ゲーテとカーニバル:ローマの謝肉祭

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ゲーテは「イタリア紀行」の中で、1788年に目撃したローマの謝肉祭の様子を描いている。(以下テキストは、相良守峯訳、岩波文庫版)

「およそローマの謝肉祭は、これをはじめて見物する、しかも単に見物だけしようと欲してそれが叶えられた外国人に対しては、何ら一つの纏まった、もしくは、愉快な印象をも与えず、またとくに眼を楽しませるものでもなければ、情緒を満足せしめるものでもない。

「幅のせまい長い街路は、無数の人間が右往左往していて、見渡すことさえできない。目の届くところでも雑踏の中にある物は、ほとんど見分けがつかぬ。動揺は単調であり、叫喚は耳を聾するばかり。しかも祭が終ってみると実にあっけないものだ。

「ローマの謝肉祭は、元来民衆のために他の手によって催される祭ではなく、民衆自身がみずから催す祭である。

「謝肉祭には、ローマの多くの宗教上の儀式の如く、見るものの眼を幻惑させるような儀式はない・・・要するに、ここにはむしろただ一つの合図が与えられているだけであって、それは、何びとも思うままに馬鹿げた騒ぎをして構わず、また、殴打や刃傷沙汰以外のことなら、ほとんどあらゆることを許されているということである」

ゲーテはこう前置きして、カーニバルで繰り広げられる民衆の無軌道な騒ぎ振りを次々と描写する。「一年中、あらゆる失策を慎重に警戒している鹿爪らしいローマ人が、この瞬間には突如として、彼の厳粛さと慎重さをかなぐり捨てるのである。」

仮装行列では、プルチネッラの面を被っていれば、婦人たちの前で性的仕草をしたり無作法をしても許される、広場ではコンフェッティを武器に互いに斬り会い、道化の王が選出される、横丁では女装した男の腹から不恰好なものが生まれる、カーニバルの終わり近くには火の祭が催され、参加者たちは皆ろうそくを持って互いに罵りあう、息子は父親に向かって、「お父さんなんか殺されてしまえ」といって、父親のろうそくの火を吹き消そうとする。

こうしたカーニバルの騒ぎの中に、ゲーテは民衆のエネルギーを感じ取った。それもカーニバルにおいては、あらゆる秩序が転覆し、上は下となり、生は死と結びつき、真理は呪詛のうちに宿り、肉体的・物質的な影の部分が表舞台に躍り出て、世界は一新する。それも笑いのうちに。ゲーテはそうした、カーニバルが本来もっていた姿を、共感をこめて感じ取ることができた。

ミハイル・バフチーンは、こうしたゲーテのカーニバル理解を、共感を以て取り上げている。(フランソア・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化、川端香男里訳、せりか書房版)

バフチーンは、ゲーテがカーニバルの核心である死と再生の意義をよく理解していたことの証拠として、ゲーテの次のような詩を引用している。

  そしてお前が、このほろびの願い
  この“死して生きよ”にふれぬ限り
  お前は暗き大地の上の
  悲しげな客人にすぎないのだ
    (せりか書房版から)

この詩に関してバフチーンはいう。「カーニバルの参加者は、光で満たされた大地の絶対的に陽気な主人である。なぜなら、死が新しい誕生を孕んでいるだけであることを知っており、生成と時の陽気な姿を知っており、この“死して生きよ”を完ぺきに所有しているからである。」

だがゲーテは、18世紀に生きた人であり、中世・ルネッサンス時代におけるカーニバルの意義を完全に理解するには、時代的な制約があった。ゲーテはカーニバルの意義を、民衆全体の問題としてよりも、個人的な生と死の問題に矮小化していると、バフチーンは批判する。

「カーニバルのイメージは個人の運命、象徴とみなされることになるが、実際には、ここで示されていたものは、大地と切り放し難く結びつき、宇宙的原理でみたされた民衆の運命にほかならなかったのである。」

ゲーテのように偉大な知性を持ち、また少年時代から各地の祝祭に親しんでいた人物にあっても、時代の流れは対象を、自ずから異なった目でみるように仕向けるものだ。それに、ゲーテが見たローマの謝肉祭が、どれほどラブレーのカーニバルに近いものであったか、確固たることはいえない。

ゲーテは、「ファウスト」の中でもワルプルギスの夜祭を描き、呪術的、祝祭的なものの持つ意味を、生涯追求した。その追求の視点は、18世紀に生きるものとしての、人間の救済であったような気がする。その人間とは、共同体に結びついた、民衆としての人間ではなく、他者から引き裂かれながらも他者の目を気にしつつ生きる、孤立した、青ざめた個人だったのであろう。


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