2008年8月アーカイブ

桑畑をまわりましょう Here we go 'round the mulberry bush(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  桑畑をまわりましょう
  まわりましょう
  まわりましょう
  桑畑をまわりましょう
  いつも朝早くから

さあ 踊りましょう Now we dance looby, looby, looby (マザーグースの歌:壺齋散人訳)


  さあ踊りましょう ルビルビルン
  さあ踊りましょう ルビルビルン
  さあ踊りましょう ルビルビルン
  さあ踊りましょう 昨日の晩と同じように

  右手をちょっぴり振ってみて
  左手をちょっぴり振ってみて
  おつむをちょっぴり振ってみて
  ぐるっとまわって一回り

メエメエ 羊さん Baa, baa, black sheep (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  メエメエ 羊さん
  ウールの毛糸があるかしら
  ありますとも ありますとも
  たっぷり籠三杯分

桃太郎の話は日本の昔話の中でも最もポピュラーなものである。いまでも子供向けのキャラクターとして人気を集めているし、絵本の世界や母親のお伽話にとっては欠かせないものだ。小さな子どもが親元を離れて冒険の旅に出るというのは、世界中共通した児童文学のパターンであることからも、桃太郎の話には国や時代を超えた普遍性があるといえる。

デカルトは、精神と物体とをそれぞれ異なった本質を持つ二つの別個の実体として区別した。しかもこの世界には、神をのぞいては、この二つの実体より以外には本質的なものは何も存在しないのである。

アポリネールの詩「イヌサフラン」 Les colchiques (壺齋散人訳)

  秋の牧場はきれいだけれど毒がある
  牡牛がそこで草を食むと
  そのうちに毒にあたる
  目の隈模様のリラのようなイヌサフランが咲いた
  お前の目もこの花のようなすみれ色
  青みがかった目の隈のような秋のような色だ
  その目のためにわたしの命も毒にあたる

アポリネール詩集「アルコール」から「ミラボー橋」を読む。(壺齋散人訳)

  ミラボー橋の下をセーヌが流れる
  我らの愛も
  忘れないでおこう
  苦悩の後には喜びがあることを

  日は暮れよ 鐘よ鳴れ
  時は流れ ぼくはとどまる

戦後63年を経て、日本人の戦争体験が風化しつつあるといわれるが、その中で1945年3月10日の東京大空襲に始まる戦争末期の無差別爆撃については、体系的な調査も十分とはいえなかった。この無差別爆撃は、初期の爆撃が主に軍事施設を対象にしていたのとは異なり、一般の住宅地域を標的にしたもので、膨大な数の庶民が犠牲になった。米国はこれを、日本人の戦意を喪失させるために必要な行為だったと弁明している。

ギヨーム・アポリネール Guillaume Apollinaire (1880-1918) は、20世紀初頭のフランスにおける、ほとんどあらゆる前衛芸術に係わりを持った。今日では詩人としての名声が確立しているが、彼はむしろ美術批評家として出発したのであり、ピカソやブラックのキュビズム、キリコらのフュチュリズム、そしてオルフィズムやシュルレアリズムなどを次々と世に紹介したことで知られた。

詩経国風:魏風篇から「碩鼠」を読む。(壺齋散人注)

  碩鼠碩鼠  碩鼠 碩鼠
  無食我黍  我が黍を食ふ無かれ
  三歳貫女  三歳女(なんじ)に貫(つか)へたれど
  莫我肯顧  我を肯へて顧みること莫し
  逝將去女  逝いて將に女を去り
  適彼樂土  彼の樂土に適(ゆ)かん
  樂土樂土  樂土 樂土
  爰得我所  爰(ここ)に我が所を得ん

詩経国風:魏風篇から「伐檀」を読む。

  坎坎伐檀兮       坎坎(かんかん)と檀(まゆみ)を伐り
  寘之河之干兮     之を河の干(きし)に寘(お)く
  河水清且漣猗     河水清く且つ漣猗(れんい)たり
  不稼不穡        稼せず穡(しょく)せざるに
  胡取禾三百廛兮    胡(なん)ぞ禾(か)三百廛(てん)を取るや
  不狩不獵        狩せず獵せざるに
  胡瞻爾庭有縣貆兮  胡ぞ爾の庭に縣貆あるを瞻(み)るや
  彼君子兮        彼の君子は
  不素餐兮        素餐せず

詩経国風:魏風篇から「陟岵」を読む。(壺齋散人注)

  陟彼岵兮    彼の岵に陟(のぼ)りて
  瞻望父兮    父を瞻望す
  父曰嗟予子   父は曰へり 嗟(ああ)予が子よ
  行役夙夜無已 行役せば 夙夜已むこと無けん  
  上慎旃哉    上(ねが)はくは旃(これ)を慎しめや
  猶來無止    猶(なほ)來りて止まること無かれと

シェイクスピアのソネット42  That thou hast her, it is not all my grief(壺齋散人訳)

  君が彼女を手に入れたことを 必ずしも嘆くのではない
  とはいってもわたしは彼女にぞっこんだった
  何よりも嘆かわしいのは彼女が君を選んだこと
  愛の喪失がわたしの胸を焦がすのだ

シェイクスピアのソネット38 How can my Muse want subject to invent(壺齋散人訳)

  わたしのミューズが創造の種に欠くことなどあろうか?
  君の息吹がわたしの詩のなかに注ぎ込み
  素敵な詩句をもたらしてくれるというのに
  それらは通俗的な作品などにはもったいないもの

バラは赤い The rose is red (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  バラは赤い
  スミレは青い
  ピンクは優しい
  君も優しい

小さなマフェットさん Little Miss Muffet (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  小さな小さなマフェットさん
  繁みの陰に腰を下ろして
  チーズとケーキを食べてたら
  クモさんが傍にやってきて
  マフェットさんの隣に座ると
  マフェットさんを脅かして追い出した

フェル先生 I do not like thee, Doctor Fell (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  フェル先生 僕はあなたが嫌いです
  何故かって理由はわかりません
  でもこれだけは確かです
  フェル先生 僕はあなたが嫌いなのです

人間つねにハッピーな気分でいたいものだ。ハッピーな気分に浸っていられれば、生きていることが楽しいし、その結果世界に対して活動的で開かれた姿勢をとることができる。また自分自身に充実感が持て、出来事に関してよりよい選択を下し、周囲ともよりよい友好関係を築くことができる。

食わず女房の昔話は、物を食わないと偽って嫁にしてもらった女が実は人食い鬼だったという話で、亭主はあやうく食われそうになるが、菖蒲の林に逃げ込んで助かったという内容のものである。菖蒲の季節を舞台にしているので、かつて全国各地でみられた菖蒲を吊るして厄除けをする民俗や、その背景にある女のふきごもり(女の家)の行事との関連が指摘されている。

デカルトは方法的懐疑を用いて、人間の感覚、知覚や思考の中に現れてくるすべての事象を一旦棚上げした。そうすることで「思考する我」つまり「精神的存在としての私」を抽出してくるのであるが、この際に疑いの対象となったものの中心は、通常我々が物質と呼ぶものである。物質の存在性は、我々が日常そう思っているほど堅固なものではない、それはいくらでも疑いうるものなのだ、これがデカルトの方法的懐疑の核心的主張であった。

ランボーの「イリュミナション」から「デモクラシー Démocratie」 (壺齋散人訳)

  薄汚れた風景の中を旗がなびき、
  田舎者のわめき声が太鼓の音をかき消す

  「俺たちが養うべきは飛び切り皮肉屋の売奴だ
  理屈屋どもの革命などくたばれ

  「気の利いたテンペラ画のような国万歳!
  産業と軍隊のために奉仕せよ

  「ここがどこだろうともういい、おさらばだ
  徴兵に志願して、残忍な哲学を身につけよう
  科学を軽蔑し、快楽に悪知恵を働かせ
  世の中がどうなろうと知ったことか。
  これが本物の行進だ いざ前へ進め」

ランボーの「イリュミナション」から「ボトム」 Bottom (壺齋散人訳)

  俺の寛大な性格にとっても、この世は余りにも刺々しい
  そこで俺は女主人の家で目を覚ますと
  灰色の巨大な鳥となって天井からぶら下がり
  宵闇の中に羽根を垂れていたのだった

歩くこと、走ることは、運動の中でも基本的なものだから、健康にプラスに働くことはいうまでもない。走ることつまりランニングは、長生きにもつながる。スタンフォード大学の研究グループは、ランニングが寿命を長引かせる効果について研究を重ねた結果、それを数字の上でも実証してみせた。

詩経国風:齊風篇から「雞鳴」を読む。

  雞既鳴矣  雞既に鳴きぬ
  朝既盈矣  朝既に盈ちたり
  匪雞則鳴  雞の則ち鳴くに匪ず
  蒼蠅之聲  蒼蠅の聲なり

詩経国風:鄭風篇から「溱洧」を読む。(壺齋散人注)

  溱與洧    溱と洧と
  方渙渙兮  方(まさ)に渙渙たり
  士與女    士と女と
  方秉蕑兮  方に蕑を秉(と)る
  女曰觀乎  女曰く觀しやと
  士曰既且  士曰く既に且(い)きしと

  且往觀乎  且つ往きて觀んか
  洧之外    洧の外に
  洵訏且樂  洵(まこと)に訏(おほ)いにして且つ樂し
  維士與女  維(こ)れ士と女と
  伊其相謔  伊(こ)れ其れ相ひ謔むれ
  贈之以勺藥 之に贈るに勺藥を以てす

詩経国風:鄭風篇から「出其東門」を読む。(壺齋散人注)

  出其東門  其の東門を出づれば
  有女如雲  女有り 雲の如し
  雖則如雲  則ち雲の如しと雖も 
  匪我思存  我が思ひの存するところに匪(あら)ず
  縞衣綦巾  縞衣綦巾
  聊樂我員  聊か我を樂しましむ

シェイクスピアのソネット35 No more be grieved at that which thou hast done (壺齋散人注)

  自分のしてしまったことを嘆くのはもうやめたまえ
  バラには棘があるし 泉の底には泥がある
  雲は月を隠し 日食は太陽を黒くする
  可愛い蕾にも忌まわしい病気が潜んでいるものだ

シェイクスピアのソネット30 When to the sessions of sweet silent thought(壺齋散人訳)

  静かに甘い思い出にふける折
  過ぎ去ったことどもを思い起こそうとして
  探し求めている多くのものがすでにないことに気づき
  昔の悲しみを新たにして時の流れを嘆き悲しむ

かえる君のお出かけ A Frog He Would A-wooing Go (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  かえる君がいそいそとお出かけさ
  ハイホー!とローリーがいう
  かえる君がいそいそとお出かけさ
  ママのかえるが引き止めても無駄さ
  えっさえっさ えっさほいさっさ
  ハイホー!とアントニー

おばあさんとネコ The Old Woman and her Cat (マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  箒にまたがったおばあさんが 空中旅行
  やっとこさっとこ スーイスイ
  箒の後ろにはネコのトム
  どっこいそっこい ムーズムズ

小さなすずめ A little cock sparrow sat on a green tree(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  小さなすずめが木の上で
  チュンチュンチュンと鳴いていました
  そこへ弓矢を持った男の子が来て
  すずめを撃とうと こういいました
  こいつのお肉でシチューを作り
  はらわたでパイを作ったらうまいだろう
  これを聞いたすずめは大慌て
  羽根を鳴らして飛んでいきました

昔から、女が男より長生きすることは、経験的に知られている。今日の先進諸国においては、女の平均寿命は男より5年から10年長い。100歳以上生きる人の圧倒的多数は女である。何故そうなのか。

山に漂うと考えられた死霊あるいは祖霊のうちでも、その荒ぶる霊としての恐ろしい姿が鬼としてイメージされた。その中でも、山姥は女の鬼として、通常の男の姿の鬼とは一風異なった雰囲気を醸し出している。安達が原に出没したとされる山姥は、通りがかる旅人をことごとく食らいつくす恐ろしい鬼であるが、その山姥の口が裂けたイメージは、あらゆるものを飲み込んで抱擁する母性のイメージをも感じさせる。

デカルトの有名な言葉「我思う故に我あり」 Cogito ergo sum は、あらゆる意味でヨーロッパの近代思想の出発点となった。それは世界の存在や人間の認識を、個人の意識の明証性に立脚させるものである。何者もこの明証性によって支持されないものは、その存在を明証的なものとして主張し得ない。デカルト以降今日に至るヨーロッパの哲学思想は、すべてこの意識の呪縛の中から生まれてきたのである。

ランボーの「イリュミナション」から「戦争 」Guerre (壺齋散人訳)

  少年時代、ある種の空が俺の視力を鍛えてくれた
  その空のあらゆる陰影が俺の表情にも反映し
  様々な現象が生起した。
  今では
  屈折した永遠の瞬間と無限定の定理とが
  俺を駆り立てて、この世界を通過させる
  ここでは俺は、礼儀を以て遇され、
  妙な子どもたちに尊敬され、大いなる愛を注がれるのだ。
  俺は戦争を夢見る
  権利と力との、思いがけぬロジックの戦いだ。

  音楽の一節のようにたわいない

ランボーの「イリュミナション」から、苦悩 Angoisse(壺齋散人訳)

  俺の野望が次々と砕かれていくのを、
  あいつが果たして容認するだろうか?
  - 安楽な最後が苦痛の日々を償い
  - 成功の一日が俺たちの恥辱をなだめてくれるように!

世の中には勤勉で働き者の人間がいる一方で、働くことの嫌いな怠け者の人間がいるものだ。これは動物についてもいえる。「ナマケモノ」のように、種全体が怠け癖に染まった動物がいるほか、一例をネズミにとって見ても、動き回るのが好きなやつと、じっとしているのが好きなやつが混在している。

詩経国風:鄭風篇から「子衿」を読む。(壺齋散人注)

  青青子衿  青青たる子が衿
  悠悠我心  悠悠たる我が心 
  縱我不往  縱(たと)へ我往かずとも
  子寧不嗣音 子寧(なん)ぞ音を嗣がざらんや

詩経国風:鄭風篇から「風雨」を読む。(壺齋散人注)

  風雨淒淒  風雨淒淒たり
  雞鳴喈喈  雞鳴喈喈たり
  既見君子  既に君子を見る
  云胡不夷  云胡(いかん)ぞ不夷(たひらか)ならざらんや

詩経国風:鄭風篇から「褰裳」を読む。(壺齋散人注)

  子惠思我    子 惠にして我を思はば
  褰裳涉溱    裳を褰(かか)げて溱を涉らん
  子不我思    子 我を思はずんば
  豈無他人    豈に他人無からんや
  狂童之狂也且 狂童の狂や

シェイクスピアのソネット29 When, in disgrace with fortune and men's eyes(壺齋散人訳)

  運命にも他人の目にも見放され
  我が身の不遇を一人嘆きながら
  無益な叫びで聞く耳持たぬ天を煩わし
  つくづく自分を眺めては身の不運を呪うとき

ガソリン価格の上昇と食料品の相次ぐ値上げが、日本の消費者を直撃している。ガソリンはともかく、食料品まで値上げラッシュに見舞われている事態は、不気味なものを感じさせる。こうした値上げが、他の消費財にも広がるようようだと、広範なインフレの懸念が現実味を帯びてくる。長い間、物価の安定に慣れ親しんできた日本人にとっては、深刻な事態というべきだろう。

シェイクスピアのソネット27 Weary with toil, I haste me to my bed(壺齋散人訳)

  くたびれ果ててわたしは寝床へと急ぐ
  旅に疲れた手足を伸ばせるところへと
  すると今度はわたしの頭の中での旅が始まり
  身体を休めている間に心を労するのだ

グルジアで紛争が再燃している。南オセチアの分離独立運動に対してグルジア軍が介入し、首都のツヒンヴァリを中心に武力衝突が勃発しているのだ。この衝突に、コーカサスのコサックたちが多数加わり、南オセチア側にたって戦闘を繰り広げているようだ。

ロンドン橋が落ちまする London Bridge is falling down (マザーグースの歌:壺齋散人訳)


  ロンドン橋が落ちまする
  落ちまする 
  落ちまする
  ロンドン橋が落ちまする
  聖母様 聖母様 

奥方が馬に乗りゃ This is the way the ladies ride (マザーグース:壺齋散人訳)

  奥方が馬に乗りゃ
  ポコポコ ポコポン
  ポコポコ ポコポン
  奥方が馬に乗りゃ
  ポコポコポコポン ポコポコポコポン

お人よしサイモン Simple Simon met a Pieman(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  お人よしサイモン パイ売りと出会った
  市場へと出かけていって
  お人よしサイモン パイ売りにいった
  味見をさせてくれないか

昔話の瓜子姫は残酷な話である。天邪鬼という鬼が瓜子姫をだまして食ってしまい、その皮をかぶって姫になりすますが、最後には正体を見破られるというのが大方の荒筋である。中には、柳田国男が紹介している出雲の話のように、瓜子姫は殺されずに裏庭の柿の木に裸で吊るされるというパターンもあるが、鬼に食われてしまうというものが圧倒的に多く、聴耳草紙の話もそのようになっている。

地球上の生命がどのようにして生まれたか、詳しいことはほとんどわかっていない。ひとつの仮説として従来有力だったのは、宇宙の外の天体からもたらされたというものである。ある時期地球に衝突した天体に原始的な生命体が含まれていて、そこから地球の生命の歴史が始まったと推測するものだが、説明できないことを、神の業に帰するのと同様、都合がよすぎるという批判が強い。

「良識はこの世で最も公平に分配されているものである。」(野田又夫訳、以下同じ)これはデカルトの著作「方法序説」第一部の冒頭を飾る言葉である。デカルトは続けて次のようにいう。「よく判断し、真なるものを偽なるものから分かつところの能力、これが本来良識または理性と名付けられるものだが、これはすべての人において相等しい。」

地上の動物の中で二足歩行を常態としているものは人間だけである。人間に近い類人猿であるチンパンジーも二足歩行をするが、普通は四肢を用いて歩行する。二足歩行を常態として行うには、骨格や筋肉組織がそれに対応できていなければならない。背骨がS字型を描き、太股を中心にした脚の筋肉と骨盤底筋が発達していることが必要条件である。

ランボー「イリュミナション」から、「海景」 Marine (壺齋散人訳)

  銀と胴でできた戦車
  鋼鉄と銀でできた船のへさきが
  波を打って進み
  バラの切り株を根こそぎにする
  大地の潮流
  引き潮の巨大なわだちが
  うねりながら東へと広がり
  林立する木立
  防波堤に向けて押し寄せる
  そしてその先端には光の渦が逆巻くのだ

ランボーの「イリュミナション」から「花々」 Fleurs (壺齋散人訳)

  黄金の台の上から
  - 絹の紐や、灰色のガーゼや、緑のビロード
  ブロンズの太陽のように黒ずんだクリスタルに囲まれ
  - 俺は、銀や目や髪の透かし模様をつけた絨毯の上で
  一本のジギタリスが開くのを見た

詩経国風:鄭風篇から「狡童」を読む。(壺齋散人注)

  彼狡童兮    彼の狡童
  不與我言兮  我と言(ものい)はず
  維子之故    維(こ)れ子の故に
  使我不能餐兮 我をして餐(くら)ふ能はざらしむ

詩経国風:鄭風篇から「蘀兮」を読む。(壺齋散人注)

  蘀兮蘀兮  蘀(たく)や蘀や
  風其吹女  風其れ女(なんじ)を吹かん
  叔兮伯兮  叔や伯や
  倡予和女  倡(うた)はば予女に和せん

旧ソ連の反体制作家として知られるアレクサンドル・ソルジェニーツインが死んだ。89歳だった。「イヴァン・デニーソヴィッチの一日」、「ガン病棟」、「収容所群島」などの作品は、旧ソ連共産主義体制に潜む非人間性を暴いたものだが、同時に人間の普遍的な感情を描き出したものとして、世界の文学史上において特別の位置を占めるに値する。

シェイクスピアのソネット23  As an unperfect actor on the stage(壺齋散人訳)

  駆け出しの俳優が舞台の上で
  不安に駆られて役を忘れるように
  怒りに取り付かれた男が勢いの余りに
  心の冷静さを失うように

シェイクスピアのソネット20  A woman's face with Nature's own hand painted(壺齋散人訳)

  私の情熱の主人にして女主人でもある君よ 
  自然が描き出した女性の顔を君は持っている
  君はまた女性のような優しい心も持っている
  それは普通の女のように浮気なものではない

ハートのクィーン The Queen of Hearts(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  ハートのクィーンが
  日曜日の朝に
  タルトケーキをこしらえた

コケコッコ Cock A Doodle Doo(マザーグースの歌:壺齋散人訳)

  コケコッコ
  奥方が靴をなくした
  旦那はバイオリンの弓をなくした
  これじゃどうにもならないわい

ボビー・シャフトー Bobby Shaftoe (マザーグース:壺齋散人訳)

  ボビー・シャフトー海に行ったの
  銀のバックル膝に巻いて
  帰ってきたら結婚するの
  素敵なボビー・シャフトーと

  ボビー・シャフトー素敵なの
  赤毛を肩まで垂らしているの
  わたしの永遠のお友達
  素敵なボビー・シャフトーなの

ヒツジグサ(未草):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


ヒツジグサは日本の山野の沼沢に自生する睡蓮の野生種である。その分布は日本のほぼ全土に渉るという。6月頃から11月頃まで長い間裂き続ける。一般に睡蓮と呼ばれているものが、夏の暑いさなかにしか咲かないのにくらべると、これは花季が非常に長い。

アメリカ下院議会が、アフリカ系市民に対して公式に謝罪する決議を採択した。「アフリカ系市民及び彼らの祖先に対して、奴隷制やジム・クロウ法を通じてなされた数々の不当な仕打ちについて、国民を代表して謝罪する。」というものである。

漱石は二年余りに及ぶイギリス滞在中、ついにイギリス人とその社会に溶け込むことができなかった。あまつさえその後半の一年ほどは、ひどいノイローゼも作用して、下宿に閉じこもって日本人との交際もしなくなった。このため漱石はついに狂ったのだという風評が立ち、それが本国にも聞こえて、学業半ばにして、帰国を命じられるのである。

西洋の近代哲学はルネ・デカルト René Descartes に始まる。そういえる理由はいくつかある。まず第一に、哲学を思弁ではなく、経験に立脚させたことである。西洋の近代哲学は、経験論の潮流にせよ、観念論の潮流にせよ、人間の確固とした経験に裏付けられていない形而上学的な思弁を排除する傾向を持つが、そうした態度はデカルトの方法的な態度に淵源する。

雑誌「ニューヨーカー」を舞台に活躍するジャーナリスト、ジェーン・メイヤーJane Mayerの最新の著作 “The Dark Side : The Inside Story of How the War on Terror turned into a War on American Ideals” が大きな関心を呼んでいる。アメリカの対テロ戦争で生じた異常な人権侵害を解明した著作だ。



アーカイブ

Powered by Movable Type 4.24-ja

本日
昨日

最近のコメント

このアーカイブについて

このページには、2008年8月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2008年7月です。

次のアーカイブは2008年9月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。