2007年8月アーカイブ

エンペドクレスは紀元前440年ころが活動のピークだったとされ、パルメニデスよりは一世代後の時代の人である。シチリアのアクラガスに生まれ、ピタゴラス以来のイタリアの知的伝統を受け継いだが、他方ではミレトス派の自然哲学の流れを集成し、多元論的な世界観を展開した。

「女の友達」はヴェルレーヌの第2詩集である。わずか6篇のソネットから成るこの小さな詩集を、ヴェルレーヌがどんな意図から世に出したのか。すでに第一詩集「サチュルニアン詩集」によって、独自の世界を築いていたヴェルレーヌは、自分の世界をもっと確かな形にしようと思ってこの詩集を編んだのかもしれない。

ヴェルレーヌはボードレールの落とし子の一人ではあったが、ボードレールのように猫を歌うことはあまりなかった。そんな中で猫をとりあげて歌ったこの詩は珍しいものといえる。だが、詩に歌われた猫は、ボードレールの猫とは異なり、人間の女を思わせるようだ。

班倢妤は日本人にとっては、能「班女」の典拠となった女性の名として知られてきた。能においては、絶えず扇をつま繰る主人公の姿が、班倢妤を思い起こさせるというので、班女というあだ名を頂戴することになっている。本物の班女のほうも、自らを扇に見立てた怨みの詩を残しているのである。

王昭君:怨歌

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王昭君は烏孫公主同様、漢の政略結婚によって匈奴の王に嫁がされた薄幸の女性である。運命の過酷さから、中国人の間ではもとより、日本人にとっても同情の対象となってきた。古来能をはじめさまざまな分野でとりあげられてきたことからも、その同情の深さが察せられる。

ウィリアム・ブレイクの詩集{無垢の歌}から「神のイメージ」の歌 The Divine Image (壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」から「煙突掃除の子」の歌 The Chimney-Sweeper (壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイク詩集「無垢の歌」から「こだまする野辺」の歌 The Echoing Green (壺齋散人訳)

カラスの知能が高いことは良く知られている。日本に生息するカラスはハシブトガラスがもっとも多く、それにハシボソガラスが続くが、どちらも利口な生き物である。ヨーロッパやアメリカではワタリガラスが多いようだが、これも非常に利口らしい。

人間誰しも穏やかに老い、尊厳の中で死を迎えたいと思うものだ。だが現実はなかなか厳しいものがある。日本人の寿命が延びて、80歳を超えて生きる人々が増えてきているのは無論喜ばしいことには違いないが、その人たちが余り不自由を感じず、楽しく生きているかというと、そうはいえないところがある。

エレアのゼノンは有名な「アキレスと亀の競争」の逆説によって、広く知られている。

「秋の歌」は、ヴェルレーヌの作品の中で、少なくとも日本人にとっては、もっとも親しまれているものである。ヴェルレーヌの詩を特徴付けているあの音楽的な要素が、これほど完璧に成功している作品はないと思われるのだ。

サチュルニアン詩集はヴェルレーヌにとっては思春期以降の詩作の総決算であったから、その中にはさまざまな要素が含まれている。中心をなすのはエリーゼへの愛であるが、そのほかの作品にも女への愛を歌ったものが多かれ少なかれ見出される。

卓文君は司馬相如との熱烈な恋愛で知られ、中国史上もっとも愛に忠実な女性だったということになっている。

武帝の時代の漢は、絶えず匈奴と緊張状態にあった。漢は周辺諸国と積極的に同盟関係を結び、匈奴を牽制する策を用いた。そうした小国の一つに烏孫国があった。現在の新疆省にあたる地である。漢は同盟の証しに、王家につながる女性たちを嫁がせたが、その中に、後に烏孫公主と称される薄幸の女性がいた。

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」から「古の吟遊詩人の声」 The Voice of the Ancient Bard (壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」から「黒人の少年」の歌 The Little Black Boy (壺齋山人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」から「笑いの歌」 Laughing Song (壺齋散人訳)

誰でも不安な気持ちに襲われることはある。それは何か不吉なことが起きるのではないかという予感であったり、大事なことをし忘れているのではないかという心配であったり、進むべき道を間違えているのではないかという懸念であったりする。こうした不安はしかし、生きていくうえで必要なものなのである。

パルメニデスは、プラトンのイデア論にインスピレーションを与え、そのことを通じて、西洋哲学二千数百年の伝統の中で、格別の貢献をしたといえる。パルメニデスは形而上学の創始者と目されてしかるべき哲学者なのである。

サチュルニアン詩集 Poèmes saturniens はポール・ヴェルレーヌの処女詩集である。ヴェルレーヌがこの詩集を出版したとき、彼はまだ21歳の青年だった。いわばヴェルレーヌにとっての青春の歌とも言うべきものだが、詩に流れている雰囲気は、青年のものというよりは、人生の辛酸をなめつくした老人の嘆きを思わせる。

ポール・ヴェルレーヌ Paul Verlaine 1844-1896 は、19世紀末のフランスを代表する詩人たちの一人である。この時代のフランスの詩人たちにおおむね共通する特徴として、デカダンという言葉が使われるが、ヴェルレーヌはその言葉に最もふさわしい人物だったといえる。

「揚子江の女神」として親しまれてきた揚子江イルカ、別名バイジ(白暨)が、どうも絶滅したらしい。チューリッヒに本拠を置くバイジ研究財団が、1997年に調査した時点で既に14頭まで激減しているのが確認されていたが、昨年12月の調査では、3500キロにわたる流域に一頭も発見できなかった。この結果を踏まえて、財団代表のプフルーガー氏が、このたび絶滅宣言を出したのである。

李陵は蘇武に遅れること1年後、匈奴との戦いに向かった。李陵を遣わした武帝は始め、李広利の輜重部隊として使うことを考えていたが、これに対し李陵自ら前線での戦闘を希望し、歩兵5000を授けられて北へと向かったのであった。

蘇武は李陵とともに、漢武帝の時代に生きた武人である。天漢元年(紀元前100)、匈奴との和睦のために遣わされたが、匈奴の内紛に巻き込まれて抑留された。匈奴の単于に勇気を買われて帰順することを進められても節をまげず、生涯漢に忠節を尽くした。その姿勢が、愛国者としての蘇武のイメージを、長らく中国人の中に定着せしめてきたのである。

一般人にとっても、宇宙ホテルの窓から地球を眺められる時代がやってきそうだ。スペインの建築家兼実業家サヴィエル・クララムント Xavier Claramunt 氏は、ホテル仕立ての商業用衛星を2012年までに打ち上げ、ツアー客に二泊三日の宇宙クルーズを楽しんでもらう計画だという。

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」から「子守の歌」 Nurse's Song (壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」から「聖なる木曜日」 Holy Thursday(壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」から「スクール・ボーイ」 The School Boy (壺齋散人訳)

デジャ・ヴュ Déjà Vu とは、初めて見る光景なのに、それがまるで以前に見たことのあるように、おりありと迫ってくる心理的体験である。日本語では、「既視感」などと表現される。

地球に似た軌道を描く惑星が発見された。その星は、地球から300光年離れたペルセウス座の一角にある赤色巨星の周りを、地球と同じくほぼ1年かけて回っているという。

毎年の夏の夜空を彩るペルセウス座流星群が、今年は例年に増して鮮やかなショーを見せてくれそうだ。というのも、流星現象がピークに達する8月12日の日曜の夜から月曜の夜明けにかけては新月にあたっていて、月光に邪魔されることがないからだ。昨年はその明るい月光のために、流れ星は明るさを打ち消されてしまったが、今年は暗い夜空を背景に、花火のように鮮やかなショーを見せてくれるに違いない。

ヘラクレイトスはイオニアのギリシャ諸都市の一つエペソスの人で、紀元前500年頃に活躍したし思想家である。イオニアの人ではあるが、ミレトス派の説とは異なった独特の思想を作り上げた。「万物の根源は火である」というのが彼の思想の核心であり、また「万物は絶え間なく流転する」とも説いた。

「黄金時代」は、アルチュール・ランボーの韻文としては最後のもので、彼の一つの到達点をしめしている。だが、その内容は錯乱に満ちており、なまじな解釈を拒むものをもっている。

2007年8月7日(火)夜、サンフランシスコ・ジャイアンツのスラッガー、バリー・ボンズ(43)が大リーグのホームラン記録を塗り替える歴史的な一発を放った。1976年にハンク・アーロンが記録した755本という数字を、31年ぶりに更新したのだ。

「言葉の錬金術」に「永遠」を載せるにあたって、ランボーは次のように書いている。

ネット上の仮想空間 Second Life が急速に膨張している。フィリップ・ローズデール Philip Rosedale が2001年に立ち上げて以来、最初の数年間は緩やかな伸びで、2006年までの登録者は150万人だったものが、過去一年間に800万人、この2ヶ月間に200万人という具合に、加速度的に増加している。この調子だと2011年までに、世界中のインターネット利用者の5分の4、数にして16億人がSecond Lifeを利用するようになるだろうと予測されている。

漢の武帝が晩年愛した女性に李夫人がいた。武帝が秋風辞の中で「佳人を懷うて忘る能はず」と歌ったその佳人であるとされる女性だ。彼女の一家は倡と呼ばれる芸能民だった。

東方朔は能の曲目にも取り上げられているから、日本人には古くから馴染みの深い人物である。能においては仙人ということになっているが、実在の東方朔は漢の武帝に仕えた侍従であった。

ウィリアム・ブレイクの詩集「無垢の歌」から「他の人の苦しみ」 On Another's Sorrow(壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイク詩集「無垢の歌」より「生まれた喜び」Infant Joyの歌。壺齋散人訳。

ウィリアム・ブレイク詩集「無垢の歌」より「羊飼い」The Shepherdの歌。壺齋散人訳。

「無垢の歌」 Songs of Innocence は、ウィリアム・ブレイク William Blake 1757-1827 の詩集である。Nursery Rhymes の伝統を踏まえ、わらべ歌の新しい境地を開こうとしたものだ。

先稿「肥満の科学」では、肥満の生理的側面について考察した。人間の食物摂取行動には、それを促したり抑制したりするメカニズムが遺伝的にビルトインされており、DNAやホルモンの働きによって、空腹を感じたり満腹したりする生理的な過程を反復しているというものだった。

アメリカロードアイランド州のある医療施設には、不思議な能力を持った猫がいるそうだ。その猫は患者の死期が近付くと、決まってその患者のもとに現れ、患者の死を見取るというのである。だから逆に、その猫がやってくると、担当の医療スタッフは患者の死が差し迫っていることを予想し、臨終の準備をするのだそうである。

哲学史においてピタゴラスの果たした役割は、実に複雑で含意に富んだものであった。ピタゴラスは一方では、例の三角形に関する定理で知られるように、数学とくに幾何学の分野において顕著な功績を残した。他方では、オルフェウス教団と関係があると見られる、特異な宗教的運動をも率いており、参加する者たちは「ピタゴラスの徒」と呼ばれ、原始共産制を思わせる共同生活を行っていた。

2007年の参院選は自民党大敗の結果をもたらした。マスメディアの中にはこれを歴史的大敗などと大げさに表現するものもある。

「至高の塔の歌」は、「涙」や「永遠」とともに、1872年5月、パリのムシュウ・ル・プランス街の屋根裏部屋で書かれた。この部屋のことは、同年6月エルネスト・ドラエイにあてた書簡の中で、ランボーは次のように書いている。

1872年の5月から6月にかけて、ランボーは多産な詩作活動をした。周辺から孤立してパリで生活する手立てを失ったランボーは、いったんシャルルヴィルの家に戻ったのであるが、この年の5月半ばにパリに来てからは、旺盛な創作意欲を示した。ランボーが韻文で創作する最後の時期でもあった。



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