脳は変化をやめない:神経科学の展開

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10年ほど前まで、人間の脳は3歳ころまでの間に成長を終え、その後は一生を通じて、構造的にも機能的にも不変なものと考えられていた。また人間の性格というものも、脳が不変なこととパラレルに、一度形成されたら変わることのないものとされていた。

この見方は人間の歴史に深く根ざしたドグマだが、最近の神経科学の発展によって、次第に乗り越えられようとしている。

まず、脳は絶えず変化するものなのだということが、深く認識されるようになった。脳は、個体が受け取る刺激の質に応じて、絶えず神経組織を再構成している。ある時点での脳の神経組織は、それまでの個体の経験を集約した結果であり、それは未来に向かっても、経験の質に応じて再構成を続けていく。

脳には膨大な数に上る神経回路がある。そのすべてが平等に働くわけでもなく、また生涯を通じて同じような強さで働くわけでもない。豊富な刺激があるために活発化する回路もあれば、刺激がないために退化する回路もある。刺激と脳の神経組織との間には、このようなバランスが働いているのであって、そのバランスの集合体が、特定の時点における脳の構造と機能に影響を及ぼしているのである。

脳の変化は環境への適応能力という形でも現れるし、また知能の進歩という形でも現れる。楽器演奏などの高度な技術は、脳と身体が高度に結合することから生み出されるものだが、それは組織的な刺激に対して、脳の神経回路が組織的に答えた結果形作られたのだと考えられる。

70歳を超えた老人でも神経組織の生成は認められる。また、脳のある分野が脳血栓などのためにダメージを受けても、他の分野がその機能を代替することもある。概していえば、年齢の若いほど、脳の可塑性は高いといえるが、かなりな高齢に至るまで、人間の脳は変化し続ける能力を持っている。

脳の可塑性に応じて、人間の性格もまた、ある程度変えられるのだと、考えられるようになった。

精神科学の知見によれば、強迫観念を起こしやすい人はそれに対応した神経回路が形成されていると考えられる。こうした症状は精神療法によって軽減することができる。また、「うつ」に陥りやすい精神傾向もある程度矯正することが出来るとされる。

これらは精神病理のフィールドから得られた知見だが、最近では、思いやりとか利己心とかいった性格についても、脳の神経回路との関連や、その可塑性が指摘されるようになってきた。仮借ない性格の人間でも、穏やかな性質に生まれ変わることがあるらしいのだ。

人間の性格形成に遺伝子が大きく働いていることは間違いない事実だ。たとえば5-HTTという遺伝子は引っ込み思案の性格と結びついていることがわかっている。しかし、この遺伝子を持っているからといって、すべての子どもが引っ込み思案になるわけでもない。面倒見がよく開放的な親に育てられれば、この遺伝子は発動せずに終わるのだ。逆に親が引っ込み思案で人見知りをし、子どもに対しても受容的でない態度を示すと、間違いなく引っ込み思案な性格が助長される。

不幸なことには、こうした遺伝子が発動せず、別の望ましい傾向に変化するのは至極まれで、大部分のケースでは遺伝子の効果が増幅して現れる。人間というものは、もって生まれた遺伝子を抱え、親が引っ込み思案であれば子は一層引っ込み思案になり、それを次の世代にも引き継いでいく傾向が強い。

家族病理は再生産される、これは悲しいことだが、厳然たる事実といえよう。

〔参考〕When Does Your Brain Stop Making New Neurons? By Sharon Begley Newsweek


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