楚辞:屈原と中国古代の南方の詩

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楚辞は詩経と並んで中国最古の詩集である。詩経は孔子が当時流布していた詩のうちから300篇を選んで編纂したとされ、周の時代にまでさかのぼるものを含むのに対し、楚辞の方は屈原という天才の詩を中心にして、それよりも後の時代の作品を多く含んでいる。おおむね紀元前300年前後より後の戦国時代末に作られた作品群ということができる。

詩経と楚辞を並べてみると、そこには大きな相違がある。まず詩形である。詩経の詩は原則として四文字を単位に一句を形成し、比較的に短い。しかも繰り返しが多く、内容はいたって単純なものが多い。これに対して、楚辞のほうは一句が7文字とか8文字からなり、長編のものが多く、内容もより複雑である。

次に表現においては、詩経は日常の用語を基本に用いて、すなおな感情が歌われているのに対し、楚辞のほうは複雑な比喩を交えて、多彩な感情が歌われる。時にはその感情の高ぶりが幻想的な雰囲気まで演出することがある。文学作品として、いっそう洗練されているといえる。

これは作者の違いに基づくものと思われる。詩経の諸編を歌ったのは名もない庶民であり、そこには彼らの日常の感慨が込められている。しかもそれらの詩は歌謡としての側面を持ち、歌うことを前提にしてつくられていると考えられる。

これに対して、楚辞のほうは屈原という一人の天才を中心にして成り立っている。屈原の手にならない作品も、多かれ少なかれ、屈原の作風を手本にしている。屈原は自分の生活をもとに、詩に強烈な感情を盛り込むことで、詩経の世界とは違った新しい詩の世界を作り上げた。

だが屈原もゼロから出発したわけではなかった。彼が詩作を始めるにあたっては、楚を中心にした南方地方の詩形が手本になったと考えられる。

古代中国の南方の詩は、詩経に代表される北方の詩が、歌謡つまり歌うことを目的に作られたに対して、読み上げることを前提に作られたようだ。朗読することを目的にした詩を「賦」といった。屈原の詩を始め、楚辞の諸編は、この「賦」の伝統の上に立っているといえる。

楚辞という名称そのものがこのことを物語っている。詩経と同じような意味合いなら「楚詩」と称してもよいのに、あえて「楚辞」と称したのは、それが「詩」ではなく「辞」を集めたものだという意識があったからだと考えられる。「辞」とは「辞令」の辞であり、人々の前で読み上げられるものである。すなわち「賦」に通ずる。

現存する楚辞の最古の本は後漢の王逸が編纂したものである。王逸は劉向に従って16巻に分けたと記し、次のような配列をとっている。

離騒第一(屈原)、九歌第二(屈原)、天問第三(屈原)、九章第四(屈原)、遠遊第五(屈原)、卜居第六(屈原)、漁夫第七(屈原)、九弁第八(宋玉)、招魂第九(宋玉)、大招第十(屈原或曰景差)、惜誓第十一(カギ)、招隠士第十二(淮南小山)、七諌第十三(東方朔)、哀時命第十四(巌忌)、九懐第十五(王褒)、九歎第十六(劉向)

このうち確実に屈原作といえるものは、離騒と九章のあわせて10篇である。このほかに、九歌11篇、天問、遠遊、卜居、漁夫を合せて計25編を屈原作とする見方もある。「漢書」に「屈原賦二十五編」などとあるのはこの説に従っているのであるが、卜居や漁夫が屈原本人の作とするのは無理があるとの見方が強い。

だが今日では、一応以上の25編を屈原作とするのが通例となっており、本稿もそれに従った。なお、惜誓第十一以降はすべて漢代の作である。

楚辞の詩形を特徴付けるものに、「兮」という助詞の多用がある。この文字は詩経でも使われているが、それは数ある序詞のひとつとしてで過ぎないのに、楚辞では大部分の詩篇において、組織的に用いられている。

いま、その用法を分類すれば、次のとおりである。

甲①  □□□□ □□□兮  
甲②  □□□□兮 □□□
乙   □□□兮□□□ □□□兮□□ □□兮□□  
丙   □□□○□□兮 □□□○□□

甲①は、偶数番目の有韻句の後に兮字を置くもので、九章橘頌で用いられている。甲②は、奇数番目の無韻句の後に兮字を置くもので、九章懐沙で用いられている。乙は兮字が句ごとの真ん中にあって、一句を二分するものである。九歌に見られるが、用法としてはもっとも古い形だろうと推測される。丙は、離騒及び九章中の七篇において用いられている。○の中には、「其」や「以」などの文字が入る。


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    このページは、が2008年9月23日 17:57に書いたブログ記事です。

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