エドガー・アラン・ポーの遅すぎた葬式

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今年はアメリカの偉大な文学者エドガー・アラン・ポーの生誕200年にして死後160年にあたる。それを記念して、ボルティモアのポー記念館ではユニークな催しが計画されていると聞く。何と葬式をやり直そうというのだ。というのも、ポーが死んだときには、見送る者は殆どなく、また墓石も無い状態で、偉大な文学者の死としては、あまりにもさびしい葬式しか行われなかったから、ポー記念館の館長ジェフ・ジェローム氏はそういうのだ。

エドガー・アラン・ポーは惨めな死に方をした。彼はボルティモアの酒場の外で倒れていたところを発見され、病院に連れて行かれたが、その四日後に死んだ。発見されたときには意識朦朧たる状態で、何を聞かれてもまともに答えられない状態だった。

発見される一週間前にリッチモンドの家から突然いなくなった。だがその後どのようにして過ごしていたか、本人も覚えておらず、誰も知るところは無かった。まだ40歳の若さだというのに、野垂れ死にに近い死に方をしたのだ。

遺体を引き取った従弟のネルソンはポーの死を公にせず、その葬儀には10人ほどの近縁者が参列しただけだった。ポーのために用意されていた墓石は、考えられない事故で壊れてしまっていた。脱線した列車が石屋の建物に突撃し、その衝撃で粉々になってしまったのだ。そのためポーは、冷たい土の中にひっそりと埋められたのである。

ポーの死を聞き知ったルーファス・グリズウォルドは悪意ある弔文を新聞に載せ、死者に鞭打つようなことをした。そんなこともあってか、この偉大な文学者はアメリカの文学史から不当な扱いを受けることとなった。彼の価値を世界中に認めさせたのは、ボードレール以下のフランスの文学者だったのだ。

そんなポーのためにジェローム氏は、アメリカが生んだ偉大な文学者にふさわしい葬儀を、改めて行おうと決心したのだ。参列者には公募で選んだ350人のほかに、ポーにゆかりの深い歴史上の人物も加えた。そのなかには、ウォルト・ホイットマン、コナン・ドイル、アルフレッド・ヒッチコックなども含まれる。

問題はポー自身の遺体をどうするかということだった。なかには墓から遺体を掘り出して改葬したらという意見もあったが、ジェローム氏は取り上げなかった。1875年に墓石を立てる際、一度遺体を掘り出したことがあったが、そのときすでに損傷が激しく、恐らく今ではまともに残っていないだろうと想像されたからだ。

その代わりにジェローム氏は、ポーの身体のレプリカを作らせた。(写真:AP提供)

葬式の当日には、葬儀会場にはマネが描いた大鴉の絵が飾られ、その下で歴史上著名な文学者たちが、次々と弔辞を述べるだろう。それに混じってあのルーファス・グリズウォルドもポーを攻撃する演説を行うそうだ。何故そんな奴にしゃべらせるのかと聞かれたジェローム氏は、ポーの偉大さを多方面からあぶりだしたいからだと答えた。

そのジェローム氏自身は、当日は泣き男の役に徹するそうだ。

(参考)  Edgar Allan Poe finally getting proper funeral By Ben Nichols





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このページは、が2009年10月 7日 20:50に書いたブログ記事です。

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