雨中の新年会:飯田橋京町屋に会す

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気の置けない人びとと一堂に会し、杯を酌み交わしながら清談に耽る、これほど人生に色を添えてくれるものはない。この日もそんな人びとと一夜を共にする機会に恵まれた。先日羽田でアナゴ料理を食った仲間だ。

幹事役のM女史から連絡があり、飯田橋の近く、特別区会館の向かいにあるビルの一角、京町屋という店で会いましょうというので、勤務を終えた後、霏々たる雨の中を出かけた。そういえば羽田で会った時にも、雨が盛んに降っていたなと、思い出しながら。

店の玄関でK氏と鉢合わせ、ともに席に通されると、M女史はすでに来ていた。F氏、S氏も追って駆けつけた。SA氏は都合で出られぬというので、今日のメンバーは五人だ。早速ビールで乾杯し、出された料理に箸を運びながら、互いの近況を述べ合う。京町屋という屋号のとおり、この店は京都のオバンザイ料理を出す。価格がリーズナブルなのは、若い人をターゲットにしているからだろう。

五人のうち現役選手は三人、筆者とK氏は定年を終えた身だ。それでもそんなに年が離れているわけではないので、話は結構かみ合うのである。

正月をどう過ごしたかが最初の話題だ。K氏はオーストラリアのゴールドコーストで家族とともに休暇を楽しんだといい、M女史はイタリアのシチリア島に単身出かけたという。また他の三人は自分の家で正月を過ごしたという。

K氏はゴールドコーストの自然がすばらしかったといい、M女子はシチリア島の文化の厚みに圧倒されたという。そこからおのずと、話題は自然と文化に及んだ。いわば自然派と文化派の論争だ。

M女史はいう。シチリア島は紀元前時代からアルキメデスやピタゴラスが活躍していた。また当時のシチリア島のギリシャ人たちは巨大な建築物もこしらえていた。そのころの日本人はどうしていたのでしょう。ここで自然派は、紀元以前から日本の自然はすばらしかったと応える。噛み合わぬが楽しい会話だ。

筆者などは、紀元前時代の日本人は、ドングリの実を求めて照葉樹林帯をさ迷い歩き、あるいは小獣を狩しながら山野を駆け巡っていたのだろうと、想像したりする。

こんな他愛もない話から、話題は転じてさまざまな領域に及ぶ。政治を論じ、文化を論じ、自然の荒廃を嘆き、この国と地球の行く末を按ずる、といった具合だ。

今宵は食事のコースに合せて飲み放題のプランを採用し、しかも割り増し料金を支払って高級な銘柄までフンダンに出させたため、ついつい飲みすぎてしまう。その結果酒に弱い筆者などは、すっかり酒に飲まれてへべれけになる始末、いつものこととはいえ、慙愧に耐えぬ。だがそれも酒席の楽しさが埋め合わせをつけてくれるというわけだ。

九時過ぎに一旦散会して表に出たが、みな飲み足らぬ、いや話したらぬと見えて、もう一軒立寄ろうということになった。だが筆者は自分も一緒に立寄ったに違いない二軒目のことをよく覚えていないのだ。恐らく酔いつぶれて、半分眠っていたのだろう。

そこで寝惚先生こと大田南畝に倣って、狂詩を作ってみた。

  楼上乱飛忘憂華  楼上乱れ飛ぶ忘憂の華
  一杯一杯復一杯  一杯一杯また一杯
  我醉如泥卿且許  我醉ひて泥の如し卿且く許せ
  明日為汝厚詠懐  明日汝が為に厚く懐ひを詠べん

原詩は李白の有名な七言絶句「山中対酌」だ。みな筆者がブログを書き綴っていることを知っている。その中で自分たちが肴にされるのではないかと思っているフシがあるので、その気持ちに応えて作ってみた次第。

その夜、電車の中でも眠り込み、津田沼からタクシーを雇って帰ったことは、先日のとおりだ。


関連リンク: 日々雑感

  • 羽田のアナゴ料理屋

  • 世界の食の首都東京:グルメ天国日本

  • 日本の食文化




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    昨年末より続いていた晴天、乾燥の空気を打ち破る冬の嵐の一夜、江戸の外堀跡の地に立つ京風飲み屋にて散人と杯を交わした者です。
     当夜は散人の筆にある様に気の置けぬ仲間の新春の宴、特に現場の車夫の人事管理に頭を悩ますF氏を激励するのが宴の目的の一つであった。金曜の夜ということ、良い酒が飲み放題ということもあり杯を重ね、談論風発。F氏が立ち上がり、昔懐かしいインターを歌い出すほどの盛り上がり。
     それにしても2次会のことを散人が殆ど覚えていなかった
    とは意外でした。何故なららーめん屋に行こうとする我々に
    良い饂飩屋があると案内したのは散人でした。その店は民芸風の店構えの店で、満員状態であったが、先客が我々の入店を潮時とし席を交代してくれた。4人席に5人が座り、F氏は既にダウンの状態であった。
     散人の勧めによりM女史を除く3人がきつね饂飩を注文。
    これが薄味の本格派であり、特に酒の後には一段と美味しく感じる。要らないと言っていたM女史も我々の食べっぷりを見て、食べたいと言い、私の分の半分以上を平らげる。
     その後清算して外に出た頃には雨もすっかり上がり、星さえ見えた。飯田橋に向かう散人の足どりはしっかりしており、その表情は満足感に溢れて要る様に見えた。


     

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