窈窕の章:淑女を歌う(詩経国風:周南)

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詩経国風に出てくる十五の国・地方のうち、最初に位置するのは周南である。周南は次に出てくる召南とともに、周の南の地域の歌謡を集めたものだとされる。周の始祖后稷から数代を経た時、周は故地を分かちて、周公と召公とにそれぞれ治めさせた。いづれも今の陝西省の地域に属する。周は後に華北全体を覆う大帝国となるが、そのなかでも陝西省にあった周と召とは、国家の中核をなすところだったのである。

この周南篇に収められた作品は、いづれをとってみても、高い格調を感じさせる。中でも冒頭を飾る「關雎」は「窈窕の章」とも称され、古来漢詩の精髄ともみなされてきたものである。蘇軾もあの「赤壁の賦」を、この歌への言及を以て始めている。


關雎(壺齋散人注)

  關關雎鳩  關關たる雎鳩は
  在河之洲  河の洲にあり
  窈窕淑女  窈窕たる淑女は
  君子好逑  君子の好逑

  參差荇菜  參差たる荇菜は
  左右流之  左右に之を流(もと)む
  窈窕淑女  窈窕たる淑女は
  寤寐求之  寤めても寐ねても之を求む

  求之不得  之を求むれども得ざれば
  寤寐思服  寤めても寐ねても思服す
  悠哉悠哉  悠なる哉 悠なる哉
  輾轉反側  輾轉反側す

  參差荇菜  參差たる荇菜は
  左右采之  左右に之を采る
  窈窕淑女  窈窕たる淑女は
  琴瑟友之  琴瑟もて之を友とせん

  參差荇菜  參差たる荇菜は
  左右芼之  左右に之を芼(えら)ぶ
  窈窕淑女  窈窕たる淑女は
  鍾鼓樂之  鍾鼓もて之を樂しましめん

和やかに鳴きあうミサゴの夫婦が川の中州にいる、窈窕たる淑女は、ミサゴの妻のように、君子の妻とするに相応しいものだ

生い茂った水菜は左右に求めて食卓を飾るべきものだ、窈窕たる淑女は、目覚めていても寝ていても、求めに求めて伴侶にすべきものだ

窈窕たる淑女を求めて得ることができないならば、目覚めていても寝ていても残念に思うべきだ、ああ残念のあまり、身のもだえる思いがする

生い茂った水菜は左右に摘んで食卓を飾るべきものだ、窈窕たる淑女は、琴瑟を以てもてなすべきものだ

生い茂った水菜は左右に選び取って食卓を飾るべきものだ、窈窕たる淑女は、鍾鼓を以て楽しんでもらうべきものだ


この詩は、配偶者を求めて歌っていることから、中国人にとっては古来、婚礼の席で歌うべきめでたい歌だとされてきた、

關關とは毛伝に和声をさすとある、ミサゴの夫婦が互いに応じあって声を交わすさまを表しているのであろう、ミサゴに限らず鳥は夫婦仲が良いものであるから、人の婚礼のめでたさを飾るのに相応しい、

また窈窕とは、つつしみ深い美しさをさす、中国人にとって、婦人としてあるべき理想を表わした言葉であった、だから詩の中では、そのような婦人は寝ていても覚めていても求めるべきだといっているのである、


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