「古詩源」は清代の学者沈徳潜の著した中国古代の詩歌拾遺集である。帝王の時代から隋の時代に至る古詩976篇を集めている。古詩を集めたものとしては、すでに古くから「文選」や「玉台新詠」などがあり、そのほかにも楽府歌辞を集めたものなどがあったが、沈徳潜は自分なりの考えに基づいてコンパクトな詩集を作ったのである。
古詩という言葉には、唐以前の古い時代の詩という意味と、唐代に確立された近体詩に比較した古体の詩という意味とがある。古詩源に取り上げられているものはすべて隋以前のものであるから、時代も古く詩体も古体によっていることはいうまでもない。
古詩には楽府歌辞のように楽器を伴って歌われたものと、古詩十九首のようにもっぱら吟詠されたものとがある。古詩源はそのいづれをも取り上げている。
帝王の時代から秦までの古い時代に属するものを「古逸」と題して最初の部分に納めている。上古の時代の詩の中には、孔子によって詩経に治められたもの三百篇があるが、古詩源はそれからもれたものや、楽府歌辞として伝わっていたものの中から優れたものをピックアップした。
古詩源所収の古詩
全篇の冒頭を飾るものは「撃壤歌」である。堯の時代の老人の歌であると伝えられている。
撃壤歌
日出而作 日出でて作し
日入而息 日入りて息ふ
鑿井而飮 井を鑿ちて飮み
耕田而食 田を耕して食らふ
帝力于我何有哉 帝力我に于て何をか有らんや
日が出るとともに働きに出かけ、日が没すると家に帰って休む、井戸を掘っては水を飲み、田を耕しては食料を得る、我々は自らの力を以て満ち足りている、帝王が何だというのだ、我々は帝王のおかげを蒙らなくとも自足していられるのだ
古来この詩は、帝王の徳を称えたものだとされてきた。中国神話には、国土建設の英雄として、三皇五帝が現れてくる。いづれも神というよりは、人間としてのイメージが強い存在である。日本の神話が神々の系譜から始まるのに対して、中国の神話はその始まりからして人間的なのである。
帝王の中でも、もっとも身近なものは堯である。この詩に歌われている帝王とは堯のことだとされている。堯は中国建設の英雄だ。
堯は五帝の4番目に位置づけられている。一番目は黄帝であるが、黄帝以下帝嚳までは、人間として描かれながらも神話的な超越者としての色合いが強いのに対して、堯にはそのような神話的イメージは希薄で、歴史上に実在した生身の人間としてのイメージが強い。
そうして点において、日本神話におけると神武天皇と同じような意味あいを持っている。中国人にとって堯とは人間として国土を統治した最初の帝王とイメージされているのである。中国の歴史は堯から始まるといって過言ではない。
詩の中で、老人は帝王何するものぞと力んでいる。逆に考えれば帝王の世が安定しているからこそ、民の一人ひとりに至るまで自立していられるのだとも解釈できる。
この詩は反語的な形で、堯の治世のすばらしさを歌ったものなのである。
なお、撃壤の壤には、中国古代の遊具であるとする説と、土壌のこととする説がある。遊具であるとすれば、この歌は遊びの歌ということになろうし、土壌であるとすれば、労働歌ということになるのだろうか。
ともあれこの詩は、老人の自負にことよせて、古代の世のおおらかさを歌ったものとして受け取られてきた。一種の国褒め歌なのである。日本人にとって、万葉集に記載された雄略天皇の国褒め歌と同じような響きを、中国の人々にとって持っていたのであろう。
関連リンク: 漢詩と中国文化>
コメントする