幸福の度合い:限界満足逓減の法則

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幸福とはどのような状態をさしていうのだろうか。まず思い浮かぶのは不足がないこと、あるいは進んで自分の置かれている状況に満足していることであろう。とはいっても、すべての人間が不足なく満足する事柄ばかりに囲まれて生き続けることは、そう簡単ではないから、不足より満足の度合いが高い状態をもって幸福というべきだろうか。

この理屈を以てすれば、ある人間が幸福か不幸かを測る基準は、その人間の満足の総和が不足あるいは不満の総和を上回っているか、それとも下回っているかという、量的なものに帰着するだろう。総和を構成する因子には、必ずしも物質的なものにとどまらず、精神的な満足も含まれる。いずれにせよ、双方のバランスの問題ということだ。

普通我々は、金持ちのほうが貧乏人より幸福度が高く、北朝鮮の人よりアメリカ人の方が幸福だろうと考えているから、上の理屈は常識的な感覚にも合致しているように見える。

ところが人間というものは複雑な生き物らしく、単に幸不幸のバランスシートのみによっては、幸福であることの度合いを測れないようなのだ。

たとえば、ある日突然交通事故に巻き込まれ半身不随になった人がいるとしよう。その人は歩くことはもとより、物も掴めないほど不自由な身体になってしまった。常識的な受け止め方をすれば、非常に不幸な人ということになる。しかもその不幸は生涯にわたってその人に付きまとう。

だがこの人が生涯絶望に覆われて生き続けるのかというと、そうとばかりもいえない。障害の状態が劇的によくなることは無論考えられないが、リハビリによって少しずつ機能が回復するかもしれない。その人はそのたびに喜びを覚え、生きる気力が湧いてくるだろう。また、そのほかの小さな出来事が喜びをもたらし、その人を幸福であると感じさせるかもしれない。

一方高級マンションに住み、何一つ不自由のない暮らしをしている人でも、隣人が若くてきれいな奥さんを持ち、幸せそうなのをみると、自分のほうが生きる喜びに乏しく、したがって不幸だと感ずるかもしれない。

どうも幸福感というのは、幸福を構成する因子の総和というより、相対的な感覚のようなのだ。この場合他者との比較は最も重要な要素だが、自分自身の日々の状態の変化も作用する。

今日の生活に、昨日までなかったポジティヴな幸福要素が加わると、昨日に比較して自分はより幸福になったと感じられる。そのような要素がないと、生活は変化に乏しいものになり、そこにマンネリを感じたり、閉塞感を抱くようにもなる。

人間というものは常に刺激を求めているものだ。その刺激がポジティヴであると、人は幸福感を感じるらしい。

ところで、現在の生活に対して新たに加わるポジティヴな要素は、経済学でいう限界効用の理論を応用して、限界満足ということができる。経済理論が教えているように、限界効用は逓減する傾向を持っている。同じことは限界満足にもいえそうだ。

現在の状態に不足があれば、それを満たすための限界満足の効用は大きい。それに対して、現在の状態がある程度満たされていれば、それに加わる満足の効用は比較的に小さくなる。こうした現象を限界満足逓減の法則と呼ぶことが出来よう。

貧しい人はわずかの満足でも幸福感を得る度合いが大きく、金持は欲求水準が高いために、なまじなものでは満足させられることがない。同じ効用をもたらす満足でも、それを受ける人の状態によって、異なった効果をもたらすのである。だから金持ちが幸福であることを維持するためには、たえず高い水準の満足を求め続けなければならない、これがこの法則の説明するところである。

一方、人を不満にさせる因子は数限りなくある。しかもそれらには、満足に見られるような法則性はない。人はちょっとしたつまらぬことに一日中腹を立てたりするかと思えば、重大な裏切りに直面しても、それを許す場合もある。

満足の度合いが、現在の状態と比較しての相対的なものなのに対して、不満のほうは絶対的なものとして人間に迫ってくる。どんなに満ち足りて、人の羨望の的になっている人でも、たった一つのことがその人を立ち上がることができないほど打ちのめすことがある。

不幸の種をどう受け止め、それに対してどう反応するかは、その人の人格や生き方と大きな係わりをもっている。人が幸福であり続けることは、なかなか複雑なことであるようだ。


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