行路難:李白

| コメント(0) | トラックバック(0)

李白の雑言古詩「行路難し」(壺齋散人注)

  金樽清酒斗十千  金樽の清酒 斗十千
  玉盤珍羞直萬錢  玉盤の珍羞 直(あたひ)萬錢
  停杯投箸不能食  杯を停め箸を投じて食ふ能はず
  拔劍四顧心茫然  劍を拔いて四顧すれば心茫然たり
  欲渡黄河冰塞川  黄河を渡らんと欲すれば冰川を塞ぎ
  將登太行雪暗天  將に太行に登らんと欲すれば雪天を暗くす
  閑来垂釣座渓上   閑来釣を垂れて渓上に座し
  忽復乘舟夢日邊  忽ち復た舟に乘って日邊を夢む
  行路難 行路難   行路難し 行路難し      
  多歧路 今安在   多歧の路 今安くにか在る      
  長風破浪會有時  長風浪を破るに會(かなら)ず時有り
  直挂雲帆濟滄海  直(ただち)に雲帆を挂けて滄海を濟らん

黄金の樽のなかの清酒は一斗が一万銭、玉の大皿にのった珍しい食べ物もまた一万銭、だが杯を持つのをやめ箸もおいたまま、食う気にはなれぬ、剣を抜いてあたりを見れば心は呆然とするばかり

黄河を渡ろうとすると氷が川を覆い、大行山に上ろうとすると雪が天を閉ざす、そこで静かに釣り糸を垂れて流れの畔に座ると、たちまち船に乗って地平線へ向かって旅立つのを夢見るのだ

旅の苦しさよ、人生行路もまた苦しい、あの多くの枝分かれした道はどこへ消えてしまったか、だが、長風が吹いて波を逆巻かせるときが必ず来る、そのときには船に帆をかけて滄海を渡ろう


この詩はすでに存在していた楽府を下敷きにしているが、文意はきわめて難解である。さまざまな解釈がなされてきた。

ここでは、李白が人生の半ばにたって、なおも志を遂げようとして、もがいているさまを歌ったものと解釈した。

旅の苦しさはゴールの見えない中で歩まざるを得ないあせりを表し、多歧路は青年時代には多くあったはずの可能性をさしていると解釈する。


関連リンク:李白の詩60篇の注釈と鑑賞

  • 漢詩と中国文化




  • ≪ 邯鄲南亭觀妓(平原君を偲ぶ):李白 | 漢詩と中国文化 | 蜀道難:李白 ≫

    トラックバック(0)

    トラックバックURL: http://blog.hix05.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/1527

    コメントする



    アーカイブ

    Powered by Movable Type 4.24-ja

    本日
    昨日

    この記事について

    このページは、が2009年5月 8日 18:40に書いたブログ記事です。

    ひとつ前のブログ記事は「邯鄲南亭觀妓(平原君を偲ぶ):李白 」です。

    次のブログ記事は「神田囃子が聞こえてくる」です。

    最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。