2009年4月アーカイブ

カトリーヌ・ソヴァージュのシャンソン「パリのあぶれ者」Paris Canaille(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  あどけない
  瞳で
  音楽に
  あわせて
  歌うけど
  お金にならない
  それんなこと
  気にしないで
  与太郎が
  地下鉄の
  駅の中で
  あんたの
  ズロースを
  脱がして
  騒ぐけど
  気にしないで

李白の雑言古詩「野田黄雀行」(壺齋散人注)

  遊莫逐炎洲翠    遊びては炎洲の翠を逐ふ莫かれ
  棲莫近呉宮燕    棲みては呉宮の燕に近づく莫かれ
  呉宮火起焚巣窠   呉宮火起って巣窠を焚かん
  炎洲逐翠遭網羅   炎洲の翠を逐へば網羅に遭はん
  蕭條兩翅蓬蒿下   蕭條たる兩翅 蓬蒿の下にあれば
  縱有鷹鸇奈汝何   縱ひ鷹鸇有るとも 汝を奈何せん

李白の五言古詩「東魯の二稚子に寄す」(壺齋散人注)

  呉地桑葉綠  呉地 桑葉綠に
  呉蠶已三眠  呉蠶 已に三眠す
  我家寄東魯  我が家東魯に寄す
  誰種龜陰田  誰が龜陰の田を種ゑん
  春事已不及  春事 已に及ばず
  江行復茫然  江行 復た茫然たり
  南風吹歸心  南風 歸心を吹き
  飛墮酒樓前  飛んで酒樓の前に墮つ
  樓東一株桃  樓東 一株の桃
  枝葉拂青煙  枝葉 青煙を拂ふ
  此樹我所種  此の樹我が種ゑし所
  別來向三年  別れて來(こ)のかた三年に向(なんなん)とす
  桃今與樓齊  桃は今 樓と齊しきも
  我行尚未旋  我が行尚未だ旋らず

ウィリアム・ブレイクの詩集「アルビオンの娘たちの幻影」 Visions of the Daughters of Albion から序の歌(壺齋散人訳)

  私はテオトルモンを愛したの
  恥ずかしいとは思わなかったわ
  でも処女ゆえの恐れから震えて
  ルーサの谷間に隠れたの

ウィリアム・ブレイク「天国と地獄の結婚」The Marriage of Heaven and Hellから序詞を読む。(壺齋散人訳)

  リントラが吼え 重苦しい空に火を吹き上げる
  飢えた雲が海面に垂れ込める

Japan Times の Web 判を覗いていたら、オンライン翻訳ツールに関する面白い記事が目に付いた。東大の影浦峡氏らのグループが四月に立ち上げた「みんなの翻訳」というサイトを紹介したものだ。ここにビルトインされている QRedit というツールを使うと、Web 上に公開されている英語の記事を、オンラインで効率よく翻訳できるという。

ビートルズ Beatles の曲「きっとうまくいくさ」We can work it out:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  考えてごらんよ
  どうせ同じなんだから ぼくの通りにやれよ
  意地を張るなよ
  じゃないとぼくらは ばらばらになるよ
  きっとうまくいくさ
  きっとうまくいくとも

ビートルズの曲「失恋なんか何でもないさ」You've Got to Hide Your Love Away:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  頭を抱えて ぼくは立ってる
  壁に顔を 向けて
  あの子と一緒に行くには
  まだ小さすぎたんだ

メキシコで発生した豚インフルエンザが大きな騒ぎを引き起こしている。4月13日に新型のウィルスであることが確認されて以来、今日(現地時間4月25日)までのわずか10日余りの間に、メキシコでの患者は1300人を越し、そのうち80人以上が死んだ。またメキシコと国境を接するカリフォルニアやテキサスでも患者の発生が報告されている。

新宿御苑の桜:水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


都内に桜の名所はいくつかあるが、新宿御苑の桜は、広大な庭園を散策しながら味わえるとあって、人気スポットになっている。

能「西行桜」

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能「西行桜」は世阿弥の傑作のひとつである。西行の歌に着想を得て、歌人と花の精との即妙なやりとりを描きながら、桜の花の持つ濃艶な雰囲気をかもし出している。

最近の若い人は、「それでは座らさせていただきながら、ご説明を申し上げさせていただきたいと思います。」などという言い方をする。筆者などは「座って説明致します」で十分丁寧な言い方だと思っているので、こういう言い方は非常にくどく聞こえる。そのうえ、文法上は「座らせて」というべきところを「さ」を加えて、「座らさせて」といっている。くどさもここまでくれば笑えない。

シャンソンの名曲「りんごとさくらんぼの木の下で」Cerisiers roses et pommiers blancs:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  りんごとさくらんぼの木の下で
  石蹴り遊びをしたっけ
  あの子と遊ぶうちに ぼくは
  好きになったんだよ

イヴェット・ジロー Yvette Giraud が歌ったシャンソン「ポルトガルの四月」Avril au Portugal:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  話してあげるわ
  わたしが見たことを
  けだるい夏空の
  下で
  恋する者たちが
  船の中で過ごした
  アヴァンチュールな
  日々
  その余韻を引きずって
  客が船から下りる
  それを見つめている
  わたし
  あのひとたちは愛に
  包まれてるはずよ
  だから歌いたくなるの

李白の七言絶句「越中覽古」(壺齋散人注)

  越王句踐破呉歸  越王句踐呉を破って歸る
  義士還郷盡錦衣  義士郷に還って盡く錦衣す
  宮女如花滿春殿  宮女花の如く春殿に滿つ
  只今惟有鷓鴣飛  只今惟だ鷓鴣の飛ぶ有り

烏棲曲:李白

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李白の七言古詩「烏棲曲」(壺齋散人注)

  姑蘇臺上烏棲時  姑蘇臺上 烏棲む時
  呉王宮裏醉西施  呉王の宮裏 西施醉ふ
  呉歌楚舞歡未畢  呉歌 楚舞 歡び未だ畢らず
  青山欲銜半邊日  青山銜(ふく)まんと欲す半邊の日
  銀箭金壺漏水多  銀箭 金壺 漏水多し
  起看秋月墜江波  起って看る秋月の江波に墜つるを
  東方漸高奈樂何  東方漸く高し 樂しみを奈何せん

ウィリアム・ブレイク William Blake「ロゼッティ写本」から「永遠のゴスペル」 The Everlasting Gospel(壺齋散人訳)

  君たちが見るキリストのヴィジョンは
  私のヴィジョンにとっては大きな敵だ
  君たちのは君たちのような鉤鼻をしている
  私のは私のようなシシ鼻だ

ウィリアム・ブレイク William Blake の「ロゼッティ写本」から「女王に」To the Queen(壺齋散人訳)

  死の扉は金で作られ
  人の目には決して見えない
  だけれども目が閉じられ
  体が冷たく横たわると
  魂が目覚めてあたりをさまよい
  その手には黄金のカギを持つ
  墓は天国への黄金の門
  貧者も富者もそれを目指す
  イギリスの護民官よ
  この荘厳な門を見よ!

ビオラ Viola:水彩で描く折々の花


ビオラはパンジーとは兄弟花で、両者の間に厳密な区別はないらしい。通常花径4センチ未満の小さなものをビオラというようだ。性質はパンジーによく似ているが、パンジーが冬から春にかけて長く咲き続けるのに対して、ビオラは春に咲き、パンジーに比べて花季が短い。それでも相当長く咲いているから、庭園を飾る花としては重宝する。

筆者が職場の豊穣たる熟女たちと折節に飲んでいることは、このブログでも何度か言及してきたが、この度はメンバーを少し拡大して、六人の熟女たちと本所吾妻橋のもつ焼屋「稲垣」で飲んだ。いつもの三人に加え、サブリーダー役の三人を加えた次第だ。

ビートルズ The Beatles の曲「ヘルプ」Help!:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  ヘルプ いまのぼくには
  ヘルプ 必要なんだ
  ヘルプ 誰かの助けが ヘルプ

ビートルズ The Beatles の歌「イェスタデイ」Yesterday:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  昨日までは
  すべてが順調だったのに
  今は何もかも崩れ去った
  昨日よ もう一度来い


四月十四日(火)陰。朝食を喫せし後八時頃ホテルを出づ。今日は李あらざれば、余らのみにて気ままな散策を楽しまんとするなり。


四月十三日(月)陰、時に雨。この日は蘇州観光をなす。蘇州は古くから江南呉の都として大いに繁栄せるところなれば名所旧跡多し。しかも水の都にして、運河網の目の如く走り、風光頗る明媚なり。かつてこの地を訪れたるマルコ・ポーロが東洋のヴェニスと讃へたることはいふまでもなし。


四月十二日(日)晴。ホテルの部屋は黄浦江に面せり。起床して八階なるその部屋より黄浦江を見下ろすに、霞がかりたる水面には夥しき数の貨物船行き交ひてあり。観光船の便宜を図りて夜中から早朝にかけて運行するものの如し。


平成二十一年四月十一日(土)晴。横・今の二子と上海・蘇州へ小遊せんと欲す。余少年の頃より漢籍に親炙し、李杜毛詩を空んじつる外十八史略の類に拠って中国史の概要を学びたれど、未だ中国本土を訪れしことなし。還暦を過ぎて些か閑暇を得たるを以て、ここに宿年の思ひを果たさんとするなり。幸ひ同行するものを得たれば、多少は快適な旅となるべし。

一時期、「ら抜き言葉」に対して非難が沸き起こったことがあった。本来「食べられる」というべきところを、今時の若者は「食べれる」という具合に「ら」を抜いていう、それが耳障りだと、主に年配のものから苦情が呈せられたのである。この現象をとりあげ、日本語の乱れを嘆く向きも多かったものだ。

イヴェット・ジロー YvetteGiraud のシャンソン「ポルトガルの洗濯女」Les Lavandières Du Portugal:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  洗濯女を知ってるかい ポルトガルの洗濯女を
  とりわけセチュバル村の洗濯女たちを
  そこは洗い場というより 社交場のようで
  女たちが洗濯のリズムに乗って歌ってるんだ

  洗濯物を洗う間
  ワインでも飲んでなさい
  洗濯物を洗う間
  そこらをぶらついてなさい
  バッシャ バッシャ 精をだせば
  バッシャ バッシャ 今夜はよく眠れる

イヴェット・ジロー Yvette Giraud の歌「花祭り」La fête des fleurs:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  流れゆく 川面には
  ギターの音が響き
  舟は音も無く
  橋の下をゆきかうよ
  いっぱいに つんだ
  花が 水に
  姿を 映すよ
  陽は まどろんで
  金色にひかり
  鳥が 歌うよ

李白の七言絶句「蘇臺にて古を覽る」(壺齋散人注)

  舊苑荒臺楊柳新  舊苑 荒臺 楊柳新たなり
  菱歌清唱不勝春  菱歌 清唱 春に勝(た)へず
  只今惟有西江月  只今 惟だ有り 西江の月
  曾照呉王宮裏人  曾て照らす呉王宮裏の人

李白の七言律詩「金陵の鳳凰臺に登る」(壺齋散人注)

  鳳凰臺上鳳凰遊  鳳凰臺上 鳳凰遊ぶ
  鳳去臺空江自流  鳳去り臺空しくして江自づから流る
  呉宮花草埋幽徑  呉宮の花草は幽徑に埋もれ
  晉代衣冠成古丘  晉代の衣冠は古丘と成る
  三山半落青天外  三山半ば落つ青天の外
  二水中分白鷺洲  二水中分す白鷺洲
  總爲浮雲能蔽日  總て浮雲の能く日を蔽ふが爲に
  長安不見使人愁  長安見えず 人をして愁へしむ

ビートルズ The Beatles の曲「いってしまうのかい」Ticket To Ride:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  とっても悲しい
  気分がするよ
  あの子が どこかへいって
  しまいそうだから

  ほんとに どこかへ
  ぼくをおいて どこかへ
  ぼくの知らない どこかへ
  いってしまうのかい

ビートルズ The Beatles の曲「アイ・フィール・ファイン」I Feel Fine:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  あの子はこういうんだ ぼくが
  とてもとてもとても すきだって
  そういうんだ
  こまっちゃたけど アイ・フィール・ファイン

ジンチョウゲ(沈丁花):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


初春の町を歩いていると、暖かい陽だまりのどこからか甘い匂いがただよってくる。白粉の匂いのようでかなり強烈だ。匂いの元をたどっていくと、道端にこじんまりと咲いている沈丁花の花のたたずまいに行き当たる。この花は匂いによって、どこからでも人をひきつける力があるようだ。

「あなた」とはやさしい響きのする言葉だ。いまでは話の相手方に呼びかけるときの呼称、あるいは二人称代名詞としてもっともよく使われている。

イヴェット・ジローの歌「あじさい娘」Mademoiselle Hortensia:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  むかしあるところに
  ひとりの娘さんが
  つつましく暮らしてました
  その名はオルタンシャ
  身ごなしはとても軽く
  そして働き者
  みなはこう呼びました
  あじさいの娘さん
  街中の男たちは
  あなたに歌を贈ります
  そしてあなたの
  気を引こうと
  みな夢中だわ
  あじさいの娘さん

イヴ・モンタン Yves Montand の歌「パリ」À Paris:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  どんなに長い時間があっても
  たったひとつのことがいえない
  あの永遠の一瞬を
  ぼくらは互いに
  抱き合いながら
  冬の光を浴びた
  公演の一角
  パリで
  パリの大地の上で
  宇宙の中心で

李白の五言律詩「魯郡の東石門にて杜二甫を送る」(壺齋散人注)

  醉別復幾日  醉別 復た幾日ぞ
  登臨徧池臺  登臨 池臺に徧(あまね)し
  何言石門路  何ぞ言はん石門の路
  重有金樽開  重ねて金樽の開く有ると
  秋波落泗水  秋波 泗水に落ち
  海色明徂徠  海色 徂徠に明らかなり
  飛蓬各自遠  飛蓬 各自遠し
  且盡手中杯  且く手中の杯を盡くさん

李白の雑言古詩「梁園吟」(壺齋散人注)

  我浮黄河去京闕  我黄河に浮かんで京闕を去り
  挂席欲進波連山  席(むしろ)を挂けて進まんと欲すれば波山を連ぬ
  天長水闊厭遠渉  天は長く水は闊くして遠渉に厭き
  訪古始及平臺間  古を訪うて始めて及ぶ平臺の間
  平臺爲客憂思多  平臺に客と爲りて憂思多く
  對酒遂作梁園歌  酒に對して遂に作る梁園の歌
  却憶蓬池阮公詠  却って憶ふ蓬池の阮公の詠
  因吟淥水揚洪波  因って吟ず淥水洪波を揚ぐるを
  洪波浩蕩迷舊國  洪波 浩蕩 舊國に迷ひ
  路遠西歸安可得  路遠くして西歸安んぞ得る可けんや
  人生達命豈暇愁  人生命に達すれば豈に愁ふるに暇あらん
  且飲美酒登高樓  且らく美酒を飲まん高樓に登りて

744年(天宝三年)長安を追われた李白は黄河を下って魯(山東)へと向かった。その途中洛陽で杜甫と出会い、汴州で高適と出会う。意気投合した三人は共に河南に遊んだ。そして翌年の春、李白は魯の石門で杜甫と別れ、東魯の沙丘というところで結婚して家を持った。これは李白の三度目の結婚であり、妻との間に二人の子を設けている。後に「東魯の二稚子に寄す」という詩の中で歌っている子どもたちは、この結婚で生まれた子であると考えられる。

日本が台湾を領有したのは明治28年(1895年)、日清戦争に勝利した戦利品としてだった。それ以来、昭和20年(1945年)の敗戦によって領有権を放棄するまでの50年間、台湾を植民地として統治した。

ウィリアム・ブレイク「ロゼッティ草稿」から「キューピッド」 Why was Cupid a boy(壺齋散人訳)

  キューピッドは何故男の子なのか
  男の子が何故キューピッドになったのか
  私の見る限りでは
  女の子でもよかったはずだ

ウィリアム・ブレイク「ロゼッティ草稿」から「君は信じない」 You don't believe(壺齋散人訳)

  君は信じない 私も信じてもらおうとはしない
  君は寝むっている 私も起きてもらおうとはしない
  さあそのまま寝ていたまえ その快適な眠りのうちで
  君は命の明るい流れから理性を汲み取ることだろう
  理性とニュートン この二つは異なったものだ
  ツバメやスズメもそう歌っているとおり

ビートルズ Beatles の歌「エイト・デイズ・ア・ウィーク」Eight Days a Week:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  君の愛が欲しいんだ
  ほんとのことだよ
  ぼくを愛して欲しいんだ
  首ったけなんだよ
  愛して 抱きしめて 愛して 抱きしめて
  メロメロにとろけたい
  エイト・デイズ・ア・ウィーク

ビートルズ Beatles の曲「アンド・アイ・ラヴ・ハー」And I Love Her:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  あの子に捧げたい
  愛のすべてを
  こんな気持ち君だって
  わかるだろう
  アイ・ラヴ・ハー

  あの子はぼくを
  やさしくつつんで
  あまい口びるを
  あわせてくれる
  アンド・アイ・ラヴ・ハー

先日群馬県内にある無届老人ホーム「たまゆら」から出火し、入所者16人のうち10人が焼死するという痛ましい事件が起きた。こんなにも多くの入所者が死んだのは、建物のほとんどの扉に鍵がかけられており、入所者たちが外へ脱出できなかったのが原因だろうと見られている。

コブシ(辛夷):水彩で描く折々の花(壺齋散人画)


コブシ(辛夷)の花は春の彼岸の頃に咲く。同じ頃に咲く白木蓮とは同じ仲間で、形もよく似ているが、ひとつひとつの花はずっと小ぶりで、しかも木全体を覆うように、びっしりと咲く。こんなところから、白桜と呼ばれることもある。

経済不況が世界規模で拡大し、どこの国の人々も、所得の減少はもとより、職そのものを失う事態まで拡大している。こうした風潮の中で、人々の財布の紐はいやおうなしにきつく締められようになり、消費はかつてない冷え込えこみをみせている。

能「井筒」は世阿弥の幽玄能の傑作で、世阿弥自身自信作と考えていたことが「申楽談義」のなかにもある。筋らしいものはなく、全曲がゆったりと進んでいくが、秋の古寺の趣と女の清純な恋情とがしっとりと伝わってくる。

前稿では日本語の人称表現が持つ特殊な性格について述べた。ここではその人称表現、とりわけ人称代名詞がどのような歴史的変遷をたどってきたか、確認しておきたい。

シャンソンの名曲「セシボン」C'est si bon:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  こんなきれいなブロンドが
  世の中にいたなんて
  ぼくは全く首ったけさ
  人生が変わったよ
  ぼくは叫ぶ オー
  ぼくは叫ぶ アー

  セシボン
  歩こうよ あてどなく
  手と手を からませながら
  シャンソンを 歌って
  セシボン
  交し合う 言葉は
  意味もない ことだけど
  ぼくらは 幸せさ

イヴ・モンタン Yves Montandの歌「枯葉」Les Feuilles Mortes:壺齋散人による歌詞の日本語訳

  君にはどうか思い出して欲しいんだ
  ぼくらが恋人同士だった日のことを
  あのころは毎日が美しく過ぎ
  太陽の光も今より輝いていた

李白の五言律詩「酒に對して賀監を憶ふ」(壺齋散人注)

  四明有狂客  四明に狂客有り
  風流賀季真  風流なる賀季真
  長安一相見  長安に一たび相ひ見しとき
  呼我謫仙人  我を謫仙人と呼ぶ
  昔好杯中物  昔は杯中の物を好みしが
  今爲松下塵  今は松下の塵と爲れり
  金龜換酒處  金龜 酒に換へし處
  卻憶涙沾巾  卻って憶へば涙巾を沾す

李白の五言古詩「終南山を下り斛斯山人の宿を過りて置酒す」(壺齋散人注)

  暮從碧山下  暮に碧山より下れば
  山月隨人歸  山月人に隨って歸る
  卻顧所來徑  來る所の徑を卻顧すれば
  蒼蒼橫翠微  蒼蒼として翠微に橫はる
  相攜及田家  相ひ攜へて田家に及べば
  童稚開荊扉  童稚 荊扉を開く
  綠竹入幽徑  綠竹 幽徑に入り
  青蘿拂行衣  青蘿 行衣を拂ふ
  歡言得所憩  歡言 憩ふ所を得て
  美酒聊共揮  美酒 聊か共に揮ふ
  長歌吟松風  長歌 松風に吟じ
  曲盡河星稀  曲盡きて河星稀なり
  我醉君復樂  我醉へり君も復た樂しめ
  陶然共忘機  陶然として共に機を忘れん



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