2008年7月アーカイブ

夜明け Aube (ランボー「イリュミナション」から:壺齋散人訳)

  俺は夏の夜明けを抱いた。

  宮殿の前には、まだ動いているものは何もなかった。
  水面は動かず
  森の小道には深い影が落ちていた。
  俺は熱い息を弾ませながら、歩いた。
  宝石たちが顔を見合わせ、翼が音もなく舞い上がった。

ランボーの「イリュミナション」から、ヴァガボンド Vagabonds (壺齋散人訳)

  憐れな兄貴よ!こいつのおかげでどれほど眠れぬ夜を過ごしたことか!
  「俺は人生にまじめに取り組んでこなかった。
  俺は人生を甘く見ていた。
  こんなことをしていたら人生から追放され、奴隷の境遇に陥ってしまう。」
  兄貴は俺を運がない奴だといい、異常なほど純真だという。
  そういってあやしい理屈を付け加えるのだ。

トレニア:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


トレニアは和名をハナウリクサあるいはナツスミレという。沖縄に自生しているツルウリクサの仲間であるが、ツルウリクサのほうは絶滅の危機に瀕しているという。

詩経国風:鄭風篇から「女曰雞鳴」を読む。(壺齋散人注)

  女曰雞鳴  女曰ふ雞鳴くと
  士曰昧旦  士曰ふ昧旦なりと
  子興視夜  子興きて夜を視よ
  明星有爛  明星爛たる有らん
  將翱將翔  將(は)た翱(かけ)り將た翔び
  弋鳧與鴈  鳧(ふ)と鴈とを弋(よく)せん

詩経国風:鄭風篇から「遵大路」を読む。(壺齋散人注)

  遵大路兮   大路に遵(したが)って
  摻執子之袪兮 子の袪(たもと)を摻(と)り執る
  無我惡兮   我を惡(にく)むこと無かれ
  不寁故也    故を寁(すみやかにす)てざれ

詩経国風:鄭風篇から「將仲子」を読む。(壺齋散人注)

  將仲子兮  將(こ)ふ仲子
  無踰我里  我が里を踰ゆる無かれ
  無折我樹杞 我が樹ゑし杞を折ること無かれ
  豈敢愛之  豈に敢へて之を愛(お)しまんや

シェイクスピアのソネット12 When I do count the clock that tells the time(壺齋散人訳)

  時計が時を告げる音を数えつつ
  日が沈んで恐ろしい夜が来るのを見ると
  スミレが花の盛りを過ぎて
  黒髪が白銀色に縮れるのをみると

シェイクスピアのソネット9 Is it for fear to wet a widow's eye(壺齋散人訳)

  君が結婚もせずに人生を浪費するのは
  死んで未亡人を悲しませないためかい?
  ああ!もし君が子どもを残さずに死のうものなら
  世間が未亡人のように悲しむだろうよ

ちびっこベティちゃん Little Blue Betty lived in a den (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ちびっこベティちゃん穴倉の中で
  殿方相手にビール売り
  殿方は毎日やってきて
  そのたびに泡がはじけ飛ぶ
  ベティちゃんは階段を上っていくと
  つまづいて ころげて 頭を割った

アーサー王 When good King Arthur ruled this land(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  アーサー王がこの国を治めていた頃
  アーサー王はいい王様だった
  大麦の粉を三樽分くすねてくると
  それでバグ・プリンをこしらえた

小さな女の子 When I was a little girl (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  まだ小さな女の子だった頃
  七つくらいの頃だったわ
  ペチコートがなかったので
  寒さがしのげなかったの

NASAの元宇宙飛行士で、アポロ計画に従事し、人類では最も長時間の月面滞在記録をもつエドガー・ミッチェル Edgar Mitchell 氏(77歳)が、宇宙人の存在について発言し、話題を呼んでいる。氏は、宇宙人がこれまでに何度も、地球を訪れたことがあるにかかわらず、政府はそれを60年間にわたって隠蔽してきたというのだ。

インターネットの普及は人間同士のコミュニケーションのあり方を大きく変えつつある。メールやブログあるいはSNSといったコミュニケーションツールを通じて、個人間や企業間のコミュニケーションが飛躍的に便利になった。いまや我々は、地球上のどこにいても、いついかなるときにおいても、話しかけたい相手にメッセージを発信し、オンラインで互いに情報をやり取りすることができる。

夏目漱石は33歳の年(明治33年)にイギリス留学を命じられ、その年の10月から明治35年の12月まで、2年あまりの間ロンドンに滞在した。その時の事情を漱石は日記のようなメモに残しているが、あまり組織立ったものではなく、ほんの備忘録程度のものなので、読んで面白いものではない。しかもその記録は明治34年の11月で途切れており、その後の事情については何の記録もない。漱石はロンドン留学の後半はひどいノイローゼに悩まされていたので、日記をつける気にもならなかったのだろう。

ガリレオ・ガリレイ Galileo Galilei (1564-1642) は、近代科学の偉大な創始者として、科学史上特別の敬意を払われている。その業績は主に、天文学の分野と力学の分野において著しい。そのなかには今日から見て明らかな誤りも含まれているが、ガリレオが科学者として偉大な所以は、その達成した成果以上に、科学に臨む彼の態度にあった。

街 Ville (ランボー「イリュミナション」から:壺齋散人訳)

  俺は大都市と称されるこの街の一時的な滞在者だし
  したがっていささかも不平があるわけではない
  家具は変な趣味でごたごた飾られてはいず
  家の外観は都市計画に従って皆一様だ

ある理性に A une raison (ランボー「イリュミナション」から:壺齋散人訳)

  お前の指が太鼓をひと叩きすると
  あらゆる音が飛び出し 新しいハーモニーが生じる

  お前がひと歩きすると 新兵たちの行進のように勇ましい

  お前が頭の向きを変えると 新しい愛が生まれる
  お前が頭をもとに戻すと そこにも新しい愛が生まれる

  「運命を変えよう 疫病を克服してやり直そう」
  子どもたちがそうお前に歌う
  「肝心なのは運と意欲さ」
  皆はお前にそういう

  時が熟せば どこへでも行くさ

ペチュニア:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


ペチュニアは日本人には人気のある花だ。花びらの一つ一つは小ぶりだが、色が鮮やかで、密集して咲く性質を持っているので、花壇に植えても、プランターや鉢に植えても、目に映えて美しい。しかも花季は非常に長く、手入れさえ怠らなければ、初夏から秋まで咲き続ける。

詩経国風:王風篇から「君子于役」を読む。(壺齋散人注)

  君子于役  君子役に于(ゆ)く
  不知其期  其の期を知らず
  曷至哉   曷(いつ)か至らんや

詩経国風:王風篇から「黍離」を読む。(壺齋散人注)

  彼黍離離  彼の黍離離たり
  彼稷之苗  彼の稷の苗
  行邁靡靡  行き邁くこと靡靡たり
  中心搖搖  中心搖搖たり

詩経国風:衛風篇から「木瓜」を読む。(壺齋散人注)

  投我以木瓜  我に投ずるに木瓜を以てす
  報之以瓊琚  之に報ゆるに瓊琚を以てす
  匪報也     報ゆるに匪ざる也
  永以為好也  永く以て好みを為さんとする也

シェイクスピアのソネット3 Look in thy glass, and tell the face thou viewest (壺齋散人訳)

  鏡の中を覗き込み、自分の顔に語りかけたまえ
  今こそそれと同じ顔を生み出すべき時なのだと
  君がもし子どもにその顔を伝えないならば
  君は世界をがっかりさせ 女性が母になる喜びを奪う

シェイクスピアのソネット集から第1番 From fairest creatures we desire increase を読む(壺齋散人訳)

  誰しも美しい者の子孫が増えて欲しいと思うもの
  そうすればバラの美しさは死に絶えないから
  親が時とともに艶を失っても
  子がその美しい面影を伝え続けるだろう

シェイクスピアのソネット集は1609年に始めて出版された。時にシェイクスピア45歳、劇作家としての名声を確立し、代表作の殆どをこの時期までに書き終えている。そのシェイクスピアがこの時期に長い間秘蔵していたソネット集を刊行した理由のひとつとして、当時流行していたペストの影響が挙げられる。この疫病によって、劇場も閉鎖される羽目に陥り、シェイクスピアはそこから収入を得ることができなくなったため、新たな収入源を得ようとしてソネット集を出版したとする説がある。

ジャックのたてた家This is the house that Jack built (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  これはジャックのたてた家

  これはジャックのたてた家に
  ころがってたモルト

  これはジャックのたてた家に
  ころがってたモルトを
  食べたネズミ

一月は雪を January Brings The Snow (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  一月は雪を運んできて
  ぼくらの手足にあかぎれを作る

数え歌 One two buckle my shoe (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  1本2本 靴の紐むすべ
  3度4度 ドア ノックしろ
  5本6本 薪をとって
  7本8本 火にくべろ
  9個10個 穴を掘れ
  13 14 かわいいお嬢さん
  15 16 台所でお料理
  17 18 お嫁に行きたいわ
  19 20 僕のお皿は空っぽだ

八代草(やつしろそう):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


今年(2008年)の夏に会津の大内宿を訪ねた折に、濃い青紫色に咲いた花を見かけて、しばらくその場に立ち止まり、花の風情を見入り続けたことがあった。花の足元には短冊がさしてあり、それには「八代草:リンドウ科」と記してある。

森鴎外がドイツ留学から帰国したのは明治21年9月8日である。ところがそれから幾許もたたぬ9月12日に、ドイツ人の女性が鴎外の後を追って日本にやってきて、築地の精養軒に泊まっているという知らせが鴎外を驚愕せしめた。この女性が果たして何者かについて、鴎外自身は殆ど語る所がないが、これこそ彼の初期の傑作「舞姫」のモデルになった女性ではないかとの憶測が、文学史上かまびすしく語られてきた。

フランシス・ベーコン Francis Bacon (1561-1622) は、近代的な帰納法の創始者として知られている。また学問を確固たる実証の手続きによって基礎付けようとした点において、近代科学の精神を体現した最初の思想家であったということができる。その人物がイギリスに出現したことの意味も大きい。イギリスはベーコンの業績を踏まえ、以後経験を重視する学問が栄えていくのである。

王権 Royauté :ランボー「イリュミナション」から(壺齋散人訳)

  ある晴れた朝 善良な市民たちに取り囲まれ
  身なりのよい男と女が 広場に向かって叫んでいた
  「諸君 わしはこれを女王にしたいのじゃ!」
  「わたしは女王様になりたいの!」
  女はこう叫んで身を震わした
  男は啓示と試練について 友人たちに語った
  二人は身を寄せ合って悶え苦しんだ

  実際その朝 二人は王と女王だった
  カーマインの釣り花が家々の窓を飾り
  午後には 二人して棕櫚の庭園から進み出てきたのだった

ランボーの「イリュミナション」から「出発」 Départ (壺齋散人訳)

  見飽きた いたるところにわだかまっている幻影
  もう沢山だ 昼も夜も一日中いつでも街の喧騒だ
  十分わかっている 人生の節目 ―おお喧騒よ 幻影よ!
  新たな情愛と騒音に向けて出発だ!

ギボウシ(擬宝珠):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


ギボウシ(擬宝珠)はユリ科の多年草である。東アジア原産で、日本でも山間の湿地帯に自生している。江戸時代に園芸品種として改良され、一般の家の庭でも育てられるようになった。これをシーボルトがオランダに持ち帰り、それをきっかけに欧米でも普及した。英語では Plantain Lily と呼んでいる。

詩経国風:衛風篇から「有狐」を読む。(壺齋散人注)

  有狐綏綏  狐有り綏綏(すいすい)たり
  在彼淇梁  彼の淇の梁(はし)に在り 
  心之憂矣  心之(こ)れ憂ふ
  之子無裳  かの子裳(もすそ)無からん

詩経国風:衛風篇から「伯兮」を読む。(壺齋散人注)

  伯兮朅兮  伯の朅(けつ)なるや
  邦之桀兮  邦の桀なり
  伯也執殳  伯や殳(ほこ)を執りて
  為王前驅  王の為に前驅す

詩経国風:衛風篇から「河廣」を読む。(壺齋散人注)

  誰謂河廣  誰か謂ふ河廣しと
  一葦杭之  一葦もて之を杭(わた)らん
  誰謂宋遠  誰か謂ふ宋遠しと
  跂予望之  跂(つまだ)って予(われ)之を望まん

36歳の誕生日 On This Day I Complete My Thirty-Sixth Year (バイロン:壺齋散人訳)

  今やもう心をときめかす年ではない
  人の心をときめかすこともない
  だが愛されることはないにせよ
  人を愛し続けたい

誰がキーツを殺したかWho killed John Keats?(バイロン:壺齋散人訳)

  誰がキーツを殺したか?
  自分だと クォータリーがいう
  手荒に 容赦なく
  見事な手柄ぶりだったと

  誰が矢を放ったか?
  詩人の番人ミルマンさ
  奴は人殺しが大好きだ
  サウジーも バーローも

人が自分の老化を実感するのには、様々なきっかけがある。まず外貌だ。髪の毛が白くなり、肌がたるんで、そこここに目障りな皴やしみができる。目には輝きがなくなり、何となくうつろな表情が、老いを、自分にも他人にも感じさせる。

独身男 When I was a bachelor (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  まだ独り身だった頃 僕は一人で暮らしてたんだ
  家中の食べ物を全部 棚の上にしまっておくと
  ネズミたちがやってきて 残らず平らげてしまうんだ
  それで僕はロンドンまで 嫁さん探しに出かけたのさ

  大通りはとっても広く 横丁はとっても狭い
  見つけた嫁さんを大八車に 乗せて運ばにゃならないほど
  ところがその大八車が 橋の上から落ちちゃったのさ
  大八車も嫁さんも みんな川に落ちちゃったのさ

ジョージー・ポーギー Georgie Porgie (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ジョージー・ポーギー プリンにパイ
  女の子にキスしたら泣かれちゃった
  男の子たちがやってきたら
  ジョージー・ポーギー 逃げちゃった

ドクター・フォスター Doctor Foster (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ドクター・フォスター グロスターに出かけた
  烈しく降りしきる雨の中を
  けれど途中の水溜りに
  腰までつかって立ち往生
  とうとうたどり着けなかった

ナツツバキ(別名・沙羅の木):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


ナツツバキ(夏椿)は、その名のとおり、夏(梅雨時)に椿に似た白い花を咲かせる。分類上もツバキ科に属するが、ヤブツバキや山茶花などとは違って、落葉する。葉は光沢を持たず、しかもやわらかいので、一見するとツバキとは違う種のようにも見える。

森鴎外は明治15年2月に起稿した「北遊日乗」に始まり死の年(大正7年11月)まで書き続けた「委蛇録」に至るまで、生涯の大半について日記をつけていた。そのうちドイツ留学中及びその前後に書いたものが四種ある。ドイツへと向かう船旅の様子を記録した「航西日乗」、ドイツ留学中の生活を記録した「独逸日記」、ドイツでの生活のうちベルリンでの最後の日々を記録した「隊務日記」、そして日本へ帰る船旅を記録した「還東日乗」である。

コペルニクス的転回と言う言葉があるように、コペルニクス (1473-1543) の地動説が科学の発展に及ぼした影響には大きなものがあった。だがコペルニクスはそれをひとつの仮説として提出しただけで、命をかけて守るべき信念とは考えていなかったらしい。彼はこの説がローマ教会を刺激することを恐れて、生前には大々的に吹聴することをしなかったし、地動説を記述した書物「天体の回転について」が出版されたのは、その死の直後だったのである。

ランボー「イリュミナション」から「生活」Vies (壺齋散人訳)

  おお 聖地の大道 寺院のテラスよ!
  俺に予言を授けてくれたあのバラモン僧はどうしただろうか?
  あの頃、あの場所については、俺にはまだ老女たちの姿が思い浮かぶのだ。
  俺は覚えている 銀色の太陽の時間が川のあたりを流れ、
  野原の中であいつの手が俺の肩にかかり、
  二人して爪先立ちながら胡椒畑で抱き合ったことを。
  - 赤い鳩が俺の思考の周囲を飛び回る
  - 俺はここに追放されてきて、
  文芸史上の傑作劇を演じるための舞台をこしらえてみた。
  諸君には前代未聞のすばらしい劇をお見せしよう。
  諸君がそこからどんな宝物を引き出すか、俺は見届けよう。
  結果はよくわかっている。
  俺の叡智は、カオスのように侮られるが、
  諸君に取り付いている無感覚に比べれば、俺の無内容などけちなものだ。

ランボー「イリュミナション」から「寓話」 Conteを読む。(壺齋散人訳)

  王子には ただ闇雲に寛大であろうとしていたことが
  なにか馬鹿げたことのように思えた。
  彼はすばらしい愛の革命を予見したのだった。
  そして女たちには飾り立てた媚以上のものが
  期待できるはずだと思った。
  彼は真実が知りたかった
  本質的な欲望と充足のときを。
  それが異常な信念であろうとなかろうと、知りたかったのだ。
  少なくともそのための人間としての能力は十分に持っていた。

能「大仏供養」は平家の武将悪七兵衛景清を描いた作品である。史実に基づいたものかどうか証拠に乏しく、作者もよくわかっていない。平家の遺臣として庶民の間で同情の厚かった影清を主人公に、立回りの能を作ろうとしたのであろう。景清を主人公にした能には外に「景清」があるが、そちらは晩年の盲目の景清を描いており、両者の雰囲気は非常に異なっている。

詩経国風:鄘風篇から相鼠を読む。(壺齋散人注)

  相鼠有皮  鼠を相(み)るに皮有り
  人而無儀  人にして儀無し
  人而無儀  人にして儀無くんば
  不死何為  死せずして何をか為さんや

詩経国風:衛風篇から「氓」を読む。(壺齋散人注)

  氓之蚩蚩  氓の蚩蚩(しし)たる
  抱布貿絲  布を抱いて絲を貿(か)ふ
  匪來貿絲  來って絲を貿ふに匪(あら)ず
  來即我謀  來って我に即(つ)いて謀るなり
  送子涉淇  子を送りて淇を涉り
  至於頓丘  頓丘に至る
  匪我愆期  我期を愆(すぐ)すに匪ず
  子無良媒  子に良媒無し
  將子無怒  將(こ)ふ子怒ること無かれ
  秋以為期  秋を以て期と為さん

詩経国風:鄘風篇から「柏舟」を読む。(壺齋散人注)

  汎彼柏舟  汎たる彼の柏舟
  在彼中河  彼の中河に在り
  髧彼兩髦  髧(たん)たる彼の兩髦
  實維我儀  實に維れ我が儀
  之死矢靡它 死に之(いた)るまで矢(ちか)って它靡(な)し
  母也天只  母や天や
  不諒人只  人を諒とせず

さまようのはやめよう So we'll go no more a-roving(バイロン:壺齋散人訳)

  もう さまようのはやめよう
  夜はこんなにも更けてしまった
  心がまだ愛に息づいていても
  月がまだ明るく照らしていても

ギリシャの島々 The Isles of Greece(バイロン「ドン・ジュアン」:壺齋散人訳)

  ギリシャの島々 ギリシャの島よ!
  情熱のサフォーが愛し歌ったところ
  戦争と平和の術が栄えたところ
  デロスが立ち フェーボスが跳ねたところ
  永遠の夏が輝きをもたらし
  太陽のほか沈むもののないところ

ピーター・パイパー Peter Piper (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ピーター・パイパー ペッパーのピクルスを一皿つかんだ
  一皿のペッパーのピクルスを ピーター・パイパーがつかんだ
  ピーター・パイパー ペッパーのピクルスを一皿つかんだら
  ピーター・パイパーがつかんだ一皿のペッパーのピクルスどこだ?

三匹の子猫 Three little kittens (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  三匹の子猫
  手袋をなくして
  みんなで泣いた
  ママ ママ
  ごめんなさい
  手袋をなくしちゃった

  手袋をなくしたの
  よくない子たちね
  パイはおあずけよ
  ニャー ニャー
  パイはおあずけよ

きらきらお星様 Twinkle, twinkle, little star (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  きらきらお星様
  あなたは誰でしょう
  空高く輝きます
  ダイアモンドのように

能「蟻通」は、蟻通明神の縁起談に紀貫之の歌をからませ、もの咎めで有名な蟻通明神の怒りを和歌の徳によってなだめるという趣旨の物語である。

「北條霞亭」は森鴎外史伝三部作の最後の作品であるとともに、彼の著作活動の絶筆ともなった作品である。大正五年十月に新聞紙上に連載を開始して以来、長い中断を置いて、大正十年雑誌「あららぎ」誌上で連載を終了するまで、実に五年余の歳月を要している。しかしてその八ヵ月後に鴎外は世を去るのである。

宗教改革の結果生まれてきた新教の各派は、反カトリックという旗印のほかは、あまり共通したものを持たなかった。まして、統一した宗教組織を形成しなかった。ドイツを中心にした北ヨーロッパでは主にルター派が、スイスではツヴィングリやカルヴァンの教義が、そしてイギリスでは国教会がそれぞれ並び立ち、そのほかにも再洗礼派などの小さな宗教運動がばらばらに分立するといった具合だった。

洪水の後 Après le deluge (ランボー「イリュミナション」から:壺齋散人訳)

  洪水の記憶が覚めやらぬ頃

  一匹の兎がイワオウギとツリガネ草の繁みの中に立ち止まり
  くもの巣の合間を通して虹に祈りを捧げた

ランボーの散文詩集「イリュミナション」が始めて発表されたのは1886年、雑誌「ヴォーグ」紙上においてである。そのときランボーはまだアフリカで生きていたが、この発表に関与した形跡はない。これを編集したのはグスタフ・カーンとフェリックス・フェネアンであるが、彼等は何らかのルートで手に入れたランボーの散文詩篇に加え、1872年代に書かれた韻文12編も一緒に発表した。

詩経国風:邶風篇から「靜女」を読む。(壺齋散人注)

  靜女其姝   靜女 其れ姝(かおよ)し
  俟我於城隅  我を城隅に俟(ま)つ
  愛而不見   愛(かく)れて見えず
  搔首踟躕   首を搔きて踟躕す

詩経国風:邶風篇から「北風」を読む。(壺齋散人注)

  北風其涼  北風其れ涼たり
  雨雪其れ  雨雪其れ雱たり
  惠而好我  惠にして我を好(よみ)するものと
  攜手同行  手を攜へて同行せん
  其虚其邪  其れ虚(ゆる)くせんや 其れ邪(ゆる)めんや
  既亟只且  既に亟(すみやか)ならん

詩経国風:邶風篇から「日月」を読む。(壺齋散人注)

  日居月諸   日や月や
  照臨下土   下土を照臨す
  乃如之人兮  乃ちかくの如き人
  逝不古處   逝(ここ)に古處せず
  胡能有定   胡(なん)ぞ能く定まることあらんや
  寧不我顧   寧(なん)ぞ我を顧りみざるや

ガクアジサイ(額紫陽花):水彩で描く折々の花


アジサイはもともと日本の太平洋岸に自生していたガクアジサイを原種とする。これが中国を経由して西洋に伝わり、今日普通に見るあの丸い形のアジサイになった。だから美しくなって里帰りをした花なのである。



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