2009年2月アーカイブ

明治35年は子規が死んだ年である。その前年「墨汁一滴」の連載をなし終えた子規は、自分の死がいよいよ押し迫ってきたことを痛感し、その気持ちを私的な日記「仰臥漫録」の中でも吐露していたが、幸いにして年を越して生きながらえ、毎年恒例のように訪れてくる厄月の5月も何とか乗り切れそうな気がしていた。そんな子規に新たな連載の機会が与えられた。日本新聞社友小島一雄の計らいだった。

国家の成立に先立って人間の自然状態を想定し、そこから社会契約によって国家あるいは政府というものが形成されると考える点で、ロックはホッブスの政治理論と似通った思想を抱いていた。しかし肝心なところで、ロックとホッブスとの間には相違がある。

勤め人であれば、気の合わない連中とも付き合わねばならぬし、時にはまずい酒も飲まねばならない。だから定年を迎えて遠慮のいらない立場になると、そういうまずい付き合い酒は一切避けて、ほんとに気の会った連中ばかりと飲むようになる。

李白の七言古詩「烏夜啼」(壺齋散人注)

  黄雲城邊烏欲棲  黄雲 城邊 烏棲まんと欲し
  歸飛啞啞枝上啼  歸り飛び啞啞として枝上に啼く
  機中織錦秦川女  機中錦を織る秦川の女
  碧紗如煙隔窗語  碧紗煙の如く 窗を隔てて語る
  停梭悵然憶遠人  梭を停め 悵然として遠人を憶ふ
  獨宿孤房涙如雨  獨り孤房に宿して涙雨の涙し

李白の七言古詩「子夜呉歌」(壺齋散人)

  長安一片月  長安一片の月
  萬戸擣衣聲  萬戸衣を擣(う)つの聲
  秋風吹不盡  秋風吹いて盡きず
  總是玉關情  總て是れ玉關の情
  何日平胡虜  何れの日にか胡虜を平らげて
  良人罷遠征  良人遠征を罷めん

ミスタンゲットの歌「わたしはパリ生まれ」Oui, je suis de Paris:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  わたしを
  見る人はみんな こういうの
  とてもおしゃまで かわいいねって
  うれしいわ
  そのとおりよ
  わたしは
  おしゃべりするのも だいすきよ
  街中の男たちともお友達
  たのしいわ
  空騒ぎしても
  礼儀正しいの
  わたしの
  生まれは
  (パリ)
  そのとおり

ミスタンゲットの歌「ほんとよ」C'est vrai:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  やっとパリに たどり着いたわ
  ロンドンと トリーノと
  オーストリアを旅し
  ウィーンから 舞い戻って きたの
  だってパリに いないわけには
  いかないもの
  パリは いつでも 最高だわ

ウィリアム・ブレイク詩集「ポエティカル・スケッチ」から「歌2」 Song No2(壺齋散人訳)

  私の絹衣も素敵な衣装も
  私の微笑も物憂さも
  みな恋が追い払ってしまった
  すると悲しみやつれた絶望がきて
  私にイチイの木を贈りそれで墓を飾れという
  本当の恋もこんな終わり方をするもの

ウィリアム・ブレイク詩集「ポエティカル・スケッチ」から「歌1」Song No1(壺齋散人訳)

  何と楽しく野から野へとさまよい歩き
  夏の栄華の限りを味わっていたことでしょう
  そのうち私は愛の王子を見かけたの
  太陽の光の中を滑っていたわ

中国四川省で巨大地震が発生し、多くの人が死んだのをはじめ、甚大な被害をもたらしたのは昨年の5月のことだ。何しろ87000人が死亡し、そのうちの19000人は子どもだというのだ。それ以来復旧は進められているようだが、全面倒壊して多くの児童・生徒が犠牲になった学校は、まだ瓦礫の山のまま残っており、その下には発見されていない子どもの遺体も埋まったままだという。

寒椿:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


筆者は子供のころから椿に囲まれて育ったこともあり、椿の花は最も好きな花のひとつだ。春から初夏にかけて咲く、藪椿のように大きな木になるもの、晩秋から冬にかけて低木に花をさかせる山茶花系の椿、そしてこの絵に描いた寒椿と、季節ごとに椿の花を楽しんできた。

筆者には「あひるの会」と称する愉快な仲間がある。その連中と久しぶりに田町の「道灌かがり」という店に集まり、小宴を催した。メンバーの大部分が集まるのは、一昨年の暮れに台湾へ旅行して以来である。今回はメスのあひるが2羽、オスのあひるが7羽、計9羽集まった。

マザーグースの歌から「おいで 駒鳥ちゃん」Come hither, sweet robin(壺齋散人訳)

  おいで駒鳥ちゃん
  怖がらなくてもいいよ
  羽一本傷つけないから
  おいで駒鳥ちゃん
  こっちへきてパンをお食べよ
  そして元気におなりよ

マザーグースの歌から「子猫が好き」I like little Pussy(壺齋散人訳)

  僕は子猫が好きなんだ 毛皮はとても暖かいし
  僕が意地悪しなければ 子猫も僕に向かってこない
  僕だって尻尾をつかんだり 払いのけたりしないもの
  僕らはいつも仲良くして 一緒に遊んでいるんだよ

マザーグースの歌から「かわいい雌鳥」I had a little Hen(壺齋散人訳)

  僕の小さな雌鳥は 世界中で一番かわいいんだ
  お皿は洗ってくれるし お部屋を掃除してくれるし
  水車小屋にいって粉をひいて
  あっというまに運んできてくれるし
  それでもってパンを焼いて ビールも作ってくれるし
  暖炉のそばに腰掛けて お話もしてくれるんだ

東京の大田区といえば、機械金属産業関連の中小零細企業が集積しているところとして知られている。中小零細企業といっても侮ってはいけない。これらの企業は高度な技術と熟練を武器に、世界に冠たる日本のものづくりを、産後基盤の面で支えてきたのである。これらの企業の努力がなかったら、経済先進国としての日本の今日はなかったといってもよい。

子規は明治34年の7月2日を以て「墨汁一滴」の連載を終了した後、同年の9月2日から「仰臥漫録」を書き始めた。だがこちらは発表することを意図したものではなく、あくまでも子規の私的な手記であった。それだけにいよいよ死を間近に控えた人間の内面が飾ることなく現れている。

ロックの倫理思想は快楽と欲望に立脚している点で、ベンサムの功利主義思想を先取りしている。ロックによれば、快楽を増進し苦痛を減退させるものが善である。だから我々人間は快楽が最大になるように欲望する。そして快楽が最大になった状態を幸福と感ずるのだ。

ミスタンゲット Mistinguett の歌「サ・セ・パリ」Ça, c'est Paris:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  パリは ブロンド娘
  世界を 魅了する
  鼻を つんとさせて
  目には 笑みを浮かべ
  訪れる 人は誰でも
  魅力に うっとりとする
  いったん 去った後でも
  かならず 舞い戻るの

ミスタンゲット Mistinguettの歌「思い人」Mon Homme:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  この世に ひとつだけの よろこびは
  思い人
  愛も 心も もてるものを 捧げるの
  思い人に
  真夜中に
  夢見るのも ただひとつ
  思い人のこと
  男前でも 金持ちでもないけど
  愛してるの
  ばかげてるでしょ
  でもいいのよ
  だれがどう思おうと
  こころから
  愛してるの

李白の七言絶句「清平調詞」(壺齋散人注)

  名花傾國兩相歡  名花傾國 兩つながら相ひ歡ぶ
  長得君王帶笑看  長(つね)に得たり君王の笑みを帶びて看るを
  觧釋春風無限恨  觧釋す 春風無限の恨みを
  沈香亭北倚闌干  沈香亭北 闌干に倚る

李白の五言律詩「宮中行樂詞八首其二」(壺齋散人注)

  柳色黄金嫩  柳色 黄金にして嫩(やはら)かに
  梨花白雪香  梨花 白雪にして香し
  玉樓巣翡翠  玉樓 翡翠巣くひ
  金殿鎖鴛鴦  金殿 鴛鴦を鎖す
  選妓隨雕輦  妓を選びて雕輦に隨はしめ
  徴歌出洞房  歌を徴(め)して洞房を出でしむ
  宮中誰第一  宮中誰か第一なる
  飛燕在昭陽  飛燕は昭陽に在り

長安の李白

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李白が長安に召されたのは742年(天宝元年)の半ば頃だった。道士仲間の呉筠が先に朝廷に仕えており、彼の李白についての言葉が、何らかのルートで玄宗の耳にも聞こえ、召されることになったのだろうと推測されている。玄宗の妹の玉真公主が熱心な道教徒であったことから、恐らくこの女性の介在によって李白の朝廷入りが実現したのではないか。

パソコンのリカバリーを初めてやってみた。リカバリーというのは、パソコンがウィルスに感染するなどして、まともに動かなくなった事態を前に、パソコンにインストールされているプログラムや情報をすべて消去して、OSのソフトを再入力し、買ったときの状態に引き戻すことを言う。こうすることで、機能していない機械に、もう一度活躍の機会を与えるという意味がある。

ウィリアム・ブレイク詩集「ポエティカル・スケッチ」から「朝に寄す」 To Morning(壺齋散人訳)

  おお聖なる処女よ! 純白の衣を着て
  天空の黄金の門を開き 出てきておくれ
  天空で眠っている夜明けを起こし
  東の空から光を注がせておくれ
  そして目覚める日に蜜のような露を贈っておくれ
  おお輝く朝よ 狩人のように起き上がった
  太陽にご挨拶なさい
  そしてバスキンを履いて私たちの丘に現れなさい

ウィリアム・ブレイク詩集「ポエティカル・スケッチ」から「宵の明星」 To the Evening Star(壺齋散人訳)

  金色の髪をした夕暮れの天使よ
  今や太陽が山の端に憩うとき
  お前の明るい愛の松明で照らしておくれ
  輝く冠をつけて夕べの寝床に微笑みかけておくれ
  そして私たちの愛に微笑みかけておくれ
  お前が空の青い帳を引くときには
  眠りに目を閉じた花々に銀の露をまきかけておくれ
  西風を湖水の上で眠らせておやり
  輝く目で静かに語っておくれ
  夕靄を銀で洗い流しておくれ
  やがてお前が消え去ると 狼が暴れまわり
  ライオンは薄暗い森に目を光らし
  羊たちの毛はお前の聖なる露にぬれる
  羊たちをお前の霊力で守っておくれ

マザーグースの歌から「小さなワンちゃん」I had a little dog(壺齋散人訳)

  小さなワンちゃん 名前はブルー・ベル
  何をやらしても 達者にこなす
  針を探してくるようにいったら
  石炭バケツに鼻面を突っ込んだワン

  花壇からセージを摘んでくるようにいったら
  すごい勢いで転がっていったワン
  地下室からビールを汲んでくるようにいったら
  戻ってきていうには なんにもないワン

マザーグースの歌から「ルーシー・ロケット」Lucy Locket(壺齋散人訳)

  ルーシー・ロケット がま口なくした
  キティ・フィッシャー 見つけてあげた

  がま口の中身はスッカラカン
  周りに紐が結んであるだけ


マザーグースの歌から「森へ行こう」Let Us Go to the Wood(壺齋散人訳)

  森へ行こうよ ある豚がいいました
  何しにいくの 別の豚がいいました
  お母さんを探しに 最初の豚がいいました
  何のために 次ぎの豚がいいました
  お母さんにキスして 甘えるためさ

贈内:李白

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李白の五言絶句「内(つま)に贈る」(壺齋散人注)

  三百六十日  三百六十日
  日日醉如泥  日日に醉ひて泥の如し
  雖爲李白婦  李白の婦爲ると雖も
  何異太常妻  何ぞ太常の妻に異らん

学生時代から仲の良い友人3人と久しぶりに会い、上野池之端の鰻料理屋伊豆栄に懇談した。もともと新年会のつもりだったのを、滅茶苦茶に多忙な男がいて、1月をやり過ごしてしまったが、まあ暦の上では立春を過ぎたばかりだから、別の意味で新年会といえなくもない。

李白の七言古詩「南陵にて兒童に別れ京に入る」(壺齋散人注)

  白酒新熟山中歸  白酒新たに熟して山中に歸る
  黄雞啄黍秋正肥  黄雞黍を啄みて秋正に肥ゆ
  呼童烹雞酌白酒  童を呼び雞を烹(に)て白酒を酌み
  兒女嬉笑牽人衣  兒女嬉笑して人の衣を牽く
  高歌取醉欲自慰  高歌醉を取り自ら慰めんと欲し
  起舞落日爭光輝  起ちて舞へば落日光輝を爭ふ
  游説萬乘苦不早  萬乘に游説すること早からざりしに苦しみ
  著鞭跨馬渉遠道  鞭を著け馬に跨って遠道を渉る
  會稽愚婦輕買臣  會稽の愚婦買臣を輕んず
  余亦辭家西入秦  余も亦家を辭して西のかた秦に入る
  仰天大笑出門去  天を仰ぎ大笑して門を出でて去る
  我輩豈是蓬蒿人  我輩豈に是れ蓬蒿の人ならんや

ウィリアム・ブレイク詩集「ポエティカル・スケッチ」から「冬に寄す」 To Winter(壺齋散人訳)

  おお冬よ、お前の堅固な扉を閉ざせ!
  お前は北国に 暗くて深い住処を建てた
  お前の屋根を揺するな
  鉄の車で柱を曲げたりするな

ウィリアム・ブレイク詩集「ポエティカル・スケッチ」から「秋に寄す」 To Autumn(壺齋散人訳)

  たわわな果実 血のような葡萄の汁 おお秋よ!
  立ち去らないで しばし我が屋根の下にいておくれ
  そこで安らかにくつろぎながら
  私の笛に合わせて楽しい歌を歌っておくれ
  季節の娘たちも歌に合わせて踊るから
  果物と花々の楽しい歌を歌おうよ

マザーグースの歌から「カッコウの巣の上に」Vintery, mintery, cutery, corn:壺齋散人訳

  葡萄に ミントに お菓子に コーン
  りんごの種に りんごのギザギザ
  ワイヤー ブライヤー ふさふさの毛
  ガチョウが三羽いましたとさ
  一羽は東に飛んでった
  一羽は西に飛んでった
  もう一羽はカッコウの巣の上に

マザーグースの歌から「クリスマスの贈り物」Christmas days(壺齋散人訳)

  クリスマスの一日目に
  あの人が私にくれたものは
  梨の木にいたヤマウズラ

マザーグースの歌から「歌を歌ってあげよう」I’ll sing you a song(壺齋散人訳)

  君に歌を歌ってあげよう
  そんなに長くはないけれど
  とってもすてきな歌なんだ
  だから財布に手を入れて
  僕に一文投げておくれ
  君にはたいした額じゃない

子規は死の前年、明治34年の1月16日から7月2日まで「日本」紙上に「墨汁一滴」を連載した。子規の壮絶な晩年を飾る珠玉の随筆群である。

ロックは西洋哲学の伝統的な枠組みを形作っていた形而上学を軽蔑した。人間の経験に基礎をおかず、脆弱な根拠の上に、巨大な体系を築いていた形而上学というものを、ロックは有益な知識の拡大を妨げていると考えたのだ。

エディット・ピアフの歌「水に流すわ」Non, Je ne regrette rien:壺齋散人による歌詞の翻訳

  いいえ いいのよ
  後悔なんかしてない
  いろんな ことが あったけど
  水に流すわ
  いいえ いいのよ
  後悔なんかしてない
  すべて水に流して
  気にしないわ

エディット・ピアフの歌「パダム パダム」Padam Padam:壺齋散人による歌詞の翻訳

  いつもわたしにつきまとっている
  この気配はずっと前からのことだわ
  わたしの行くところには必ずいて
  シンフォニーのように鳴り響くの
  ある日わたしは狂いそうになって
  何故なのって何度もいったわ
  でもその気配はわたしをさえぎり
  わたしより先を歩いては
  わたしの言葉を圧倒するのよ

襄陽歌:李白

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李白の雑言古詩「襄陽の歌」(壺齋散人注)

  落日欲沒峴山西   落日沒せんと欲す峴山の西
  倒著接離花下迷   倒(さかし)まに接離を著けて花下に迷ふ 
  襄陽小兒齊拍手   襄陽の小兒齊しく手を拍ち
  攔街爭唱白銅鞮   街を攔(さへぎ)って爭ひ唱ふ白銅鞮
  傍人借問笑何事   傍人借問す 何事をか笑ふと
  笑殺山翁醉似泥   笑殺す 山翁醉ひて泥に似たるを

李白の五言絶句「黄鶴樓に孟浩然の廣陵に之くを送る」(壺齋散人注)

  故人西辭黄鶴樓  故人西のかた黄鶴樓を辭し
  煙花三月下揚州  煙花三月 揚州に下る
  孤帆遠影碧空盡  孤帆の遠影 碧空に盡き
  惟見長江天際流  惟だ見る 長江の天際に流るるを

ウィリアム・ブレイク詩集「ポエティカル・スケッチ」から「夏に寄す」 To Summer(壺齋散人訳)

  我らが谷々を力強く通り過ぎる君よ
  君の猛々しい駿馬をなだめ その大きな鼻の穴から
  燃え出る炎の熱を鎮めよ 君よ おお夏よ!
  君がここにしばし黄金のテントを設け
  オークの木陰で眠りをむさぼる間
  我らは喜びながら君の手足と見事な髪に眺めいるのだ

ウィリアム・ブレイク詩集「ポエティカル・スケッチ」から「春に寄す」 To Spring(壺齋散人訳)

  髪を露に滴らせ さわやかな朝の窓越しに
  下界を見下ろしているあなた
  その天使のまなざしを私たちの島に向けてください
  私たちは合唱してあなたの到来を祝いましょう おお春よ!

ポエティカル・スケッチ Poetical Sketches はウィリアム・ブレイクの処女詩集である。ブレイクは1783年(26歳のとき)に、アンソニー・マーシュー牧師の援助を得て、この詩集を印刷した。そこに収められた二十数編の詩は、12歳から20歳までの間に書かれたものだといわれる。

先日アメリカで8人の子どもを出産した女性が世界中の話題になった。この女性にはすでに6人の子どもがあり、新しく生まれてきた子どもを加えると、実に14人もの子どもたちの母親になるというのだ。

先稿では筆者の職場の魅力ある女性たちを讃えて「豊穣たる熟女たち」と呼んだ。その彼女たちと遅ればせながらの新年会をかねて、秋葉原の和食屋車力で小宴を催した。総武線の高架沿いにある小さな店である。これまでは縄暖簾のようなところでばかりで飲んでいたので、たまには洒落た店でやろうと思ったのである。

世界中のレストランに星をつけて格付けすることで知られるミシュランのガイドブックが、東京のレストランを高く評価して世界中に紹介したのは昨年のことだったが、今度は日本全国の観光地の中から、外国人が訪れたくなるような場所を選んで格付けし、ギド・ヴェール日本観光版として、今年3月に発表するそうだ。

デンドロビウム:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


デンドロビウムはランの仲間の中でも、花が豪華で見栄えのする割りに、比較的廉価で買えるので、冬の窓辺を華やかに彩ってくれるものとして人気が高い。筆者の家内もこの花が好きで、鉢植えのものをよく買ってくる。

マザーグースの歌から「さあ子どもたち」Come, my children(壺齋散人訳)

  さあ子供たち 外へおゆき
  お日様が明るく照っているよ
  ちびちゃんたち 一緒においで
  鳥や川やお花を見ましょう
  帽子をかぶって外へ出ましょう
  ほんとにすてきな日ですもの

マザーグースの歌から「あの人が私を愛してるって」He loves me(壺齋散人訳)

  あの人が私を愛してるって
  そんなこと迷惑よ
  あの人が私を欲しがってるって
  そんなことさせないわ
  やれるものならやってみたら
  できっこないし
  させもしないわ



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