ボロブドゥール寺院とジョクジャカルタの思い出

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NHKの世界遺産特集番組が、ジャワ島中部のボロブドゥール寺院遺跡を紹介していたのを、懐かしい思いで見た。というのも筆者は、平成四年の夏に業務出張でインドネシアを訪れた際、この遺跡を見たことがあったからだ。

詳細までは覚えていないが、山の麓の広大な台地に、石を積み上げた大きな塔がいくつも並んでいる姿が印象的だった。だが遺跡のあちこちには石の崩れた跡があり、周囲には部材の石が散乱しているといった状態で、まだ修復作業の真っ最中だということを感じさせたものだ。

ところが今回映像で見る寺院は、非常にきれいに見えた。石組みもレリーフの仏像もきちんとした状態になっている。この10数年の間に修復作業が完成して、遺跡の全容が完全なものに近づいたのだろう、筆者はそう思った。

いうまでもなく、この遺跡はインドネシアにかつて栄えた仏教文化を象徴するものだ。8世紀から9世紀にかけて建てられたが、その後ジャワ島にヒンドゥー文化やイスラム文化が浸透するにしたがって、人々から省みられなくなり、廃墟と化していたのを、19世紀になってジャングルの中から再発見された。千年の眠りからさめたといわれたものだ。

番組では、ジャワ島における文化の推移と照らし合わせる形でこの寺院の歴史的意義を説明していたが、筆者が面白く感じたのは、仏教を含めて外来の文化とも言えるそれらに、ジャワ島の人々の固有の文化が編みこまれていたということだ。

その固有の文化とは山岳信仰に通じるものらしい。ジャワ島の人々は、世界を山にたとえ、その頂上に近い部分を聖なる領域、中ほどを聖なるものへ到る経過的領域、裾のほうを欲望がむき出しになった領域と感じていたようだ。こうした考えは、寺院の構成にも反映されているという。土台のほうは煩悩の世界、中ほどは修行の世界、塔のてっぺんは涅槃へと通じる世界である。したがってさまざまなレリーフも、こうした考えを反映するように配置されているのだという。

ボロブドゥール寺院は、仏教寺院といっても、僧侶が修行するための部屋も、信者が礼拝するための空間ももたない。全体がシンボル性の高い構築物であって、建物全体がまるで山のように見える。人々はそれを、山に向かって祈るように、外側から礼拝していたに違いないのだ。

筆者は10数年前に訪れたときの記憶と照らし合わせながら番組の説明を聞き、かたわらこんなことを思ったりしたのだが、念のためにと、当時の日記を引っ張り出してみた。以下は、その日記のうちから、ジョクジャカルタの町とボロブドゥール遺跡を訪ねた当日の記事である。


七月廿六日(日)半陰半晴。下痢未だ痊えず。ジャカルタにての日程終了したれば、これより中部ジャワに観光せんとて、朝方ホテルを辞してスカルノハッタ空港に至る。ハルタント、ボイミン氏ら数名同行す。ヘンドロ氏も愛娘を伴ひて空港まで見送りに来る。十時五十分、ジョクジャカルタ郊外のアディスチプト空港に着す。ここよりバスに乗りてジョクジャカルタ市街に向ふ。途次車窓より眺むる風景は一昔前の日本の町並に似たり。市内のメインストリートに差しかかれば、道の両側に簡易屋台、人力車。馬車雑然と並び、強烈な太陽の下に異様な活気の溢るるを見る。いかにも東南アジアの原風景そのものの如くなり。まずスルタン王宮を見物す。折からラーマーヤナの影絵芝居演ぜらてあり。ついでボロブドゥールの遺跡を見物す。下痢、胃痛に悩まされてゆっくりと景色を楽しむゆとりを得ず。夕近くムティアラ(真珠の意)ホテルに投ず。昨日までのホテルとは異なりエキゾチックな造りにて、各部屋の中にも木彫を配す。一階ロビーには常にピアノを弾く者の姿あり。La vie en roseのメロディを聞く。この曲ジャカルタのホテルにても聞きたり。蓋しインドネシア人の琴線にかなふ節ならんか。夕食後、団長とともにホテルを出で、町を散策す。昼間感じたるところの雑踏の活気は夜に入りて益々甚だし。道両側の屋台色とりどりの小物を並べ、行人の足をして佇ましむ。また路上に茣蓙を敷き、その上に台を並べ、そこにて飲食を供する者あり。男同士或いは男女の道連れ思ひ思ひに台の前にへたりこみ、粗末な飯を食ふ。一の女流しあり。ギターの如き形せる楽器を抱へ、食する者の傍らに跪きて哀調の節を歌ふ。その節何とはなくコーランの響きのやうにて、女の声に乗り綿々と徘徊して止まず。人をして惆悵狼狽せしむ。部屋に戻りて後も窓下深更に至るまで雑踏の音絶えず。


ジョクジャカルタの町の印象はともかくとして、肝心のボロブドゥールに関する記録がいかにもあっさりしているのに、自分ながら苦笑した。たった一行ほどでしかない。決して印象が弱かったというはずはないのだが、何故こんなにあっさり片付けたのか、自分でもわからないほどだ。数日前から苦しんでいた下痢が、世界遺産を楽しむ余裕も与えないほど、強烈だったためだろうか。





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このページは、が2009年8月25日 20:33に書いたブログ記事です。

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