2010年2月アーカイブ

エルトン・ジョンの歌から「ダニエル」Daniel(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  ダニエルがいくよ 飛行機に乗って
  赤いテールランプが スペインをめざしていく
  ダニエルが手を振るのが見えるよ
  でもそれはダニエルの形をした雲だった

エルトン・ジョンの歌から「ロケットマン」Rocket Man(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  フライトの前に彼女とお別れさ
  午前0時9分だ
  ぼくは空たかく飛ぶ たこのように
  地球と彼女が恋しくなるかも
  だってひとりぽっちの
  宇宙探検だから

ダンテ・ガブリエル・ロゼッティのソネット集「命の家」から「死を超えた愛」Through Death to Love(壺齋散人訳)

  月の周りに重苦しく垂れ込めた雲が
  荒涼たる丘を吹きぬける風から逃れ去るように
  満潮が渦巻く激流となって幾重にも重なり
  夜の闇に消えゆくように
  猛火と海の不気味さから滲み出た恐怖のように
  そのようなものとしてわたしらは死をイメージする
  わたしらの息で曇ったガラス窓の内側に浮かび上がる影
  あるいは永遠から切り取られた砂州のようなものとして

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次の秋冬シーズンに向けて世界の四大ファッションウィークが次々と開かれている。どれもおしゃれな女性には興味のあるところだろう。そのなかでも今年はロンドンのファッションウィークが大きな話題をさらっているという。パンクファッションの旗手として知られる Pam Hogg が、度肝を抜くような大胆なデザインをキャットウォーク上で披露したからだ。

宮沢賢治には、マクロコスモスとしての宇宙とミクロコスモスとしての人間とが、どこかでひとつのものに合一する点があるに違いないという確信があった。だから誰よりも愛する妹のトシが死んだとき、彼女の身体は煙になって消えてしまうのではなく、宇宙と合一して新しい命を生きるのだという信念が、あるいはすこし割り引いていえば、そうあって欲しいという希求心があった。

慟哭とは声を上げてむせび泣くことだ。だから無声の慟哭とは形容矛盾のように見える。だが賢治にとっては、声にならない慟哭もありえたのだろう。妹トシの死に際して賢治をおそったものが、そんな慟哭だった。

ポール・エリュアールの詩「自由」Liberté(壺齋散人訳)

  学習ノートに
  机に 木々に
  砂に 雪に
  ぼくは書きつける

ポール・エリュアールの詩「ゲルニカの勝利」La victoire de Guernica(壺齋散人訳)

  美しい世界が廃屋にも
  夜にも 野原にもある

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上の写真(NASA/AP提供)はNASAのWISEミッションが合成したアンドロメダ銀河 Andromeda Galaxy のイメージ。探査衛生が送ってくる赤外線映像をもとに作成したものだ。アンドロメダ銀河の構造が一段とよくわかるようになっている。

杜甫の五言古詩「李白を夢む二首 其二」(壺齋散人注)

  浮雲終日行  浮雲終日行き
  遊子久不至  遊子久しく至らず
  三夜頻夢君  三夜頻りに君を夢む
  情親見君意  情親しみ君が意を見る
  告歸常局促  歸るを告げて常に局促たり
  苦道來不易  苦(ねんごろ)に道ふ來るは易からず
  江湖多風波  江湖風波多く
  舟楫恐失墜  舟楫失墜せんことを恐ると

杜甫の五言古詩「李白を夢む二首 其一」(壺齋散人注)

  死別已吞聲  死別已に聲を吞めり
  生別常惻惻  生別常に惻惻たり
  江南瘴癘地  江南は瘴癘の地 
  逐客無消息  逐客消息無し

ウィンザーの二人の女房たちの計略とフォードの気違いじみた嫉妬のためにひどい目にあったフォールスタッフだが、彼の受難はこれだけではすまなかった。追い討ちをかけるように、第二第三の受難が待ち受けているのだ。

フォールスタッフへの復讐を誓った女房たちは、色目を使うと見せかけてフォールスタッフをフォードの家におびき寄せ、そこで一計を案じてひどい目にあわせようとする。茶番劇を演じて、フォールスタッフを洗濯物の籠に中に入り込ませ、それを召使に運ばせて、テムズ川に放り込もうというのだ。

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イタリアで大人気の朝のテレビ料理番組が珍妙なレシピを紹介し、国を挙げて大騒ぎになっているそうだ。77歳のホスト役ベッペ・ビガッツィ Beppe Bigazzi さん(上の写真:AFP提供)が、猫の肉のシチューはおいしいですよと、台本にないことをしゃべったからだ。

ムーバブルタイプを4.24にアップグレードして以来、ページ分割をしないでいた。というのも3xに対応していたページ分割のためのプラグイン MTPaginate が4x には対応していなかったからだ。だがやはり不便だ。ページ分割が一番威力を発揮するのはカテゴリー・アーカイブだが、この機能がないと、アーカイブの役割を十分に果たせない。

エルトン・ジョンの歌から「聖なるモーゼス」Border Song(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  聖なるモーゼス 故郷を出て以来
  あちこちでぼくが見たのは幽霊ばかり
  国境の反対側には
  ぼくとは違ったひとがいた
  聖なるモーゼス 故郷を出て以来

エルトン・ジョンの歌から「歌って欲しい」Your Song(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  ちょっとしびれてるんだ 心のなかが
  ぼくは簡単には 気取れないんだよ
  一文無しだけど もし金があったら
  家を買ってそこで きみと暮らしたい

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川越駅より北の方向へ二キロほど行くと一番街という通りに出る。南北数百メートルのこじんまりとした通りであるが、ここがかつての古い街並が残されている所である。名高いだけあって、古びた土蔵造りの店舗が数多く立ち並んでいる。とりわけ北側の札の辻付近は最もよく保存されている地域で、土蔵群がかなりな長さにわたって連坦している。

ダンテ・ガブリエル・ロゼッティのソネット集「命の家」から「愛の命」LIFE-IN-LOVE(壺齋散人訳)

  お前の命が息づいているのはお前の体の中ではない
  彼女の唇 手 そして目の中でだ
  それらを通じて彼女はお前の命をめざめさせ
  嘆きや死の苦しみでさえ癒してくれる
  彼女がいなくなってしまったと考えてみよ
  追想は不毛なものとなり 想像は悲しみを帯び
  彼女のいまはの息遣いだけが蘇る
  消え去った最後の時間の余韻だけが

宮沢賢治の詩「松の針」は、詩集「春と修羅」の中の「無声慟哭」と小題を付された五編の詩のうち、「永訣の朝」に続くものである。詩のモチーフも「永訣の朝」と関連しあっている。

宮沢賢治の詩集「春と修羅」には、妹トシの死を悼んだ一連の作品がある。トシは賢治の二歳年下の妹で、賢治とは特別に密接な関係で結ばれていたことはよく知られている。法華経を仲立ちにした信仰上の同士であったということのほかに、トシに対する賢治の異常ともいえる思い入れをもとに、そこに近親相姦を想像する論者さえいる。

ポール・エリュアールの詩「豊穣の瞳」Les yeux fertiles(壺齋散人訳)

  君がぼくを知っているほどに
  ぼくを知っているものはいない

ポール・エリュアールの詩「恋する女たち」Amoureuses(壺齋散人訳)

  女たちは肩をいからせ
  意地悪そうで
  尊大な顔つきをしてる
  胸は自信で膨れ上がり
  おっぱいから日が昇り
  夜を追い払うかのようだ

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黄金のマスクで知られる古代エジプトの少年王ツタンカーメン Tutanklhamun (上の写真:CNN提供)についてはこれまで謎が多かった。特に死因についてはわからぬことが多かった。

杜甫の五言律詩「月夜に舍弟を憶ふ」(壺齋散人注)

  戍鼓斷人行  戍鼓人行斷え
  秋邊一雁聲  秋邊一雁の聲あり
  露從今夜白  露は今夜より白く
  月是故鄉明  月は是れ故鄉の明かり
  有弟皆分散  弟有れど皆分散し
  無家問死生  家の死生を問ふ無し
  寄書長不達  書を寄せど長く達せず
  況乃未休兵  況んや乃ち未だ兵を休めざるをや

杜甫の七言律詩「贊公の房に宿す」(壺齋散人注)

  杖錫何來此  錫を杖つきて何(いつ)か此に來れる
  秋風已颯然  秋風已に颯然たり
  雨荒深院菊  雨は荒る深院の菊
  霜倒半池蓮  霜は倒る半池の蓮
  放逐寧違性  放逐寧(なん)ぞ性に違はんや
  虛空不離禪  虛空禪を離れず
  相逢成夜宿  相逢ふて夜宿を成せば
  隴月向人圓  隴月人に向って圓かなり

犬の長広舌

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上の写真(AP提供)は、リオのカーニヴァルに付随して行われたドッグパレードでの一齣。ワンちゃんの口から垂れ下がった異常に長い舌が観客たちの興味を引いた。犬の舌はだいたい長いものと決まっているが、それにしてもこれはみごとと言うほかはない。

「ウィンザーの陽気な女房たち」は、フォールスタッフが二人のブルジョアの女房たちにラブレターを、それもまったく同じ文面の色仕掛けの手紙を送り届けることから始まる。フォールスタッフは自分がグロテスクな肉体をして、とても女に惚れられるような玉ではないことを棚に上げて、女房たちが難なく自分になびいてくると自身満々なのだ。

「ウィンザーの陽気な女房たち」Merry Wives of Windsor は、シェイクスピアの喜劇の中でも独特な地位を占める。とにかく見て読んで、めちゃくちゃに面白い、理屈なしに楽しめる、劇の観客もシナリオの読者も、腹をかかえて笑えること請け合いだ、これまで人類の歴史の中で演じられてきた喜劇の中で、第一級の作品といってよい。

TIMEの電子版が最近のアメリカのホームレス事情について紹介している。More Homeless Americans Living in Cars and Campers By KEVIN O'LEARY

ダンテ・ガブリエル・ロゼッティのソネット集「命の家」から「心の逃げ場所」 HEART'S HAVEN(壺齋散人訳)

  彼女も私の腕の中で子どもになるときがある
  けれど愛の翼に包まれながらも身を縮め
  涙を流しつつわずかにそむけたその顔が
  何故か不安そうな様子に見えるのだ

先日の朝日新聞が一面トップで、脱北女性の数奇な境遇についてレポートしていた。深刻な食糧不足に苦しむ北朝鮮から、中国へと流れていく女性たちが、中国国内で人身売買の対象になっていることを伝えるものだ。

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栃木市の市域の西部に、巴波川の水を分った小さな水路がある。県庁堀と呼ばれている。その所以は、明治の初期ここに栃木県庁が置かれていたことにある。当時各県の県庁は旧藩の城郭内に置かれることが多かったが、商都であった栃木には城郭などなかったため、わずかに堀を穿ってそれらしき権威を演出したのかもしれない。

原体剣舞連(はらたいけんばいれん)は宮沢賢治の詩の中では一風変った趣のものだ。彼はこの詩を、岩手県の江刺地方でみた剣舞の印象をもとに作ったことがわかっている。子供たちが踊る剣舞の荒々しくもさわやかな様子を、地元に伝わる鬼の伝説を入れ混ぜながら描いているが、その鬼に修羅のイメージを重ねることで、自分自身の悩みをも盛り込んでいるといえなくもない。

宮沢賢治の詩の著しい特徴は、自然の風景や心の中の揺らぎを、ありのままに連続的に描き続けていくことである。賢治はそれを心象のスケッチといっていた。

ポール・エリュアールの詩「新たな夜」Par une nuit nouvelle(壺齋散人訳)

  ぼくが一緒に暮らしてきた女
  ぼくが一緒に暮らしている女
  ぼくが一緒に暮らしていく女
  いつも同じ女だ

ポール・エリュアールの詩「悲しみよ こんにちは」À peine défigurée(壺齋散人訳)

  悲しみよ さようなら
  悲しみよ こんにちは
  お前は天井の線の中に書き込まれている
  お前は愛する人の目の中に書き込まれている
  お前は悲惨さなんかじゃない
  どんな貧しい人でもお前の名を口にするのは
  微笑みながらだ

杜甫の五言古詩「遣興三首其一」(壺齋散人注)

  下馬古戰場  馬より下る古戰場
  四顧但茫然  四顧すれば但だ茫然たり
  風悲浮雲去  風悲しくして浮雲去り
  黃葉墮我前  黃葉我が前に墮つ
  朽骨穴螻蟻  朽骨に螻蟻穴し
  又為蔓草纏  又蔓草の纏はるところと為る
  故老行嘆息  故老行くゆく嘆息す
  今人尚開邊  今人尚ほ邊を開くと
  漢虜互勝負  漢虜互ひに勝負あり
  封疆不常全  封疆常には全からず
  安得廉頗將  安んぞ廉頗將を得て
  三軍同晏眠  三軍同じく晏眠せん

杜甫の五言律詩「秦州雜詩二十首」其十九(壺齋散人注)

  鳳林戈未息  鳳林 戈未だ息まず
  魚海路常難  魚海 路常に難し
  候火雲峰峻  候火雲峰峻しく
  懸軍幕井幹  懸軍幕井幹(かは)く
  風連西極動  風は西極に連って動き
  月過北庭寒  月は北庭を過ぎて寒し
  故老思飛將  故老飛將を思ふ
  何時議築壇  何れの時か築壇を議せん

羽田のアナゴ仲間と有楽町で飲んだ。いつものとおりM女史からメールが来て、有楽町で飲みましょうと誘われたのだ。場所は高速道路の高架下にある「みちのく」という店。このあたりで余生を過ごしているK氏の紹介だといっていたが、筆者には若い頃からなじみのある店だ。そこで懐かしい思いにひたりながら、駆けつけた次第。

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筆者が少年だった頃は、太陽系の惑星は九つあると教えられていた。学校の授業で先生が惑星の名前を列挙しなさいというと、生徒たちは声を揃えて「スイキンチカモクドッテンカイメ」と答えたものだ。太陽に近いものから順に、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星のそれぞれの頭文字を並べた言い方だ。こうすると子どもには覚えやすい。

New Yorker の Web 判に、先日 Earthquake という詩が載った。ハイチの地震で死んでいった人を悼んでのことだったらしい。作者はどんな人か良くわからぬが、署名にエメ・セゼールとあるから、ハイチの人かもしれない。

「ロメオとジュリエット」は恋愛劇という側面と同時に、死をテーマにした劇という色彩が強い。死の影は劇のはじめの部分にすでに姿を現し、二人の恋人の至福であるべき時間にも不吉な影を垂れ、最後には二人とも飲み込んでしまう。この劇を悲劇的なものにしているのは、この死という抗いがたいものなのだ。単なる恋愛劇なら、喜劇であっても十分なのである。

乳母の計らいで二人きりになれたロメオとジュリエットは、甘美な初夜を明かした後、朝を迎える。それは普通の朝ではない。朝日はいまや犯罪人になったロメオにとって、衆目に姿をさらすことを意味し、それは自身の死につながることを意味する。生きながらえるためには、ふたたび闇の世界へと逃げ去らねばならない。

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宇宙には新しい星が次々と誕生している領域がある。星の揺篭ともいうべきこうしたところが最近になって沢山見つかるようになったのは、NASAの研究が深まってきたおかげだ。上の写真(NASA)もそんな領域のひとつを捉えたもの。W5といって、地球からカシオペア座の方向に向かって6500光年の距離にある。

ルイ・アームストロングの歌から「素晴らしい世界」What a Wonderful World(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  緑の木々 真っ赤なバラが
  花咲くのは 僕らのため
  なんて素晴らしい 世界なんだろう

ダンテ・ガブリエル・ロゼッティの詩から「真昼の野辺」SILENT NOON(壺齋散人訳)

  君は手を広げ草の上に大の字になる
  指先でノバラの花を確かめながら
  君の瞳は穏やかに笑い 広々とした野原の上には
  大空がまばゆく広がっている
  ぼくらの周りには 見渡す限り
  キンポウゲが銀色の綿をはためかせ
  サンザシの垣根には野良ニンジンがまとわりつき
  砂時計のようにゆったりと流れる時間

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川越といえば店蔵の立ち並ぶ古い街並と時の鐘でよく知られている。佐原と並び関東地方では歴史的建造物が大規模に残っている数少ない街のひとつだ。その名声は全国に伝わっているようで、いつか四国を訪れた際、内子宿を案内してくれたガイドさんもその名を知っていたほどだ。

「春と修羅」の中の一篇「真空溶媒」は、いろいろな意味で宮沢賢治らしさが強く現れている作品だ。まず副題に、ドイツ語で「朝の幻想」とあるとおり、これは賢治の性癖であった幻想がテーマになっている。

宮沢賢治は自分の詩集を編むに当たって、配列を創作順にするのを原則とした。最初の詩集「春と修羅」の最初に収められた詩はだから、賢治の創作活動の出発点をなす記念すべき作品だということができる。その作品とは1922.1.6の日付を付せられた「屈折率」という詩である。

ポール・エリュアールの詩「見失ったもの」A perte de vue(壺齋散人訳)

  木々 枝々 葉の繁み
  根元には草むら 岩 重なり合った家々
  遠くの海では君の瞳が泳いでいる
  これらのイメージが日々新たに沸き起こる
  美も醜も不完全だから

ポール・エリュアールの詩「愛の季節」La saison des amours(壺齋散人訳)

  なぎさの道を通って
  落ち着かない夢の中のひだのような影となって
  ぼくは君のもとへやってきたよ ぼんやりとでしかないけど
  デルタの時代を感じさせる君のもとへやってきたよ

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日本では仲の良い夫婦をおしどりに譬えるが、西洋ではボタンインコを愛の鳥Lovebird といって、おしどり夫婦の代表選手としている。インコの仲間はだいたい夫婦仲がよいのだが、中でもボタンインコはいったんカップルが成立すると、生涯にわたって離れない、あらゆる行動を夫婦一緒におこなう、といった具合にうらやましいほど仲がよい。

三吏三別で民衆の塗炭の苦しみを歌った杜甫は、華州での地方官としての職を辞する決意を固めた。民衆の苦悩を前にして、自分もその原因を作っている一人だという自責の念が沸き起こるとともに、毎日が瑣末な決済に追われる職務に耐えられない気持ちを感じたからだろう。

無家別は戦いに駆り出されて家族を持つこともできなかった男の嘆きを歌ったもの。久しぶりに故郷に帰ってくると、どの家も荒れ放題、たった一人の家族たる母親も、苦労しながら死んでしまい、その遺骸は埋葬されることもなく朽ち果てようとしていた。これでは到底健民の境遇とはいえない。

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ギネスブックから世界一背の高い人間の証明をもらったトルコ人男性スルタン・コーセンさんについては、先日このブログでも紹介した。そのコーセンさんと、これは世界一背の低い人間と認定された何平平(ハー・ピンピン)さんがトルコであったそうだ。(上の写真:AP提供)

初めて舞台に登場したときのジュリエットは、まだ幼さの残る少女であった。それがロメオとの恋に陥り、ロレンス神父の導きによって結婚の儀式を交わしてからは、成熟した女性へとドラスティックに変身する。成熟した一人の女としてのジュリエットは、女としての喜び、つまり性的な恍惚と結婚のもたらす豊穣を求めずにはいられない。

ロメオとジュリエットがバルコニー越に対面する場面は、この劇の、恋愛劇としてのハイライトシーンだ。二人の若い恋人たちが愛の言葉を交し合うこの場面は、おそらく人類が恋愛というものに関して抱いてきた、もっとも崇高な感情を盛り込んだものとして、未来に渡って引き継がれていくことだろう。

学生時代の仲間三人と両国でふぐを食った。松子がふぐを食いたいというのでわざわざ設定したものだ。昔本所の事務所に勤めていた折、よく利用した店があったのでそこにしようかと思ったのだが、どうやらすでに廃業していまはないらしい、そこで両国駅前のたらふくという店に予約した。

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松風は、熊野松風に米の飯といわれるように、古来能としても謡曲としても人気の高かった曲だ。在原行平の歌をベースに、行平の恋の相手であった海女松風村雨の切ない思い出語りを、源氏物語須磨の巻の雰囲気を借りてしみじみと演出したものだ。また終わり近くでは、松風が狂乱状態で舞うなど、構成に変化があって、観客は飽きることがない。



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