2007年10月アーカイブ

ボードレール Charles Baudelaire(1821-1867) は19世紀フランス文学を代表する詩人たるに留まらない。その影響は19世紀後半以降のフランス文学を超えて、世界中に及んだ。とりわけ19世紀末の世界の詩人たちをひきつけたデカダンスの文学はことごとく、ボードレールの落とし子だったといってよい。

ヨーガが静かなブームを引き起こしている。もともと年配の人を中心に行われていたが、最近は若い人にも人気があるという。心身のバランスを追及する人から、フィットネス気分で行う人々まで、幅広い層に浸透しつつあるようだ。

陶淵明「飲酒二十首」から其八「青松在東園」を読む。

陶淵明「飲酒二十首」から其七「秋菊有佳色」を読む。

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「愛の園」 The Garden of Love (壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「ゆりの花」The Lilly の歌(壺齋散人訳)

人にとって生きる喜びはセックス、つまり男女の交わりに発する。人に限らずあらゆる生き物にとって、繁殖は己の存在を超えて種の保存につながるものだ。どんな生き物でも、それに自分の存在の殆どをかけて格闘している。植物もそうだ。動物もそうだ。これは2倍体として生まれたものの宿命のようなものなのだ。だから神の摂理は、生き物たちのために、生殖の営みに生きる喜びを与え給うたのだ。

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「ひまわりの歌」 Ah! Sun-flower (壺齋散人訳)

古代日本における婚姻と家族のあり方が、近年まで支配的であった嫁取り婚、つまり女が男の家に嫁ぐといったあり方とはかなり様相を異にしていたことは、文献その他を通じて広く理解されるようになってきた。

プラトンが西洋哲学に及ぼした影響は計り知れないものがある。その説は、一部はアリストテレスによってソフィスティケートされて、その後の西洋的な知の枠組みを制約し続けてきた。それは一言では言い表せないが、現象を理解する際の概念的で論理的な方法であり、また世界の本質を理念的なものとしてとらえる態度であるといえよう。

万葉集全二十巻の冒頭を飾るものは、雄略天皇の御製歌とされるものである。万葉集の編者が雄略天皇の歌を以て、冒頭を飾るに相応しいと考えたのには、それなりの理由があったのだろう。この天皇には、多くの伝承歌が結びついて伝わっており、いわば日本古代のおおらかな気分が、この天皇のうちに体現されているとも思えるのだ。

パリの空の下 Sous le ciel de Paris は「望郷」Pépé le Moko で知られる映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエ Julien Duvivier が1951年に公開した同名の映画の主題歌である。もともとはジュリエット・グレコ Juliette Greco が歌っていたが、エディット・ピアフ Edith Piaf やイヴ・モンタン Yves Montant も歌い、むしろグレコより人気を博した。

17世紀オランダ絵画の巨匠フェルメールの傑作「牛乳を注ぐ女」が、完成したばかりの国立新美術館で公開された。日頃フェルメールの絵を愛してやまない筆者は、早速乃木坂の美術館まで足を運んだ次第だ。フェルメールの絵を見る楽しみは無論、黒川紀章の設計した美術館がどんなものか、見たくもあったのだ。

陶淵明「飲酒二十首」から、其五「結廬在人境」を読む。

陶淵明「飲酒二十首」から、其四「栖栖失群鳥」を読む。

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」Songs of Experience から「愛らしいバラの木」 My Pretty Rose Tree (壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「トラ」The Tyger (壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイク詩集「経験の歌」 Songs of Innocence から「天使」の歌 The Angel

メンデルの法則が1900年に再発見されて以来、科学者たちは遺伝子があらゆる生き物の生物学的な基礎になっていると考えてきた。人間についても同様で、細胞の中に存在している遺伝子という実体が、あらゆる人を生物学的に条件付けていると考えられた。

ソクラテスの方法はディアレクティケー(弁証法)と呼ばれるものである。この言葉は近代に至ってヘーゲルが自分の方法として用いるようになったので、また別の色合いを持たされるようにもなったが、もともとは弁論・弁証を通じて、真理とは何か、徳とは何かについて、考究しようとする方法であった。

エディット・ピアフ Edith Piaf が歌ったシャンソン「三つの鐘」 Les Trois Cloches (壺齋散人訳)

「愛の讃歌」 L’hymne a l’amour は「バラ色の人生」 La vie en rose とともに、エディット・ピアフ Edith Piaf の代表的な曲である。ピアフ自ら作詩した。

前稿「世界がコシヒカリを作り始めた」のなかで、NHKの報道番組を紹介しながら、日本の米をめぐる現状とその行方について考え、確固とした農業政策の必要性を痛感した。NHKは更に、政府による農業政策がどのように行われ、どのような結果をもたらしているかを、改めて取り上げているので、今回はそれを材料にしながら、日本の米と生産者の未来について考えてみたい。

陶淵明「飲酒二十首」から其三「道喪向千載」を読む。

陶淵明「飲酒二十首」から其一「衰榮無定在」を読む

コシヒカリは今や、世界最高級の米のブランドだ。モチモチとして歯ごたえのある食感が、日本人だけでなく世界中の人々の味覚をとらえている。これまで栽培の難しさから日本以外では作るのが困難だとされていたが、最近では技術が向上して、世界のあちこちで作られるようになった。

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「ハエ」Little Fly の歌。(壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」Songs of Experience から「病気のバラ」 The Sick Rose(壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「子守の歌」 Nurses Song を読む。(壺齋散人訳)

2007年のノーベル医学賞は、カペッキ Mario R. Capecchi 、スミシーズ Oliver Smithies 、エヴァンズ Sir Martin J. Evans の三氏に贈られた。受賞理由は、ノックアウトマウスというネズミを用いて人間の遺伝子研究を飛躍的に発展させたというものだ。

「饗宴」は、プラトンの作品の中でも最も知られているものだ。テーマが「エロス」つまり愛とか恋とかいわれるものであり、ギリシャ風の宴会スタイルにのっとって、出場者たちが次々と珍説を展開していくという筋運びが、わかりやすくまた艶めいてもいるからだろう。

「バラ色の人生」 La Vie en Rose はエディット・ピアフ Edith Piaf の代表作であるにとどまらず、シャンソン史上の記念碑ともいうべき歌である。1946年にピアフがこの歌を歌いだすや、瞬く間に世界中の人々の心を捕らえた。

エディット・ピアフ Edith Piaf (1915-1963) といえばシャンソンの女王といわれ、20世紀のシャンソン界を象徴する存在だ。その伝記を題材にしたフランス映画が上映されると聞き、大のピアフ・ファンである筆者は早速見に行った。

幸福とはどのような状態をさしていうのだろうか。まず思い浮かぶのは不足がないこと、あるいは進んで自分の置かれている状況に満足していることであろう。とはいっても、すべての人間が不足なく満足する事柄ばかりに囲まれて生き続けることは、そう簡単ではないから、不足より満足の度合いが高い状態をもって幸福というべきだろうか。

陶淵明といえば、田園や隠逸、反俗といったイメージとともに、酒のイメージが欠かせない。酒を歌った中国の詩人としては、李太白と並んで双璧となすべきだろう。

祭文とは儀式にあたって読み上げられる文章である。原則として散文でつづられた。雨乞いなどの際に作られることもあるが、多くは葬儀にあたって読み上げられたようである。

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「煙突掃除の男の子」 The Chimney Sweeper の歌を読む。(壺齋散人訳)

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「見つかった女の子」の歌 The Little Girl Found (壺齋散人)

ウィリアム・ブレイクの詩集「経験の歌」 Songs of Experience から「迷子になった女の子」 The Little Girl Lost を読む。(壺齋散人訳)

いびきは、かく本人は殆ど自覚することがないが、周囲のもの特に配偶者にとっては悩みの種だ。亭主のいびきに悩まされて、睡眠不足に陥る妻はばかにならない数にのぼるだろう。二人一緒にかけば互いに気にならないだろうと思っても無益である。運悪く目覚めてしまったほうが貧乏くじを引くだけだ。

ソクラテスがアテナイの法廷によって裁かれ、死刑判決を受けたのに対して、弟子のクセノポンとプラトンは師を擁護するための弁明の書を書いた。クセノポンは旅行先にあって裁判の様子を見てはいなかったが、プラトンの方は法廷での様子を身近に見ていた。したがって、プラトンの「ソクラテスの弁明」は、法廷におけるソクラテスの様子や、そこで自ら述べたであろう主張を、忠実に伝えているとされてきたのである。

日本人の墓

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今日われわれ日本人の間に普通に行われている墓の形式は家族墓と呼ばれるものである。寺院あるいは公共の墓地の一角に墓石を立て、その表面に○○家の墓と標すのがもっとも一般的だろう。墓石の下には納骨用のスペースが設けられていて、そこに壺に収めた骨を埋葬する。数世代が眠るには適した空間だ。

晩年のヴェルレーヌは酒びたりのただれた生活を送った。梅毒のために健康がさいなまれもし、病院を出たり入ったりもした。だが、詩人としての名声はようやく高まり、彼のもとには若い詩人たちが集まるようにもなった。

横浜の寿地区といえば、東京の山谷地区と並んで関東でも最大規模のドヤ街だったところだ。「ところだ」と過去形で書くのには多少のわけがある。かつては100軒以上の簡易宿泊所が立ち並び、職を求めて全国から集まった日雇い労働者が、一帯にあふれていたものだが、今ではそうした労働者もめっきり減り、しかも高齢化が進んで、ドヤ街特有の活気が失われてしまったのである。

陶淵明は晩年、自分自身のために挽歌を作った。擬挽歌詩三首がそれである。何のために、自分自身の死を悼む詩をつくったのか。単なる遊び心からか、それとも陶淵明一流の空想が働いたか。解釈は様々になされうるが、中国史上にも例を見ないユニークな思いつきであることに違いはなかろう。

陶淵明は自分自身を形影神、つまり身体と影と精神の三つに分解し、それぞれに話をさせるという珍しい手法を用いて詩を作った。「形影神」がそれである。



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