薬師寺の日光・月光両菩薩を上野の国立博物館で見る

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奈良薬師寺の日光・月光両菩薩が東京上野の国立博物館にやってきたというので、早速見に行った。普段は薬師寺の金堂の中で、薬師如来の脇侍として並び立っている両菩薩像が、そろって寺を出るのは今回が初めてだという。しかも背中についている後背を外した状態で来たというから、全身をくまなく見られる稀有のチャンスだ。

上野公園は折から桜花爛漫として、夥しい花見客でごった返していた。その一部が博物館にも流れてきているのか、参観者の数は大変なものだった。会場は本館の奥にある平成館だったが、結構広い空間は、ただこの催しのためだけに使われているのに、ほぼ満員の状態なのだ。一方本館のほうは閑散としていたから、人々はこの一対の仏像を見るだけのために押し寄せてきたのかもしれない。

玄関ホールから二階の展示場に上がると、まず導入のための空間があり、ついで聖観音像の展示空間があり、その先に二体の像を並んで展示した大きな空間が待ち受けていた。空間の入り口はスロープになっていて、参観者はまずスロープの上から見下ろす形で両菩薩像を見る。薬師寺では常に下から見上げるような形でしか見られないから、このように上から眺めることができるのは非常にラッキーなことだ。

薬師寺での配列と同様、右が日光、左が月光である。本来鎮座してあるべき薬師如来を中心軸にして、両菩薩の姿は左右対称になっている。軽くひねった腰は、中心部の方向にむけて曲線を描き、手は、中心部側を半ば持ち上げて胸のあたりにかざし、反対側は膝の方へと下ろしている。その対照ぶりが美しい雰囲気を作り出していた。

スロープを下りて床に立つと、参観者は360度の角度から両菩薩像を見ることが出来る。薬師寺では正面からしか見ることが出来ないために、おのずから視点に制約があったが、今回はどの角度からも見られるのだ。特に背中の部分は、一般の人には、この機会を除いては、殆ど見るチャンスがない。

前から見ても、ふくよかなさまが人をゆったりとした気分にさせてくれる像であるが、背中もそれに劣らずリアルなふくよかさがあふれていた。むしろ前面よりも色っぽく感じたほどだ。どちらかというと月光の方が柔らかい雰囲気がある。また足元も身近に見ることが出来た。意外と大きな足であることに変に感心させられた。

この両菩薩像は、解説によれば、7世紀の末に作られた可能性が高いという。日本に現存する仏像としては最も古いもののひとつだ。しかも銅製で、その技術は非常に高いものがある。その技術に支えられて、黒光りした胴の肌が、仏の滑らかな肌ざわりを違和感なしに表現していた。

この二体の仏について、和辻哲郎は「古寺巡礼」の中で次のように書いている。

「本尊(薬師如来像のこと:筆者注)に比べると、脇立ちの日光・月光はやや劣っているように思われる。面相や肢体の作り方は非常によく似ているが、しかし本尊の作者は恐らくこの両脇士の作者ではあるまい。本尊の下肢にまとう衣をあのように巧妙に作った芸術家が、脇立ちの下肢を覆う衣のあの鈍さに満足したろうとは思えない。同じことはその面相についても手についても肩についてもいえると思う。両脇士のうちでは右の脇士が優れている。右と左もあるいは異なった人の作であるかもしれない。」

このように厳しい批評をしているのは、本尊の美しさに圧倒されたあまりのことだと思われる。脇士が本尊と同様か、あるいはそれ以上のできばえであったなら、全体としての美しさは損なわれてしまうかもしれないから、和辻のこの酷評も大目に見てやる必要があるだろう。

薬師寺の薬師三尊は、16世紀の戦乱で寺の伽藍群が東塔を残して殆ど消失した際にも、奇跡的に生き延びた。仏力によって、人間たちのおろかな所業を超越してきたのだろう。

そんなありがたい仏様たちを、まるで美術品を見るように拝観するのは、恐れ多いことかもしれない。だが無心な気持ちで見ている限りは、仏様も大目に見てくれるだろう、筆者はそう自分に言い聞かせながら、二体の尊い像と対面してきた次第だ。


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    このページは、が2008年4月 4日 20:47に書いたブログ記事です。

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