帰りなんいざ、田園將に蕪れなんとす

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帰去来兮辞の本文は四段からなる。一段目は、官を辞して家に帰る決意を述べ、はやる心で帰路に赴く様を描く。彭沢から故郷の柴桑までは凡そ百里、陶淵明は長江を船で遡った。なお、「帰去来兮」を「かへりなんいざ」と訓読したのは菅原道真である。以後日本の訓読の中で定着した。



(歸去來兮辭)                

  歸去來兮       歸去來兮(かへりなん いざ)
  田園將蕪胡不歸   田園 將に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる
  既自以心爲形役   既に自ら心を以て形の役と爲す
  奚惆悵而獨悲    奚(なん)ぞ惆悵して獨り悲しむ
  悟已往之不諫    已往の諫めざるを悟り
  知來者之可追    來者の追ふ可きを知る
  實迷途其未遠    實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして
  覺今是而昨非    覺る 今は是にして 昨は非なるを
  舟遙遙以輕      舟は遙遙として 以て輕し
  風飄飄而吹衣    風は飄飄として 衣を吹く
  問征夫以前路    征夫に問ふに 前路を以ってし
  恨晨光之熹微    晨光の熹微なるを恨む

―さあ帰ろう、田園が荒れようとしている、いままで生活にために心を犠牲にしてきたが、もうくよくよと悲しんでいる場合ではない、今までは間違っていたのだ、これからは自分のために未来を生きよう、道に迷ってもそう遠くは離れていない、

―船はゆらゆらとして軽く、風はひょうひょうと衣を吹く、船頭にこれからの行き先を問い、朝の光のおぼろげなのを恨む


二段目は、家に帰った喜びと、家でのくつろぎの一時を述べる。家人に迎えられ、好きな酒をのんびりと飲める喜びが語られている。

  乃瞻衡宇      乃ち 衡宇を瞻(あふぎ)み
  載欣載奔      載ち欣び 載ち奔る
  僮僕歡迎      僮僕 歡び迎へ
  稚子候門      稚子 門に候(ま)つ
  三逕就荒      三逕は荒に就(つ)くも
  松菊猶存      松菊は猶ほも存す
  攜幼入室      幼を攜へ 室に入れば
  有酒盈樽      酒有りて 樽に盈つ
  引壺觴以自酌   壺觴を引きて 以て自ら酌し
  眄庭柯以怡顏   庭柯を眄(なが)めて 以て顏を怡(よろこば)す
.  倚南窗以寄傲   南窗に倚りて 以て傲を寄せ
  審容膝之易安   膝を容るるの安んじ易きを審らかにす
  園日渉以成趣   園は日ゞに渉って 以て趣を成し
  門雖設而常關   門は設くと雖も 常に關(とざ)す
  策扶老以流憩   扶老(つゑ)を策(つゑつ)き 以て 流憩し
  時矯首而游觀   時に首を矯げて游觀す
  雲無心以出岫   雲無心にして 以て岫を出で
  鳥倦飛而知還   鳥 飛ぶに倦みて 還るを知る
  景翳翳以將入   景 翳翳として 以て將に入らんとし 
  撫孤松而盤桓   孤松を撫でて盤桓とす


―やっと我が家が見えたので、小走りに向かっていくと、召使いたちが出迎え、幼い子が門で待っている、三本の小道は荒れてしまったが、松菊はまだ元気だ、

―幼子を抱きかかえて部屋に入れば、酒の用意ができている、壺觴を引き寄せて手酌し、庭を眺めては顔をほころばす、南の窓に寄りかかって楽しい気分を満喫し、狭いながらも居心地の良さを感じる

―庭は日ごとに趣を増し、門は常に閉ざしたままだ、杖をついて散歩し、時に首をもたげてあたりを眺める、雲は無心に山裾からわき上がり、鳥はねぐらに帰ろうとする、日は次第に暗くなってきたが、一本松をなでつつ去りがたい気持ちになる


三段目は、もう一度「歸去來兮」と決意を述べた後で、田園で暮らす喜びを描く。二段目が秋であったのに対し、これは春を歌う。おそらくは、帰郷の翌年に作ったのであろう。

  歸去來兮      歸去來兮(かへりなんいざ)
  請息交以絶遊   交りを息(や)め 以て遊びを絶たんことを請ふ
  世與我以相遺   世 我と 以て相ひ遺(わす)れ
  復駕言兮焉求   復た駕して 言(ここ)に焉(いづく)にか求めん
  悅親戚之情話   親戚の情話を悅び,
  樂琴書以消憂   琴書を樂しみ  以て憂ひを消す
  農人告余以春及  農人 余に告ぐるに春の及べるを以てし
  將有事於西疇   將に西疇に於いて 事有らんとす
  或命巾車      或は巾車に命じ
  或棹孤舟      或は孤舟に棹さす
  既窈窕以尋壑   既に窈窕として 以て壑(たに)を尋ね
  亦崎嶇而經丘   亦た崎嶇として丘を經(ふ)
  木欣欣以向榮   木は欣欣として 以て榮に向かひ
  泉涓涓而始流   泉は涓涓として 始めて流る
  羨萬物之得時   萬物の 時を得たるを羨み
  感吾生之行休   吾が生の 行くゆく休するを感ず

―さあ帰ろう、世間との交際をやめよう、自分と世間とは相容れない、なんで再び官吏の生活に戻ることを考えようか。

―親戚のうわさ話を喜んで聞き、琴書を楽しんで屈託がない、農夫が春の来たことを告げ、西の畑で農作業を始めた、車に乗ったり、船を操ったりして、深々とした谷を訪ねたり、険しい丘に登ったりする、木々は生い茂り。泉はほとばしる、万物が時を得て栄える中、私は自分の人生が終わりに近づいていくのを
感ずるのだ。


四段目は、自然の恵みに対比して人の命のはかないことを、一種の無常観を以て述べる。陶淵明の人生観がよく現れている部分である。

  已矣乎        已矣乎(やんぬるかな)
  寓形宇内復幾時  形を宇内に寓すること復た幾時ぞ
  曷不委心任去留  曷ぞ心を委ねて去留を任せざる
  胡爲遑遑欲何之  胡爲れぞ遑遑として 何にか之かんと欲す
  富貴非吾願     富貴は吾が願ひに非ず
  帝鄕不可期     帝鄕は期す可からず
  懷良辰以孤往    良辰を懷ひて 以て孤り往き,
  或植杖而耘耔    或は杖を植(た)てて耘耔す
  登東皋以舒嘯    東皋に登り 以て舒(おもむろ)に嘯き
  臨淸流而賦詩    淸流に臨みて 詩を賦す
  聊乘化以歸盡    聊(ねが)はくは化に乘じて 以て盡くるに歸し
  樂夫天命復奚疑  夫の天命を樂しめば 復た奚をか 疑はん

―致し方のないことだ、人間はいつまでも生きていられるわけではない、どうして心を成り行きに任せないのだ、また何故あたふたとして、どこへ行こうというのだ、

―富貴は自分の望むところではない、かといって仙人になれるわけでもない、よい日を選んで散歩し、杖をたてて草刈りをしたり、土を盛ったりする、

―また東の丘に登っては静かにうそぶき、清流に臨んでは詩を賦す、願わくはこのまま自然の変化に乗じて死んでいきたい、天命を甘受して楽しむのであれば、何のためらいがあろうものか


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    このページは、が2007年6月 5日 19:25に書いたブログ記事です。

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