国の出先を統廃合して35000人削減:分権委2次報告

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政府の地方分権改革推進委員会が第2次報告を出し、その中で国の出先機関を統廃合して3万5000人を削減、うち2万3000人は地方へ移管という目標を掲げた。なかなか進まぬ行政改革を、数値目標を示すことで進めさせようとする意図が伺えるが、その中身は十分な検証を経たものとはいえないようで、早くも実現を危ぶむ声が優勢だ。

まず数字を突きつけられた形の国の各省の反応は、「何これ?」といったもので、自分たちの意見を十分に汲んでいない内容に猛反発だ。労組も省庁と口をそろえて反発し、「経済界の発想が色濃い」などと批判している。

一方国の職員の受け皿役をあてがわれた地方側は、十分な権限や財源の裏づけなしに、仕事だけ押し付けられるのではと、警戒感を滲ませている。

何故こういう事態が起きるのか。国の行政のスリム化といい、地方分権といい、長年の懸案であったはずだ。それがいまだに遅々として進まず、方向性を巡って関係機関の合意もとれない。こんなことではいつまでたっても、時代の要請に対応できる行政のあり方は見えてこない。

日本の行政制度の悪いところは、国と地方との間で役割分担が明確でなく、二重行政が効率を殺いでいるところだ。また国が独自に行っている行政分野の中でも、時代の進展から取り残されて意義の薄れたものが増える一方、必要性の高い分野に十分な手当てがなされていないという問題が生じている。

たとえば道路などの基盤整備に関する役割分担を見ると、広域道路は国、地方の中核道路は都道府県、生活道路は市町村と、一見合理的な区分けになっているように見えるが、その境界は決して明らかとはいえない。また地方道の整備に国が補助金を使って実質的に介入するかと思えば、国の直轄事業には分担金と称して地方側から負担を求めるといった具合に、権限や財源の配分がすっきりとしていない。

いえることは、複雑に絡み合った行政機関の利害関係の網を通じて、毎年膨大な規模の道路整備だけが進んでいくということだ。そのなかには緊急性の低いものが沢山含まれて、諸外国の笑いものになっているようなものもあるが、それは複雑怪奇な制度があるからこそ起こりえるのだろう。

だからこの際もう一度原点に立ち戻って、国と地方を通じた行政のあり方を抜本的に見直したほうがよい。回り道のように見えるが、長い目で見ればそのほうが確実で効率的だろう。

その際、地方制度のあり方も見直すべきだろう。何しろ今の地方制度は、明治時代に作られた骨格の上に立っている。2度にわたって市町村の大合併が行われてきてはいるが、都道府県の規模は明治時代のままだ。

市町村をめぐる平成の大合併は明確な理念に基づくというよりも、当面の必要に迫られたものだった。その結果いたって中途半端に終わり、東京など裕福な地域の市町村では、進んで合併した例はない。

都道府県については、これまで幾度か道州制の議論が起こったことがあったが、最近はなりを潜めたようだ。都道府県の実力が強くなってきて、その意向を無視した制度改正が出来ずらくなったからだろうが、そんな時期だからこそ、不透明な利害を超えた公正な議論ができるはずだ。もしこの国に今後も、国と基礎的自治体の間に中間の自治体を置き続けるのであれば、それにどんな機能を持たせるべきかについて、真剣な議論がなされるべきだ。


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    このページは、が2008年12月10日 18:48に書いたブログ記事です。

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