中世日本の食生活:日葡辞書と宣教師報告

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日本の中世は普通、院政期から織豊時代までをさし、非常に長い期間をカバーしているので、一律に論ずることはできない。しかも南北朝時代を境に、日本の文化のあり方がドラスティックに変化したとされるので、なおさら一つの時代区分として論ずることは危険である。

日本の食文化についても同じようにいえる。中世前期は資料に乏しく、その概要をうかがうことは困難であるが、一般人民はおおむね平安時代の食生活の延長線上にあったのではないかと思われる。ところが、中世後期になると、米を主食にして、魚介類や野菜、味噌汁で食事をするというパターンが確立し、ほぼ今日まで伝わる日本人の食生活の原型が出来上がった。

中世後期の日本人の食事の概要については、当時日本にやってきた宣教師たちの報告や、ポルトガル人が作った「日葡辞書」の中に、不十分ながら記載されている。それらを読み解くことによって、その時代の食生活の一端に触れることができる。

まず16世紀に来日したイエズス会士たちの報告に目を通してみよう。

―食事は節制し、常食は米および野菜にして、海辺に住むものは魚を食す。彼らは互いに饗応するを常とし、飲むことにつきては大なる儀式あり。(永禄8年ルイス・フロイス書簡)

ここには、当時の日本人が、米を主食にして、野菜や魚介類をおもに食べていたことが記されている。米は弥生時代以来日本人のもっとも好んで食べた穀類であるが、生産性の限界のために、十分食うことを得なかった。日本人は米で足りない部分を稗や麦などの雑穀で補っていたのであるが、中世後期に至ると、米の生産性も上がり、主食としての重要性がかつてなく高まったのである。

海辺に暮らすものは魚を食すとあるが、内陸部のものも、淡水魚のほか、干物にした魚を食っていたと思われる。だからこの時代には、米を主食にし、野菜と魚介をおかずにするパターンが確立したようにも読み取れる。

一方、饗応についての記述があるが、これは古来日本人がハレとケを区別し、ハレの日にはご馳走を振舞いあったことの日本的な伝統について触れているのであろう。

―本来甚だ肥沃にして僅かに耕作することにより、多量の米を得、即ち当国の主要なる食料なり。又、麦、粟、大麦、カイコ豆、其の他豆類数種、野菜は蕪、大根、茄子、萵苣のみ、又、果物は梨、石榴、栗等あれども甚だ少なし。肉は少なく、全国民は肉よりも魚類を好み、其の量多く、又、甚だ美味にして佳食なり。(永禄9年ビレラ書簡)

ここでも、当時の日本人が米を主食に野菜と魚類をおもに食っていたことへの言及がある。野菜や果実の種類が少ないといっているが、これはおそらく栽培されているものとしてはこの程度だったということを意味しているのであろう。実際には、野に摘む野菜や果実はずっと豊富だったと思われるのだ。

ついで、「日葡辞書」に目を転じてみると、米のほかに大麦、小麦、粟、黍、粺などが用いられていることがわかるが、これらは前時代のように、米の不足を補うというよりは、新たな形の間食として食われていたらしいのである。小麦は麺類や饅頭として、黍は団子にしてといった具合である。もっとも米の生産が常に安定していたとはいえないから、必要に応じてこれらのものが主食を補完したことはあっただろう。

米の食い方についていえば、平安時代以来強飯が主流であったものが、日葡辞書には強飯としては赤飯への言及しかない。この時代に、米は今日のように炊きあげて食うものへと変化したのだろう。

野菜類については、栽培野菜は少なく、殆どは野に生えているものがあげられている。これは先のビレラの報告と符合する事実である。

魚介類についての記載は実に豊富なのに対して、獣肉や禽獣類については、食用としての記述は少ない。また牛や豚などの家畜はほとんど食されておらず、イノシシやシカなどの野生の動物を捕獲して食っていた。これら野生動物を食うことについては、すくなくとも中世前期までは盛んに行われていた。それが中世後期に至って激減するのは、米と野菜と魚介類という日本人の食事パターンがこの時代に確立されたことと無縁ではないのであろう。

調味料として、醤油と味噌が今日のような形になったのも、中世後期である。これらの調味料を用いて野菜や魚介類を調理し、米とともに食うという日本的な食文化は、この時代に形成されたといえる。それにともない、本膳料理や懐石料理も発達し、日本の食文化は新たな時代へと入るのである。

(参考)
・ 原田信男「中世村落における食生活の様相」
・ 渡辺正「邦訳日葡辞書を通してみた安土桃山時代の食生活」


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