人間とは何者か、さまざまな定義があるが、「うそをつく動物」というのもありうるだろう。チンパンジーやカラスなど、利口な動物には相手をあざむく行動も認められるが、人間ほど頻繁にうそをつき、他人をだましている動物は他にない。これは人間が言語を操る動物だということにも、一因がある。
うそとは虚言と書くように、自分の思っていることとは異なったこと、あるいは事実とは反したことを、いうことだ。だからたいていの場合、うそを信じた人にとっては、マイナスの効果をもたらすことが多い。このことから、「人はうそをついてはいけない」、あるいは「うそをつく人間は悪い人間である」という了解が、どんな人間社会にも生まれてくるわけである。
だが、うそをつくことはいかなる場合にあっても悪いことだといえば、それは言いすぎだろう。逆にうそをつくことで、人間関係を円滑にしたり、パニック的な状態を回避させる働きをする場合もある。うそにもそれなりの効用があるのは事実なのだ。
うその研究で知られるアメリカの心理学者ロバート・フェルドマン氏は、近著「人間のうそ」 Liar in Your Lifeの中で、うその心理的背景およびその社会的な効用について鋭い分析を行った。そのエッセンスについて、TIMEが氏にインタビューしているが、それがなかなか面白かった。ここに参考までに紹介したい。
人間は大昔からうそをついてきたが、現代人にいたっては、かつてないほどの頻度に達している、氏はまず、そういうのだ。実験結果によれば、平均的なアメリカ人は10分間に3度うそをついている。面白いのは、無意識的にうそをつく場合が多いことだ。そのときには、うそをついているという意識はないが、あとで自分の行為をヴィデオで見せられると、うそをついていた、あるいは事実とは異なったことを話していたと気づく場合が多い。
一方うそをつかれた側の反応はどうか。まず相手が明らかに事実とは違うことをいっていると気づいたにしても、それを大仰に受け取る人は少ない。たとえばドアに足を挟まれて顔をゆがめている人に、大丈夫ですかと聞く。たいていの人は大丈夫と答えるだろうが、実際は痛くてしょうがないのだ。だからこれはうそをついているケースだといえるが、それに対して目くじらを立てる人はいない。
また浮気をしている亭主が、妻に向かって、自分が愛しているのは君だけだよとささやく。こういわれて気分を害する妻は少ないだろう。夫の浮気を知らない妻にとっては、なおさら気分がいいだろうし、夫の浮気を疑っている妻にとっても、こういわれれば多少は疑念が和らぐかもしれない。
逆に、ぼくには君より好きな人がいるんだ、これからその人とデートをしたいから、君とは一緒にいられないよ、などと正直にいったりしたら、夫婦はあっというまに破局を迎えるだろう。
この例からわかるように、人間関係の円滑さにとっては、正直であることが常に好ましいわけではない。うそも時には使いようで、貴重な効用をもたらすのである。
氏はしかし、人間は基本的には誠実であるべきだという。なぜなら自分の言葉を聞いている人のほとんどは、それに疑いを持ったりしないからだ。人は普通、相手のいうことを信用しながら聞いているのであって、特別なケース以外には、頭から疑ったりはしないものなのだ。そんな態度で生きていたら、世の中は非常に住みづらくなるだろう。
他愛のないうそはマイナスに働くことはほとんどない、むしろ効用をもたらすものも多い、しかしうその中には相手を危機にさらすようなうそもある。だからなるべくうそをつかないですむように、とりわけ愛する人との間では、うそのないように振舞うべきだ、これが氏のいいたかったことのようだ。
コメントする