先日アウシュヴィッツ収容所の遺構である建物の中から不思議な瓶が発見されて話題を呼んだ。この建物は現在学校として使われているが、解体作業の際に、壁の中から紙切れの入った瓶が見つかり、その紙切れにはアウシュヴィッツに収容されていた人々の名と、ナチスによってつけられた識別ナンバーが記入されていたというのだ。それを見た人々はとっさに、タイムカプセルを連想したに違いない。
記入されていたのは六人のポーランド系ユダヤ人と一人のフランス系ユダヤ人だった。何故こんなものが残されたのか、事情を調べる意味で公開したところ、リストアップされた人のうち、三人が名乗りをあげた。
その一人ワーツラフ・ソブチャク(84)は、自分がその紙切れを瓶につめて壁に埋め込んだといった。ソブチャクは1943年にアウシュヴィッツに送り込まれ、建設作業に駆り立てられていたが、1944年の9月に、同僚が書いたメッセージを受け取って、それを瓶につめた。死を覚悟しながら、自分たちがここで生きていた証を後世に伝えたいという思いをこめて、瓶を壁に埋め込んだのだという。ソブチャクは幸いアウシュヴィッツの試練を生き延びたが、腕にはいまだに、ナチスが烙印した識別ナンバーが消えずに残っている。
もう一人の生存者カレル・チェカルスキー(83)は、このリストに書かれた人々は1944年の春に囚人の中から選別されて、防空壕の建設に従事させられていたメンバーだと証言した。フランス系のユダヤ人は、他のメンバーに作業を指導する立場にあったという。
そのフランス系ユダヤ人も生きていることがわかった。アルベール・ヴェシ(84)という人で、現在フランス南部で暮らしている。彼は1943年にヴィシー政権によって拘束され、翌年アウシュヴィッツに送られてきたが、石工の技術を見込まれて、すぐに殺されることはなかった。
三人とも、このメッセージを誰が書いたか、はっきりと覚えていないようだったが、そのうちにスウェーデンに住むある女性が情報を寄せてきた。書いたのは彼女の父親に違いないというのだ。
その人の名はブロニスラフ・ヤンコヴィアック、ナチスの識別ナンバーは121213だった。メッセージのデータと一致した。彼は1926年にポーランドで生まれ、1943年にアウシュヴィッツに送られたが、1945年にスウェーデンに脱出し、1997年に死んだという。
娘の話によれば、ヤンコヴィアックは生前、アウシュヴィッツでの体験に触れることは殆どなかった。娘たちがその体験を是非書き残すべきだと何度説得しても、ついに聞き入れることなく死んだ。思い出すのが辛かったのだろう。
ナチスがアウシュヴィッツで100万人以上の人を殺したことはよく知られている。その大部分はヨーロッパ各地のユダヤ人だったが、そのほかに、非ユダヤ系ポーランド人、ソ連兵の捕虜、ジプシー、そして反ナチスのレジスタンス要員なども含まれていた。
アウシュヴィッツで殺された人の殆どは、それこそ犬のように、何の痕跡も残さずに消されてしまったが、ヤンコヴィアックたちは、消されてしまう前にせめて、生きていた証を後世に伝えたいとの思いで、このメッセージを残したのだと思われる。
65年の時空を超えて蘇ったアウシュヴィッツの記憶の切片は、まさしくタイムカプセルと呼ぶに相応しい。
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