本所の祭:五年に一度の牛嶋神社大祭を見る

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東京の祭は、都市全体が共同で集中的に行うものはないかわりに、地域ごとに残っている伝統的な祭が、夏から秋にかけて、あちこちで断続的に行われ、それぞれに季節を彩っている。

代表的なものは、江戸三代祭といわれる神田明神祭、日枝山王祭、深川八幡祭で、このほか近年とみに賑やかになり、東京の祭の代名詞ともなった浅草の三社祭をはじめ、小規模な祭が方々の地域で催される。それらは、江戸時代以来の伝統を持つ市街地(旧東京市の15区をカバーする)を中心に、それぞれの地域の氏神たる神社が主催して行うものが殆どである。

江戸時代の祭は、広重の絵にも描かれているとおり、山車の行列が中心であったが、近年は神輿を担ぐのが流儀となっている。神輿は地域によってバラエティがあり、担ぎ方や掛け声にも工夫がある。浅草では「ソイヤ、ソイヤ」と威勢よく声を上げ、深川では「ワッショイ、ワッショイ」と伝統をまもった掛け声をあげる。品川の天王祭では、神輿に太鼓を結わえ付け、それをたたきながら担ぎまわるといった具合である。

東京の祭は、神田明神と山王の祭が交互に隔年ごとに行われるように、毎年派手に実施されることは少なく、二年に一度あるいは三年に一度大祭を行うものが殆どである。なかでも本所の祭は、五年に一度しか行われない。今年はちょうどその大祭の年にあたっているというので、祭好きの筆者はドラマを求めて見物に出かけてみた。


本所の祭は牛嶋神社大祭といわれるように、牛嶋神社の氏子たちによる祭である。その氏子区域は、旧本所区の大部分、今日の墨田区の南半分をほぼカバーする。この地域は、江戸時代には武家屋敷が多かったところだ。明治維新以降に商工業の街になった。だから庶民的な祭が大々的に行われるようになったのは、明治以降のことかもしれない。

他地域の多くの祭と同様、本所の祭も神幸祭と神輿の連合渡御からなっている。神幸祭は鳳輦が各町内を巡行するものであるが、なにしろ氏子区域が広いので、一日では回りきれず、二日かけて巡行する。筆者はその二日目の土曜日(9月15日)の午後、まずこの行列を見に行った。

炎天の下、暑さに喘ぎながら、錦糸町の駅から歩き始め、春日通り界隈で行列に出会った。先頭を行く旦那衆のあとから、(ここでは深川のように木遣を歌い続けることはしないらしい)牛に引かれた鳳輦がやってくる。牛嶋神社だから牛が出てくるのかも思えばそうでもない。このように牛に鳳輦をひかせるのは、神田明神や亀戸天神でも同様である。牛は暑さが苦しいのだろう、或は長旅に疲れていたのかもしれない、「もー、もー」とひっきりなしに泣き声をあげる。鳳輦の後ろには子牛がつきしたがっていて、これも親牛に呼応して泣き声をあげる。

子牛の後からは天狗の面相をした猿田彦がやってくる。普通猿田彦といえば鳳輦を先導するものであるが、ここでは何故か鳳輦にぶら下がっている形である。猿田彦の周囲には、稚児装束に着飾り、金色の冠をかぶった少女たちが歩く。みな鼻筋に白い線を引いてもらい、晴れ晴れとした表情をしている。

このほかには幟や神社太鼓が続くのみで、馬に乗った神官やら、派手な作り物やら、他の地域で眼にするようなものはない。ごくあっさりとした行列であった。


翌日曜日は町内神輿の連合渡御が行われた。氏子区域が広いこともあって、神輿の数は五十基に上る。それらが三つの方面に別れ、順次神社に向かってパレードをなし、次々と宮入をする。

この日午前中は、両国、亀沢など南部方面、午後には、吾妻橋、東駒形など中部方面と神社周辺の北部方面の連合渡御と宮入が行われた。筆者はそのうち中部方面の宮入を見物した。

渡御のパレードは一箇所に集合した後三目通りを北上し、水戸街道から参道に入って神社本殿に宮入する。どの町内の行列も先頭に、江戸奴風に装った粋な姐さん衆を立て、その後に囃し方の屋台と神輿が続く。延々と続くパレードは広い通りの半分を塞ぐ。

神社は広い区域のほぼ北端に位置しているから、両国など南部の地域からだと、道のりも長い。そこを神輿を担いで宮入するのであるから、担ぎ手たちもさぞ疲れることだろう。だが、宮入する人たちの表情には、喜びはあっても疲労の色はない。

筆者は鳥居の足にあたる小高いところに陣取って、次々と宮入する神輿を撮影し続けた。カメラに収めた人々の表情はいずれも絵になるものであった。


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