジェールが降伏、そして2日にはシャルルヴィルが降伏している。

1870年8月末、ランボーは家を出てパリに向かった。金のないランボーは本を売って得た僅かの金で、隣駅のモーオンまで切符を買い、そのまま無賃乗車をしてパリ駅までたどり着いたのである。ランボーの最初の放浪であった。

陶淵明は、田園の一角に隠棲したとはいえ、世間との交渉を全く断ったわけではなかった。時には、役人たちとも交わり、詩のやりとりなどをしている。

陶淵明は、南村の居に移ってからも、故郷の柴桑を忘れたわけではなかった。また、故郷からも帰ってくるようにとの呼びかけがあったようだ。

ネット上に存在するアダルトサイトはすさまじい数に上る。何しろ性欲は人間の本性に根ざしたものだから、需要は限界をしらない。その数は無限大にむかって増え続けるばかりだろう。

日本はいまや世界一の長寿国だ。WHOの2006年版世界保健報告によれば、日本人の平均寿命は、女性86歳、男性79歳、総合で82歳、いづれの数字も国別順位で最高である。

アメリカの大手コンドーム会社トロージャンが作成したコンドームのテレビ向け広告を、4大ネットワークの二つ、フォックスとCBSが拒否したというニュースが伝わり、大きな関心を呼んでいる。

フランソア・ラブレーの大年代記「ガルガンチュアとパンタグリュエルの物語」第一之書は次のような序詞で始まっている。

アルチュール・ランボーといえば男色のイメージが強く、子どもの頃から肛門への偏愛を垣間見せてもいたのであるが、女性に対する関心が全くなかったかといえば、そうでもないらしい。

シェイクスピア作「ハムレット」の悲劇のヒロイン「オフェリア」は、画家や詩人たちのイマジネーションを刺激してきた。特に、19世紀の中頃に起こったイギリスの「ラファエル前派」は、オフェリアを共通の主題とするかのように、様々な画家がそれぞれ繰り返し描いている。中でもミレイの「水に浮かぶオフェリア」の絵はとりわけ有名だ。

庚戌歳は義煕六年(410)、陶淵明46歳。田舎に閑居して、農耕生活を営み、長沮傑溺の古の聖人に思いをはせる。淵明の理想とする生き方を歌った詩である。

陶淵明は、義煕四年(408)火事に遭い、帰去来の詩に歌ったあの園田の居を消失した。陶淵明はそこに家を再建する代わりに、翌年、南村というところに移居した。場所は不明であるが、柴桑からはそう遠くはなかったのではないか。

中国人の人口は13億人を数える。地球上に生きる人間の数は65億人であるから、実に5人に一人は中国人ということになる。

先日、コンゴ民主共和国の東部にあるヴィルンガ国立公園内において、マウンテンゴリラの生後2ヶ月ほどの子どもが、死んだ母親にしがみついているところを、公園のレンジャーが発見した。

21世紀の人類にとって最大の課題は、地球温暖化と肥満である。地球温暖化は地球環境を破壊し、肥満は人間の身体を破壊する。その肥満が、先進国を中心に急速に広がっている。今やアメリカ人の3分の2が肥満か太りすぎの傾向にあるといわれており、子どもたちの間にも肥満は広がりつつある。肥満はいまや社会全体を脅かす、新しい文明病になりつつある。

幼児を意味する英語の言葉 Infant は、”Unable to speak” を意味するラテン語に由来するそうだ。生まれたばかりの人間の子どもは、無論すぐに言葉をしゃべることは出来ない。その知能はいわば白紙の状態で、親や周囲の人間とのつながりを通じて、徐々にしゃべる能力を身につけていく、とそう考えられてきたわけである。だからロックも「タブラ・ラサ」と名づけたのであろう。

ラブレーの作品世界を特徴付けている最大のものは、祝祭性である。ガルガンチュアとパンタグリュエルのいくところ、至る所にカーニバルの祝祭的空間が広がり、道化や、洒落のめしや、遊戯や、権威のひっくり返しや、ありとあらゆる滑稽な見世物があり、しかもそれらは笑いで満ち満ちている。

アルチュール・ランボーは、18歳にして10歳年上の詩人ポール・ヴェルレーヌと男色の関係を結んだ。二人の間柄がどのようなものであったか、詳細はわからぬが、両人が残した言葉から類推すると、ランボーのほうが男役を勤めていたようだ。

アルチュール・ランボーの詩「音楽につれて “A La Musique”」は、ランボーがイザンバールにあてた1870年の手紙の中に収められているから、おそらくその直前に書かれたのであろう。

帰田園居五首の後半三首を取り上げる。第三首目は、第一首と並んで有名になった歌である。そこには、田園において日々耕作に励む喜びが描かれている。

帰園田居は歸去來兮辭の姉妹作のような作品である。彭沢県令を辞して、あらゆる官職をやめ、田園に生きることを決意した陶淵明は、その喜びを歸去來兮辭に歌い、なおかつその延長上で、帰園田居五首を作った。

ルネッサンスの時代は、ヨーロッパの歴史において、中世から近代への橋渡しをなす時代とされている。続いて起こる宗教改革と並んで、この時代に近代社会の秩序となるものが形成されてくるという歴史認識は、今日揺るぎのないものとなっている。したがって、ルネッサンスの時代は、主として近代との連続性においてとらえられてきたのであった。

かつて20世紀初頭における世界の知的運動をリードしたバウハウス。そのワイマールとデッサウの校舎群が世界文化遺産に登録されたのは1996年のことであった。以来、長らく放置されてきたこれらの校舎群の修復作業が進められ、このたびバウハウス・ミュージアムとして一般公開される運びとなった。

最新号のニューズウィークに目を背けさせるような写真がのっている。腐乱して真っ黒になった人間の死体が地面に転がっているところを写したものである。更にショッキングなのは見出しのほうだ。Corpses Wanted とあり、最近のBody Farm の様子を紹介するとある。

ミハイル・バフチーン (Михаил Михайлович Бахти́н 1895-1975) の名は、日本の知的文化(そんなものがあるとすればだが)の中では、存在しないも同然だが、20世紀前半におけるヨーロッパの知的文化の中で、ひときわ大きな光芒を放ったユニークな思想家である。

早い時期から天才を示したアルチュール・ランボーは、15歳の頃から今日に伝わる優れた詩を書き始めた。1870年の1月に、ジョルジュ・イザンバールがランボーの通う中学校に、修辞学の教員としてやってきて、ランボーを本格的に指導したことが、彼の才能に火をつけたようだ。

アルチュール・ランボー Arthur Rimbaud (1854-1891) は、普仏戦争とパリコミューン前後のフランスに彗星のように現れ、光り輝くような作品を残して、あわただしく文学史の表舞台から去っていった。その文学的活動は数年にとどまり、しかも20歳を前にして筆を擱いたにかかわらず、その作品群は独特の香りに満ち、後の詩人たちに巨大な影響を及ぼした。フランス文学史上、孤高の光を放った稀有の詩人といえる。

陶淵明

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帰去来兮辞の本文は四段からなる。一段目は、官を辞して家に帰る決意を述べ、はやる心で帰路に赴く様を描く。彭沢から故郷の柴桑までは凡そ百里、陶淵明は長江を船で遡った。なお、「帰去来兮」を「かへりなんいざ」と訓読したのは菅原道真である。以後日本の訓読の中で定着した。

陶淵明は、29歳の頃江州祭酒となったのを始めにして、断続的にいくつかの職についているが、義煕元年(405)41歳のとき、彭沢県令になったのを最後に、公職を退いて二度と仕官することはなかった。

地球上のあらゆる生命は神が作り給うた、聖書はそう教えている。キリスト教徒ならずとも、人類はみな、生命というものは図りがたい摂理によって生まれかつ生きているのであり、人の手によっては如何ともなしがたいと考えているのではないか。また仮に、生命を人の手で操ろうとする者がいれば、それは神あるいは自然への許しがたい挑戦と感ずるのではないか。

ロンドン旅行をした人には、グリニッジの船着場付近に係留された帆船カティ・サーク号を見た方も多いことだろう。海洋国家イギリスの全盛時代を象徴するものとして、今も英国民に親しまれている船だ。ウィスキーの銘柄にもなっている。その貴重な歴史的遺産が炎上したというニュースが人々を驚かせた。

富士太鼓は、太鼓を巡る芸道の執念を描いた作品である。テーマは二つあり、ひとつは富士と浅間に名を借りた芸人同士の争い、ひとつは討たれた夫の敵討ちをする妻と子の悲しみである。



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