代耕は本より望みに非ず(陶淵明:雜詩其八)

| コメント(0) | トラックバック(0)

陶淵明の詩から雜詩其八「代耕は本より望みに非ず」を読む。


雜詩其八

  代耕本非望  代耕は本より望みに非ず
  所業在田桑  業とする所は田桑に在り
  躬親未曾替  躬 親から未だ曾て替(おこ)たらざるに
  寒餒常糟糠  寒(こご)へ餒へて常に糟糠
  豈期過滿腹  豈に滿腹に過ぐるを期せんや
  但願飽粳糧  但だ願ふ粳糧に飽き
  御冬足大布  冬を御ぐに大布足り
  粗絺以應陽  粗絺 以て陽に應ぜんことを
  正爾不能得  正に爾るをすら得る能はず
  哀哉亦可傷  哀しい哉 亦傷む可し
  人皆盡獲宜  人皆盡く宜しきを獲たるに
  拙生失其方  拙生 其の方を失ふ
  理也可奈何  理也 奈何すべき
  且爲陶一觴  且く爲に一觴を陶(たの)しまん

役人生活はもとより望みではない、自分の生業は農耕にあると心得ていた、しかし自分ではまじめにやっているつもりなのに、いつも凍え、また飢えて口にするのは糟(ぬか)や糠(かす)ばかり

別にたらふく食うことを願うわけではない、ただ米の飯を十分に食い、冬の寒さを防ぐに足る大布があり、夏の日差しをさえぎるくず布があれば足りるのだ、ところがそれさえもかなわない、悲しい限りだ

世間の人はみなうまくやっているのに、自分だけが生きる手だけに欠けがちだ、まことにどうなっているのかわからぬ、今のところはせいぜいいっぱいの杯で憂さ晴らしをしよう


代耕は官吏の俸給、そこから転じて役人生活をさす、陶淵明は役人生活をやめて田園暮らしを選んだが、それが心ならずも穏やかでないことを嘆いている


関連リンク: 漢詩と中国文化陶淵明雑詩十二首


  • 五柳先生伝(陶淵明:仮想の自叙伝)

  • 責子:陶淵明の子どもたち

  • 陶淵明:帰去来辞

  • 帰園田居五首:田園詩人陶淵明
  • 桃花源記 :陶淵明のユートピア物語

  • 閑情賦:陶淵明のエロティシズム

  • 形影神(陶淵明:自己との対話)

  • 擬挽歌詩:陶淵明自らのために挽歌を作る

  • 自祭文:陶淵明自らを祭る

  • 飲酒二十首

  • 中国古代の詩:古詩源から

  • 秋瑾女史愛国の詩:寶刀歌





  • ≪ 家は逆旅の舍なり(陶淵明:雑詩其七) | 漢詩と中国文化 | 王維、陶淵明を歌う:偶然作其四 ≫

    トラックバック(0)

    トラックバックURL: http://blog.hix05.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/520

    コメントする



    アーカイブ

    Powered by Movable Type 4.24-ja

    本日
    昨日

    この記事について

    このページは、が2007年12月18日 21:07に書いたブログ記事です。

    ひとつ前のブログ記事は「家は逆旅の舍なり(陶淵明:雑詩其七)」です。

    次のブログ記事は「エキゾチックな香り Parfum exotique :ボードレール」です。

    最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。