いわゆる「ら抜き言葉」が流行るきっかけになったのは「食べる」という言葉だった、そういう旨のことを先稿で述べた。
「食べる」という言葉が変化するときには、「食べ」という語幹はかわらずに、そこにさまざまな語尾がつく。「食べない」、「食べて」といった具合である。その点、「老いる」や「植える」と同じく、一段活用する動詞の仲間といえる。ところが、普通の一段活用動詞の可能態には「られる」をつけるべきところ、この「食べる」には「れる」が付くようになった。それが人々に不調和な感じを抱かせた。そういう内容だった。
なぜ「食べる」にこんな変化が生じたのか。筆者はどうも、この言葉の表れたのが比較的新しいにかかわらず、その使用頻度が高かったことに原因があるのではないかと考えている。
「食べる」という言葉が使われるようになったのは、そう古いことではない。せいぜい徳川時代の後半からだろう。それ以前の日本人は、食物を摂取するのを「食う=食ふ」あるいは「食らう=食らふ」という言葉で表現していた。「食ふ」という言葉は古事記にも出てくるとおり、日本語としては非常に古い起源のものである。
「食べる」とは「賜る」が転じた形だと考えられる。その「賜る=たまはる」が「給ぶ=たぶ」となり、それがさらに「食べる」になったのではないか。
元禄から享保にかけて書かれた朝日重章の日記「鸚鵡籠中記」を読むと、この「給ぶ」という言葉が頻出するから、徳川時代初期あたりに出てきた言葉かもしれない。今日の日本人が「食べる」ことを「いただく」というのと同じようなニュアンスで使われたのだろう。
その「給ぶ」が「食べる」となるのは、「老ゆ」、「植う」が「老いる」、「植ゑる」となるのと共通の事情が作用したと思われる。「老ゆ」のような二段活用の動詞は、連用形に「る」がくっついて現代語の一段活用に変化しているが、それと同じプロセスをたどったわけだ。
だが「給ぶ」は、「老ゆ」、「植う」と違って、新しい言葉だった。鸚鵡籠中記でも「たぶ」の形以外に、他の形(たとえば未然形としての「たびず」)が使われている例がないのも、その新しさを反映していると考えられる。
古語から現代語に変化するに際して、伝統的な二段活用の動詞は、いっせいに一段活用に変化した。「食べる」はその流れに沿って、お相伴にあずかったと思われ。
古語としての「たぶ」は言い切りの形以外はほとんど用いられることがなかったのに、現代語の「食べる」に成長するや、普通に語尾変化するようになった。それは、ほかの言葉からの連想がそうさせたのだろう。
こんな具合に、「食べる」という言葉は。歴史が浅いこともあって、これまで何となくすわりが悪かったことは否めないようだ。それが引き金になって、「ら抜き言葉」へとつながっていったのではないか。
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