セサミ・ストリート Sesame Street:テレビによる児童教育

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今年はアメリカの児童向け教育番組セサミ・ストリートが登場して40年になる。一時期は、アメリカはもとより、世界中で大人気を博した。日本でもアメリカ版がそのまま放映され、主に英語学習の生きた教材として、若い世代を中心に見られてきた。国によっては、自国語のバージョンで放送しているところもある。

だが最近は、人気にかげりが出ているといわれる。ニールセンの調査では、児童向け番組ランキングの15位だ。景気低迷で制作費が不足気味な事態も加わって、このままでは存続がむつかしいのではないかと、懸念されてもいる。

しかしこの番組が果たしてきた児童教育上の役割を振り返れば、このままむざむざと消滅させるのは惜しい。そんな問題意識から、最近号のニューズウィークが、この番組に関する記事をカバー・ストーリーに取り上げ、児童教育をめぐるテレビの役割について、改めて論じている。 Sesame Street By Liza Guernsey Newsweek

この番組がはじめて放映されたのは1969年だが、それ以前から周到な準備がされてきた。もっとも大きな問題は、財政基盤の確立だった。アメリカでは教育番組にはスポンサーがつきにくいので、政府の援助が必要だった。スタッフたちは、児童教育上の効果を訴えて、援助を引き出すことに成功した。

番組の効果はすぐに現れた。数を数えるシーンを繰り返し流し続けることによって、番組を見ている児童の、算数の能力が目に見えて高くなったのだ。

それまで、アメリカの児童教育の現場では、幼児に対する教育の効果はほとんど無視されていた。ところがテレビ番組を通じて幼児の数概念が促進されることがわかると、幼稚園の教育現場でも、幼児への組織的な教育のあり方が研究されるようになった。一テレビ番組が、教育のあり方を変えたのである。

この番組の効果は、児童の知的能力の向上にとどまらなかった。セサミ・ストリートという、架空ではあるが、アメリカのどこにでもありそうな街を舞台に、愉快な遊びを通じて子供たちの感性を磨いたり、また、白人の子供と黒人の子供を対等な友達として描くことによって、子供たちの、また子供たちを通じて大人たちの、人種的偏見を和らげたといわれる。今日オバマ氏がアメリカの大統領であることの背景には、セサミ・ストリートの巨大な影響が作用している、そうとまで著者はいっている。

セサミ・ストリートは世界の16カ国で、自国バージョンが作られた。その中には、中東、コソヴォ、バングラデシュといった、人種的、宗教的な軋轢を抱える国が含まれている。

中東では一時期、パレスティナとイスラエルが共同で、中東版セサミ・ストリートを作ったこともあった。主な目的は、イスラエル人とアラブ人の根深い相互不信を和らげることにあった。しかしこの試みは失敗した。今日では、イスラエルもパレスティナも、自国の子供だけを対象にしたセサミ・ストリートを作り上げている。

この番組に対して、批判がないわけでもない。黒人の子供は取り上げるが、ヒスパニックの子供が出てこないとか、子供たちにやたら肥満しないように呼びかけ過ぎているといったものだ。これは番組が時代の変化をどのように反映していくかという、テレビにとっての宿命的なテーマともつながる。

セサミ・ストリートという番組はこのように、児童教育や人種対立の融和といった部分で画期的な成果をあげてきた。それは番組制作者たちの確固とした信念に支えられてこそできたことだ。できうればこうした精神は生き続けて欲しい、著者はそういう。

たとえこの番組が消滅したとしても、それが体現していた精神は次世代へと引き継がれるべきだろう。





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このページは、が2009年6月 1日 20:37に書いたブログ記事です。

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