杜甫の七言律詩「青阪を悲しむ」(壺齋散人注)
我軍青阪在東門 我 青阪に軍して東門に在り
天寒飲馬太白窟 天寒く馬に飲(みずか)ふ太白の窟
黃頭奚兒日向西 黃頭の奚兒 日に西に向かひ
數騎彎弓敢馳突 數騎弓を彎(ひ)いて敢て馳突す
山雪河冰野蕭瑟 山雪河冰 野は蕭瑟たり
青是烽煙白人骨 青は是れ烽煙 白は人骨
焉得附書與我軍 焉んぞ得ん 書を附して我が軍に與へ
忍待明年莫倉卒 忍んで明年を待て 倉卒なる莫かれと
わが軍は青阪に陣取って東門にあり、寒空の下、太白の窟で馬に水をやる、黃頭の敵兵は日に日に西に向かって攻め寄せ、數騎が先頭に立って弓を引いている
山には雪が降り川には氷が張り、野原は蕭瑟、青く見えるのはのろしの煙、白は人骨、どうしたらわが軍に書状を手渡し、来年まで持ちこたえよ、あわてることなかれと、知らせられるだろうか
陳陶の敗北に続く青阪の敗北をよんだもの。攻め寄せる胡軍の前であえなく敗北する官軍のうらみが伝わってくるようだ。「青は是れ烽煙 白は人骨」という表現がそれをよく物語っている。
なお粛宗は陳陶の敗北のあとで体制を立て直すことを目指し、無理な戦いを避けたいと考えていたようだ。だが房琯は反撃をあせって、再び大敗を喫した。彼は後にそのことを攻められて失脚する。そのとき杜甫は房琯を擁護して、粛宗の怒りを買うのである。
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