2008年4月アーカイブ

ステファヌ・マラルメの詩「鐘を撞く男」を読む。(壺齋散人訳)

  鐘が美しい音色をたてて
  朝の澄み渡った空気に響き渡り
  ラヴェンダーとタイムの花に囲まれ
  祈りを捧げる子どもに届く

白木蓮:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


筆者の家の庭には白木蓮の木が一本植わっていて、毎年3月には白くて大きな花を枝いっぱいに咲かす。梅に続いて春を知らせる花だ。香りも高い。ただ梅ほど上品ではなく、白粉のようなやや刺激のある匂いである。

古詩十九首から其十三「人生忽として寄するが如し」を読む。

  驅車上東門  車を上東門に驅り
  遙望郭北墓  遙かに郭北の墓を望む
  白楊何蕭蕭  白楊 何ぞ蕭蕭たる
  松柏夾廣路  松柏 廣路を夾む
  下有陳死人  下に陳死の人有り
  杳杳即長暮  杳杳として長暮に即く
  潛寐黃泉下  黃泉の下に潛み寐ねて
  千載永不寤  千載 永く寤めず
  浩浩陰陽移  浩浩として陰陽移り
  年命如朝露  年命 朝露の如し
  人生忽如寄  人生 忽として寄するが如く
  壽無金石固  壽には金石の固き無し
  萬歲更相送  萬歲 更も相送り
  賢聖莫能度  賢聖 能く度ゆる莫し
  服食求神仙  服食して神仙を求むれば
  多為藥所誤  多くは藥の誤る所と為る
  不如飲美酒  如かず 美酒を飲みて
  被服紈與素  紈と素とを被服せんには

古詩十九首から其十二「東城高く且つ長し」を読む。

  東城高且長  東城 高く且つ長く
  逶迤自相屬  逶迤として自づから相屬す
  回風動地起  回風 地を動かして起り
  秋草萋已綠  秋草 萋として已に綠なり
  四時更變化  四時 更ごも變化し
  歲暮一何速  歲暮 一に何ぞ速き
  晨風懷苦心  晨風 苦心を懷き
  蟋蟀傷局促  蟋蟀 局促を傷む
  蕩滌放情志  蕩滌して情志を放にせん
  何為自結束  何為れぞ自から結束する
  燕趙多佳人  燕趙 佳人多く
  美者顏如玉  美なる者 顏 玉の如し
  被服羅裳衣  羅の裳衣を被服し
  當戶理清曲  戶に當りて清曲を理む
  音響一何悲  音響 一に何ぞ悲しき
  弦急知柱促  弦 急にして柱の促れるを知る
  馳情整巾帶  情を馳せて巾帶を整へ
  沉吟聊躑躅  沉吟して聊く躑躅す
  思為雙飛燕  思ふ 雙飛燕と為りて
  銜泥巢君屋  泥を銜んで君が屋に巢くはんことを

ジョン・キーツの詩「愛していますとあなたはいう」 You say you love を読む。(壺齋散人訳)

  愛していますとあなたはいう
  尼僧のようにか細い声で
  尼僧は鐘の音に合わせて
  夕べの祈りを歌っている
  真実の愛をわたしにおくれ!

ジョン・キーツの詩「デヴォンのお嬢さん」 Where be ye going, you Devon maid? を読む。(壺齋散人訳)

  どこへ行くの デヴォンのお嬢さん?
  あなたのバスケットに入ってるのは何?
  ぷちっと可愛く 牧場からやってきたあなた
  わたしにクリームを少しわけておくれ

口先だけの男 A man of words (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  口先だけで実のない男は
  雑草だらけの庭のよう
  雑草が一面に生い茂ると
  庭は雪に埋もれたよう
  雪が本当に降り出すと
  壁にとまった小鳥のよう
  小鳥が空に飛び立つと
  さっそうとした鷲のよう

田舎者の男 A man in the wilderness (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  田舎に暮らしてる男が
  こんなことを僕に聞きました
  “海の中にはどれくらいの
  イチゴが生えているかの“
  そこで僕は答えました
  ちょっぴり気を利かしてね
  “森の中で泳いでいる
  ニシンの数と同じほどさ“

子猫ちゃん Pussycat, pussycat (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  子猫ちゃん 子猫ちゃん どこへ行ってたの
  ロンドンまで女王様に会いにいったの
  子猫ちゃん 子猫ちゃん そこで何をしたの
  女王様の椅子の下のネズミに噛みついたの

茎立ちした葉牡丹:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


葉牡丹は息の長い花である。既に正月には花壇を飾り、春まで咲き続ける。咲くとはいっても、我々が見ているのは花ではなく、葉の部分である。これが見事に色づいて、あたかも花を愛でているような感じになる。何しろ真冬の花に乏しい時期に、色とりどりの鮮やかさを楽しませてくれるのだから、花好きの人々にとっては欠かせない存在だ。

「興津弥五右衛門の遺書」と「阿部一族」を書き上げた森鴎外は、続いて「佐橋甚五郎」を書いた。その上で、この三作を一本にまとめ、「意地」という表題を付して出版した。当初「軼事篇」という表題を考えていたが、書店のアドバイスを容れて改めたのだという。三作の内容を的確に言い当てていると自身考えたのであろう。

トマス・アクィナス (1225?-1274) は中世最大のスコラ学者であり、キリスト教神学の歴史上もっとも重要な人物である。その業績は、神の存在の証明を中核として、神学、哲学、倫理学、自然学にわたり、中世人にとっての知のあらゆる領域をカバーし、カトリック的世界観を壮大な規模で展開した。

ステファヌ・マラルメの詩集「苦悩」Angoisse を読む。(壺齋散人訳)

  人間の罪に満ちた獣よ 今宵はお前の肉体を
  征服するためにきたのではない
  またお前の不純な髪を我が接吻で倦怠に包み
  悲しい嵐をかき回そうとも思わぬ

ステファヌ・マラルメの詩「空しい祈り」 Placet futile を読む。(壺齋散人訳)

  王女さま! へベが担いだ壺から水が流れ出し
  それがあなたの唇を潤すさまが妬ましくて
  わたしはわたしで火を使う でも司祭のようにではなく
  またセーブルの皿にあなたの裸体を描くこともしない

クリスマスローズ Christmas Rose :水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


クリスマスローズという名からクリスマスの時期に咲くのかと思うと、この花はそうではなく、冬の終わりから初春にかけて咲く。2月のようよう暖かくなり行く空の下に、ややうつむき加減に開いた白い花は、背も低く人目には目立たぬながら、春の近いことを知らせてくれる。しかも4月過ぎまで散りやらずして、清楚な姿を保ち続ける。

古詩十九首から其十一「盛衰各々時あり」を読む。

  回車駕言邁  車を回らせて駕して言に邁き
  悠悠涉長道  悠悠として長道を涉る
  四顧何茫茫  四顧すれば何ぞ茫茫たる
  東風搖百草  東風 百草を搖がす
  所遇無故物  遇ふ所 故物無し
  焉得不速老  焉んぞ速やかに老いざるを得んや
  盛衰各有時  盛衰 各々時あり
  立身苦不早  立身 早からざるを苦しむ
  人生非金石  人生は金石にあらず
  豈能長壽考  豈に能く長く壽考ならんや
  奄忽隨物化  奄忽として物に隨って化す
  榮名以為寶  榮名 以て寶と為さん

古詩十九首から其十「迢迢たる牽牛星」を読む。

  迢迢牽牛星  迢迢たる牽牛星
  皎皎河漢女  皎皎たる河漢の女
  纖纖擢素手  纖纖として素手を擢(あ)げ
  劄劄弄機杼  劄劄として機杼を弄す
  終日不成章  終日 章を成さず
  泣涕零如雨  泣涕 零ちて雨の如し
  河漢清且淺  河漢 清く且つ淺し
  相去複幾許  相去ること複た幾許ぞ
  盈盈一水間  盈盈たる一水の間
  脈脈不得語  脈脈として語るを得ず

ジョン・キーツの詩「12月のわびしい夜」 In drear-nighted December を読む。(壺齋散人訳)

  12月のわびしい夜でも
  幸せそうでいられる木は
  盛りの頃の枝振りを
  覚えているわけではないけれど
  ぴゅーぴゅーと吹き渡る
  北風に裸にされることもなく
  凍てつくような寒さでさえも
  芽生えを妨げることは出来ぬ

エンディミオン Endymion はギリシャ神話に現れるうら若き牧童である。余りにも美しいので、月の女神セレネに愛された。セレネはエンディミオンが人間として寿命があることを悲しみ、ゼウスに永遠の生を与えてくれるように願った。ゼウスはその願いをかなえてやったが、それは永遠の眠りにつく姿としてであった。

土筆(つくし)春を告げる草:水彩で描く折々の草(壺齋散人画)

暦が啓蟄をまわって土がぬるんでくると、土筆が土中から頭を出して、いち早く春の訪れを知らせてくれる。誰でも子どもの頃に、田んぼのあぜ道や畑の中、あるいは都会の公園の一隅にひっそりと、しかも力強く頭を持ち上げている土筆の姿をみて、思わず歩み寄って摘み取った経験をお持ちのことだろう。

三反の畑My father left me three acres of land (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  父ちゃんが三反の畑を残してくれた
  うれしいな うれしいな
  父ちゃんが三反の畑を残してくれた
  口笛吹いて 歌を歌おう

マーブルの壁 In marble walls (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ミルクのように白いマーブルの壁の中に
  絹のようにやわらかい膜に覆われ
  水晶のように澄んだ泉に
  黄金の林檎がのぞいて見える
  そこには扉はないけれども
  泥棒が押し入ってその金を盗んだ

風が東から吹いてるときは When the wind lies in the east (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  風が東寄りに吹いてるときは
  人にも獣にもいいことがない
  風が北寄りに吹いてるときは
  腕利きの漁師も漁をしない
  風が南寄りに吹いてるときは
  魚でさえ餌を吹き飛ばされる
  風が西寄りに吹いてるときは
  誰にとっても万々歳

森鴎外は乃木希典の殉死に衝撃を受け、乃木の心情を弁蔬するために、「興津弥五右衛門の遺書」を書いた。というのも、当時の世論は乃木の行為に対してとかく批判的であり、その意義を理解しようとしないばかりか、笑いものしようとする風潮まであったので、鴎外はこのまま見捨てては置けないと考えたのである。だが鴎外は、乃木の殉死を弁蔬しながらも、古来武士の美風とされてきた殉死というものには、単に個人の真情の範囲にとどまらない、複雑な背景があったのだということに気づくに至った。

水彩で描く折々の花:花瓶に活けた花束(壺齋散人画)

水彩画を描き始めてかれこれ10年近くになる。もとより素人の手慰みだから、赤面せずに人様に見せられるものではないが、それでも根気よく続けているうちに、少しは絵らしいものになっていくのを、自分ながら感心にも思い、またそれを励みにしてきた。

カトリック教会内部に修道僧からなる修道会の組織を立ち上げるきっかけをつくったのは、4世紀の聖ヒエロニムスであった。以後修道会はカトリック教会にとって中核的な組織を形成するようになり、その中から多くの聖職者を輩出した。修道会はカトリック教会を、教義と実践の面で支えてきたともいえる。

言語を操るためには高度な知性が必要なことはいうまでもない。目前に展開する対象を弁別することに始まり、対象を構成する要素間の関係やそれらの生起や因果関係についての論理的な思考過程があってこそ、言語は可能となる。というより言語とは、思考の過程そのものが知覚しうる形をとって現れたものなのだ。

ステファヌ・マラルメの詩「あらわれ」Apparition(壺齋散人訳)

  月は悲しみに沈んでいた
  涙にくれた翼の天使が夢見心地に弓を持ち
  湿った花々に囲まれながら ビオラを弾くと
  白く咽ぶ音は紺碧の花弁の上をすべっていった

ステファヌ・マラルメの詩「乾杯」Salut を読む。(壺齋散人訳)

  この泡と 処女なる詩が
  描かれているのは聖餐の杯
  彼方ではシレーヌの一群が溺れ
  みな身を逆さにしている

ステファヌ・マラルメ Stéphane Mallarmé (1842-1898) は、ポール・ヴェルレーヌやアルチュール・ランボーと並んでフランスの象徴主義(サンボリズム)を代表する詩人である。しかし同じく象徴主義の名を冠せられても、マラルメの作品は他の誰にも似ることのない、独特の雰囲気をもっている。言語のシンタックスや意味にとらわれず、言葉の持つ音楽性と形態を自由に展開させたその作風は、歴史的にも先例をみないものである。だから彼は真の意味で、孤高の詩人というに相応しい。

オリンピックの聖火リレーが始まった。この機会を利用して中国のチベット弾圧に抗議する人々が、イギリス、フランスの両国で聖火リレーに対するパフォーマンスを行い、アメリカでは混乱を恐れた当局が聖火リレーそのものを人目につかないやり方で実施するなど、異常な事態が起きている。中国政府はこれに対して、妨害を取り締まるよう関係国に強硬に申し入れているが、自国民に対しては、リレーは厳粛に行われたなどと、事実をそのままには知らせていない。

古詩十九首其九「庭中に奇樹有り」

  庭中有奇樹  庭中に奇樹有り
  綠葉發華滋  綠葉 華滋を發く
  攀條折其榮  條を攀じて其の榮を折り
  將以遺所思  將に以て思ふ所に遺らんとす
  馨香盈懷袖  馨香 懷袖に盈つれども
  路遠莫致之  路遠くして之を致すなし
  此物何足貴  此の物何ぞ貴ぶに足らんや
  但感別經時  但 別れて時を經たるに感ずるのみ

古詩十九首其八「冉冉たる孤生の竹」

  冉冉孤生竹  冉冉たる孤生の竹
  結根泰山阿  根を泰山の阿に結ぶ
  與君為新婚  君と新婚を為すは
  菟絲附女蘿  菟絲の女蘿に附くなり
  菟絲生有時  菟絲 生ずるに時あり
  夫婦會有宜  夫婦 會するに宜あり
  千里遠結婚  千里 遠く婚を結び
  悠悠隔山陂  悠悠 山陂を隔つ
  思君令人老  君を思へば人をして老いしむ
  軒車來何遲  軒車 來ること何ぞ遲き
  傷彼蕙蘭花  傷む 彼の蕙蘭の花
  含英揚光輝  英を含みて光輝を揚げ
  過時而不采  時を過ぎて采らずんば
  將隨秋草萎  將に秋草の萎むに隨はんとするを
  君亮執高節  君 亮に高節を執らば
  賤妾亦何為  賤妾 亦何をか為さん

ジョン・キーツの詩「キリギリスとコオロギ」 On The Grasshopper And Cricketを読む。(壺齋散人訳)

  地面の詩人は決して死なない
  鳥たちが灼熱の太陽に消え入り
  涼しい木陰に隠れるときにも その声は
  牧場のあたりを 垣根から垣根へと鳴り渡る

ジョン・キーツのソネット「チャップマンのホメロスを一読して」 On First Looking Into Chapman's Homer を読む。(壺齋散人訳)

  いくたびか私は黄金の領域を旅し
  あまたの良き国や王国を訪ねたことか
  吟遊詩人がアポロのために治めている
  多くの西海の島々にも滞在した

ジョン・キーツ John Keats(1795-1821) は、パーシー・ビッシュ・シェリーと並んで、イギリス・ロマンティシズムの盛期を飾る詩人であり、その後のイギリスの詩に及ぼした影響は非常に大きなものがある。年上の友人でもあったシェリーと先輩格のリー・ハントが、ともにリベラリズムの信念から政治的な傾向を見せたのに対し、キーツは自然や人間の美を大事にし、美を歌うことこそが詩人の使命だと考えていた。こうした彼の態度が、作品に透明な輝きをもたらし、珠玉のように美しい詩を生み出させたのである。

トゥィードルダムとトゥィードルディー Tweedledum and Tweedledee(マザーグースの歌:壺齋散人訳)


  トゥィードルダムとトゥィードルディーが
  大喧嘩を始めたわけは
  トゥィードルディーがトゥィードルダムの
  おもちゃをこわしたからだといいます

  そこへ酒樽のようにまるまる太った
  大きなカラスがやってきました
  二人はそれこそびっくり仰天
  喧嘩などしてる場合じゃありません

木の実のなる木 I had a little nut tree (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  わたしのところの木の実のなる木
  銀のナツメグと金の梨が実ります
  スペインの王女が訪ねてきたのも
  木の実がなる木がお目当てなのです
  水の上を跳ね 海の上で踊るわたしは
  どんな鳥でさえ 捕まえられない

3隻の船 I Saw Three Ships (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  3隻の船がやってきた
  帆をあげて 帆をあげて
  3隻の船がやってきた
  お正月の朝早く

悪質な闇金融の被害者が絶えない。その実態ははっきりとはわかっていないが、今や大都市圏を超え、全国規模に拡大しているようだ。被害者も、老人、母子世帯、生活保護受給者など、経済弱者といわれる層にまで広がっている。なぜこうした金のない人々を相手に、闇金融業者がなけなしの金を巻き上げるのか、また何故そんなことが可能なのか、そのからくりを考えてみたい。

森鴎外の晩年を飾る一連の歴史小説のさきがけともなった「興津弥五右衛門の遺書」は乃木希典の明治天皇への殉死を直接のきっかけとして書かれたものである。この殉死については、鴎外は日記の中で次のように記している。

長い期間にわたるヨーロッパ中世を思想史的な面から特徴付けるとすれば、キリスト教、それもカトリックの教義が支配した時代だったということができる。カトリックの正統教義の前では、それと相容れない考え方は、民衆文化も含めて、すべて異端のレッテルを貼られて迫害された。このカトリック教義を学問的に纏め上げたのが、スコラ哲学といわれるものである。

レミ・ド・グールモンの詩集「気晴らし」 Divertissement から「不敬の祈り」Oraisons mauvaises を読む。(壺齋散人訳)

    Ⅰ

  お前の手に神の祝福を 汚れたお前の手に!
  お前の手の節々には罪が隠れている
  お前の手の白い皮の白っぽい陰の合間には
  秘めやかな愛撫の強烈な匂いが染み付いている
  お前の指先で死につつある囚われのオパール
  それは磔にされたキリストの最後の溜息だ

レミ・ド・グールモンの最後の詩集「気晴らし」 Divertissement は1912年に出版された。そのときグールモンは50をとっくに過ぎていたのであるが、その老いの情熱の中から、女の妖しい美しさを歌った一連の詩を生み出したのだった。それらはいわば彼にとっての白鳥の歌だったわけである。

今年も東京の桜は三月のうちに満開になって早くも散り始め、子どもの入学式までもたなかった。桜の咲く季節には決まって演ぜられる能の曲目があるが、それらも今年は葉桜を見ながら観劇することになりそうだ。

古詩十九首其七「明月皎として夜光る」

  明月皎夜光  明月 皎として夜光り
  促織鳴東壁  促織 東壁に鳴く
  玉衡指孟冬  玉衡 孟冬を指し
  眾星何歷歷  眾星 何ぞ歷歷たる
  白露沾野草  白露 野草を沾し
  時節忽複易  時節 忽ち複た易はる
  秋蟬鳴樹間  秋蟬 樹間に鳴き
  玄鳥逝安適  玄鳥逝りて安くにか適く
  昔我同門友  昔 我が同門の友
  高舉振六翮  高舉して六翮を振るふ
  不念攜手好  手を攜へし好しみを念はず
  棄我如遺跡  我を棄つること遺跡の如し
  南箕北有鬥  南には箕 北には斗あり
  牽牛不負軛  牽牛 軛を負はず
  良無磐石固  良に磐石の固きこと無くんば
  虛名複何益  虛名 複た何の益かあらん

古詩十九首其六「涉江采芙蓉」

  涉江采芙蓉  江を涉りて芙蓉を采る
  蘭澤多芳草  蘭澤 芳草多し
  采之欲遺誰  之を采りて誰にか遺らんと欲する
  所思在遠道  思ふ所は遠道に在り
  還顧望舊鄉  還顧して舊鄉を望めば
  長路漫浩浩  長路 漫として浩浩たらん
  同心而離居  同心にして離居せば
  憂傷以終老  憂傷 以て終に老いなん

ひとりぼっちの小鳥 A widow bird sate mourning for her Love:パーシー・シェリー(壺齋散人訳)

  ひとりぼっちの小鳥が冬の枝の上で
  夫をなくした嘆きを歌った
  木の上には冷たい風が忍び寄り
  木の下では小川が凍る

  裸の木には一枚の葉もなく
  地上には一輪の花もない
  あたりはひっそりと静まりかえり
  聞こえてくるのは水車の音だけ

愛の歌 Music, when soft voices die :パーシー・シェリー(壺齋散人訳)

  音楽は、やさしい音が消えた後も
  思い出の中に震えている
  匂いは、スミレの花が萎れた後も
  感覚の中に生きている

  葉は、バラがしなびてしまった後も
  愛する人のベッドを飾る
  思いは、あなたが死んでしまった後も
  愛の余韻となってただよう

6匹のハツカネズミ Six little mice sat down to spin (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  6匹のハツカネズミが糸紡ぎ
  そこにネコさんが通りがかりました
  “なにをなさってるの 紳士方”
  “紳士の背広を仕立ててるのさ”
  “わたしもお手伝いをして 糸切りをしましょうか”
  “ご遠慮しますネコさん 頭をかじり切られてはいやですから”
  “そんなことはありません 是非手伝わせてちょうだいな”
  “かもしれませんけれどネコさん 近寄らないでくださいな”

可愛いちびちゃん Dance Little Baby (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  可愛いちびちゃん 踊りなさい
  ママはここよ 心配しないで
  キャッキャといったり 跳んだりはねたり
  あっちのほうへも いきなさい

  天上に上ったり 床に下りたり
  前後左右に 回りなさい
  あなたと一緒に ママも歌うわ
  石炭くべながら ジャン ジャン ジャン

いい子だから Hush thee, my babby (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  いい子だから ねんねしな
  パパと一緒に ねんねしな
  ママは水車小屋までお出かけさ
  お前のために粉をひいて
  パイを作ってくれるとさ
  だからおとなしく ねんねしな

睡眠は、特に女性にとっては、美容と深い関連がある。寝不足がたたると、いわゆる寝ぼけ眼になることはもちろん、肌も荒れがちになるし、美容によくないことは経験的に良く知られているところだ。睡眠不足の影響はそれのみにとどまらない。特に女性の場合には、心筋梗塞や糖尿病の引き金にもなることが、最近少しずつわかってきた。

アウグスティヌスはキリスト教神学を深化発展させる過程で、ペラギウス派をはじめさまざまな教説と論争した。その際彼は、聖書を深く読み解き、そこに書かれたことを己の論証のよりどころとした最初の人であった。だからといって、彼の思想に不合理な部分が多いということではない。中には近代以降の思想にも通じる普遍的なものもある。

奈良薬師寺の日光・月光両菩薩が東京上野の国立博物館にやってきたというので、早速見に行った。普段は薬師寺の金堂の中で、薬師如来の脇侍として並び立っている両菩薩像が、そろって寺を出るのは今回が初めてだという。しかも背中についている後背を外した状態で来たというから、全身をくまなく見られる稀有のチャンスだ。

枯葉 Les feuilles mortes :レミ・ド・グールモンの詩集「シモーヌ」 Simone から(壺齋散人訳)

  シモーヌ 森へ行こう 枯葉が落ちて
  コケや石畳や小道を覆っているよ

  シモーヌ 枯葉を踏む音が好きかい?

林檎畑 Le verger :レミ・ド・グールモンの詩集「シモーヌ」Simone から(壺齋散人訳)

  シモーヌ 林檎畑へ行こう
  枝で編んだバスケットをもって
  畑に入るときには
  林檎の木に語りかけよう
  林檎の季節が来たねと
  林檎畑へ行こう シモーヌ
  林檎畑へ行こうよ

3月4日にチベットのラサで発生した暴動騒ぎは、初期の映像が外国人記者によって世界中に発信されたため、俄然注目を浴びた。チベットでは最近中国政府への不満が高まっていると、かねてより報じられていたので、この暴動はその現われかと、世界中の耳目をそばだたせたというわけである。暴動はチベットの内部にとどまらず、四川や甘粛など周辺部のチベット人居住地区にも飛び火したようだ。

サブプライムローン問題に端を発したアメリカの金融不安は、すでに9ヶ月にもなるというのになかなか治まる気配を見せないばかりか、まずます不透明な様相を深めている。ドル安はその象徴だ。また先日は全米第五位の規模をもつ大手投資銀行ベアー・スターンズが事実上倒産し、JPモルガンによって二束三文で買収された。

古詩十九首其五:西北有高樓

  西北有高樓  西北に高樓有り
  上與浮雲齊  上は浮雲と齊し
  交疏結綺窗  交疏せる結綺の窗
  阿閣三重階  阿閣三重の階
  上有弦歌聲  上に弦歌の聲有り
  音響一何悲  音響 一に何ぞ悲しき
  誰能為此曲  誰か能く此の曲を為す
  無乃杞梁妻  乃ち杞梁の妻なる無からんか
  清商隨風發  清商 風に隨って發し
  中曲正徘徊  中曲にして正に徘徊す
  一彈再三歎  一たび彈じて再三歎じ
  慷慨有餘哀  慷慨 餘哀有り
  不惜歌者苦  歌者の苦を惜しまず
  但傷知音稀  但 知音の稀なるを傷む
  願為雙鴻鵠  願はくは雙鴻鵠と為りて
  奮翅起高飛  翅を奮ひ起って高く飛ばんことを

ねんねんころりよ Hush a Bye Baby (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ねんねんころりよ 木の上で
  風が吹いたら 揺れるのよ
  枝が折れたら 落ちるのよ
  その時あなたも 揺りかごも 
  みんなそろって落ちるのよ

シェイクスピアのソネット集第18番「君を夏の一日と比べてみようか」Shall I compare thee to a summer’s day を読む。(壺齋散人訳)

  君を夏の一日と比べてみようか
  君のほうが素敵だし ずっと穏やかだ
  夏の荒々しい風は可憐な蕾を揺さぶるし
  それに余りにも短い間しか続かない
  時に太陽がぎらぎらと照りつけるけれど
  その黄金の輝きも雲に隠されることがある
  どんなに美しいものもやがては萎み衰え
  偶然や自然の移り変わりの中で消え去っていく
  でも君の永遠の夏は決して色あせない
  君の今の美しさが失われることもない
  死神が君を死の影に誘い込んだと嘯くこともない
  君が永遠の詩の中で時そのものと溶け合うならば
    人間がこの世に生きている限りこの詩も生きる
    そして君に永遠の命を吹き込み続けるだろう

森鴎外の晩年における創作活動は、今日歴史小説といわれているものに収束していく。彼は大正元年51歳のときに、明治天皇の死に対してなされた将軍乃木希典の殉死に触発され、「興津弥五右衛門の遺書」を書くのであるが、これがきっかけになって、殉死に象徴される権力と個我との緊張について思いをいたすようになった。阿部一族以下次々と書き継いだ歴史小説は、その思いを深化させ、検証していく過程ともいえる。



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