2008年1月アーカイブ

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「パイプ」 La Pipe を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「梟」 Les Hiboux を読む。(壺齋散人訳)

管理職といっても名ばかりで、実態は一般従業員と異ならず、長時間の残業を強いられながら手当ての支給もない、これはおかしいと裁判に訴えていた男がいるが、その一審判決が東京地裁から出された。判決は原告の言い分をほぼ全面的に認め、雇用主のマクドナルド・ハンバーガー社に未払いの残業手当2年分750万円を支払えと命ずるものだった。

陶淵明擬古九首から其九「種桑長江邊(山河忽ち改まる)」を読む。

陶淵明擬古其八「少時壯且厲」を読む。

ここ数年間における天文学の進歩は目を見張るばかりだ。地球からはるか彼方にある惑星が次々と発見されているのはその象徴的な出来事である。最近日本ではUFO論議が盛んになっているが、それは、このような惑星に高度な知性を備えた生き物がいるかもしれないという予測が、現実味を帯びて語られるようになったからだろう。

パーシー・B・シェリーの詩「オジマンディアス」を読む。(壺齋散人訳)

パーシー・シェリーの詩「美の讃歌」 Hymn to Intellectual Beauty を読む。(壺齋散人訳)

パーシー・ビッシュ・シェリー Percy Bysshe Shelley (1792-1822) はイギリス・ロマンティシズムを代表する詩人である。イギリスのロマンティシズムは、ウィリアム・ブレイクによる先駆的な業績を皮切りにして、ウィリアム・ワーズワースとサミュエル・コールリッジによって本格的な動きとなり、19世紀初頭に至って、シェリー、キーツ、バイロンといった天才的な詩人たちを輩出した。

そばといえば普通蕎麦屋で食うものだ。もちろんスーパーでそば玉を買ってきて、自分で茹でて食うこともできるが、何となく味気がない。そばはやはり蕎麦屋で食うからうまいと感じるのは、筆者だけではあるまい。

アリストテレスの自然哲学は、プラトンに集約されたギリシャ古来の伝統的自然観にアリストテレス独自の「質量―形相」の理論を接木したものである。それは一言でいえば、人間を頂点とした目的論的自然観であったといる。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「猫たち」 Les Chatsを読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「幽霊」 Le Revenantを読む。(壺齋散人訳)

一億三千五百万年前から約七千万年間続いた白亜紀が、六千五百万年前に突然終了し、それとともに恐竜類も滅びたことに関しては、先稿「恐竜を絶滅させた巨大隕石」で述べたように、太陽系の中で発生した隕石がユカタン半島に激突した結果、地球環境が激変したことに主要な原因があることについて、ほぼ異論がないところであろう。

陶淵明擬古九首から其七「日暮天無雲」を読む。

陶淵明擬古九首から其五「東方有一士」を読む。

アメリカ・カリフォルニア州の企業が、ヒトのクローン胚の形成に成功したというニュースを発表し、世界を騒がせている。不妊治療中の女性から取り出した卵子をもとに、その固有の細胞を取り除いた上で、実験者の皮膚から取り出した細胞を植え込んだ結果、成熟したクローン胚に成長したという。妊娠後五日目の胚に相当するそうだ。このまま女性の子宮におけば、実験者の遺伝子を受け継いだクローンベビーが生まれてくるだろう。

イギリスではいま、双子の兄妹であることを知らずに結婚したカップルの悲劇が人々の同情を誘っているそうだ。AFPの伝えるところによると、このカップルの話は、人間の生殖と人工授精を議論する国会の場において、オルトン上院議員によって始めて紹介された。

ウィリアム・ワーズワースの詩「雲雀に寄す」 To the Skylark を読む。(壺齋散人訳)

ウィリアム・ワーズワースの詩「浮世のこと」 The world is too much with usを読む。(壺齋散人訳)

今日我々日本人の平均的な食卓のイメージとしては、ダイニングルームの一角に家族の規模に応じた洋風のテーブルが据えられ、それを囲んで家族が椅子に腰掛けて食事をとるといったものだろう。洋風という形容詞がともなうように、この食卓洋式はそう古いことではない。せいぜい昭和40年代以降のものだ。折から高度成長に乗り、勤労者のための団地が相次いで建てられた。その団地生活を彩る一つの様式として、洋風の食卓が普及したのである。

アリストテレスの政治思想は「政治学」の中で展開されている。それはアリストテレスが生きてきたギリシャの都市国家での政治的実践を踏まえたもので、プラトンに見られたような極端な傾向に陥らず、当時の政治的常識といったものを反映しているといえるが、他方、アレクサンドロスによってギリシャ世界が併合され、新たな帝国主義的動きが勃興しつつあった世界の動きに対しては殆ど無頓着なものである

京都大学山中教授らのグループが人の皮膚細胞を用いて万能細胞を作り出したことから、再生医療が俄かに現実味を帯びてきた。教授らはこの方法を用いて、既にネズミの心臓に近いものを作り出しているそうだ。この分野はいまや世界中の研究者の間で功名争いの最前線になっており、誰が最も早く人間の臓器や組織を人工的に作り出せるか、厳しい競争が繰り広げられている。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「秋の歌」 Chant d'automne を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「旅への誘い」 L'invitation au voyage を読む。(壺齋散人訳)

売春は人類の歴史上もっとも古い職業の一つである。それはまた、人類にのみ見られるものだと考えられてきた。売春とは経済的な対価と引き換えに性的交渉をすることを意味し、そこには未来の確実性に対する予測や、ギヴ・アンド・テイクに関する比較考量といった精神的な過程が介在する。したがって高度な知性を備えるに至った我々人類の祖先にして、始めて行い得た行為と考えられてきたのである。

陶淵明擬古九首から其四「迢迢百尺樓」を読む。

陶淵明擬古九首から其一「榮榮窓下蘭」を読む。

暗いところで本を読むと近眼になるとか、髪の毛や爪は死んだ後でも伸び続けるとか、人間の身体に関する俗説がまことしやかに語られている。それらは日常の経験に支えられているように思われるので、医師の中にも支持するものがいるほどだ。だが厳密に調べると、医学的な根拠のないものが多いそうだ。

ウィリアム・ワーズワースの詩「水仙」 The Daffodils を読む。(壺齋散人訳)

ウィリアム・ワーズワースの詩「麦を刈る乙女」The Solitary Reaper を読む。(壺齋散人訳)

今年は北京オリンピックが開催される年だ。中国はその成功に国の威信をかけて、最終準備に取り組んでいるそうだ。かつて東京やソウルがそうであったように、オリンピックを開催することは、国際社会の中で一流国家の仲間入りすることを意味する。大方の高齢の中国人にとっては、自分たちが若い頃に、祖国が世界の一流国家入りすることなど考えられもしなかっただろう。

茶が日本で本格的に飲まれるようになるのは、栄西が茶の苗木を宋から持ち帰り栽培するようになってからである。当初は禅寺の中で、修行の一環として飲まれていたのが始まりらしい。茶とともに点心類も伝わり、茶と点心を用いて茶会が行なわれるようになると、その風習は寺院の内部から次第に一般に広まっていった。

アリストテレスの倫理学は、プラトンやソクラテスの倫理思想とは甚だ色合いを異にしている。プラトンとソクラテスが極めて理念的な倫理学を展開したのに対して、アルストテレスは同時代のギリシャ人の実際の生活に根ざした、常識的な議論を展開しているといえるのである。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「牡猫」 Le Chat を読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」Les Fleurs du Mal から「夕べのハーモニー」Harmonie du soir を読む。(壺齋散人訳)

陸游は南宋第一の詩人。宋が女真族の金によって侵略され、北土を失い江南によって南宋となったころ、その混乱に満ちた時代を生きた。中国が南北に分断された状況は、陶淵明の生きた南北朝時代と共通するものがあった。

北宋の大詩人蘇東坡は波乱に富んだ生涯を送った。若くして高級官吏となったが、政争に巻き込まれて何度も挫折し、左遷、下獄、追放を繰り返した挙句、晩年は南海の果ての海南島に流されている。

能「泰山府君」は、桜花爛漫の季節を舞台に、万物の生命を司るとされた道教の神泰山府君に、桜の命を永らえさせてもらおうという願いを歌い上げた曲である。これに天女が桜の枝を折るという趣向が付け加わり、話の筋に変化が生じている。後段では泰山府君が勇壮な舞働きを、天女が優雅な舞を舞い、小品ながら華やかで見ごたえのある作品である。

ウィリアム・ワーズワースの詩「ロンドン,1802」 LONDON, 1802 を読む。

ウィリアム・ワーズワースの詩「ウェストミンスター橋の上で」 Composed Upon Westminster Bridge を読む。

魚肉類を用いず穀物と野菜で調理する精進料理は、日本の食文化の中で長い伝統を有する。日本人は中世の頃まで、魚は無論獣肉も食していたのであるが、徳川時代には獣肉を食わなくなったために、精進料理もそれだけ洗練されるようになった。今日においても、和食に色を添えるものとして、確固たる位置を占めている。西洋風のベジタリアン趣味とは別の意味で、日常の食生活の中に溶け込んでいるのである。

現代日本人の間で行われている宴会は、主催者の挨拶と主賓の礼辞に始まり、乾杯を経て酒宴があり、最後は手締めで散会となる。酒宴の合間には時に応じて芸者の芸や、参会者の下手な余興が披露されて、参加する者たちの退屈を紛らわしたりするものだ。

演繹的推論としての三段論法に関する議論と並んで、アリストテレスの論理学が後世に及ぼした影響の中で重要なものは、カテゴリーに関する議論である。カテゴリーとは、存在のもっとも普遍的な規定であるような諸概念をさす。それは論理的に整理された存在の諸様相の一覧表であり、体系的な存在論の試みとして、後世の学者たちに受け取られてきた。

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「バルコニー」 Le Balconを読む。(壺齋散人訳)

ボードレール詩集「悪の華」 Les Fleurs du Mal から「猫」Le Chat を読む。(壺齋散人訳)

唐宋以降の中国の詩人たちにとって陶淵明は詩聖のごとき存在であったから、誰しもその体に倣った詩を作った。中でも白楽天は、陶淵明に心酔すること深く、陶淵明の生き方を強く意識していた。

今年平成二十年(2008年)は、暦の上では戊子の年にあたる。筆者がこの世に生まれて来たのは昭和23年、やはり戊子の歳であったから、今年は筆者にとっては暦が一巡する年、つまり還暦に当たる年である。いうまでもなく、暦が一巡するためには60年を要する。信長の時代には人生50年であったものが、今日では60年を生きることは珍しくなくなった。そのおかげをこうむって、筆者も暦上の一区切りの長さを生き永らえることができた次第である。



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