2010年3月アーカイブ

「ヴェニスの商人」という劇は、ユダヤ商人による人肉切り取りの話が最大のテーマだという観を呈している。そしてその人肉を担保に入れるヴェニスの商人アントニオこそが、形式上の主人公ということになっている。だがアントニオは主人公というには、いささか精彩に欠けている。

最近、小林多喜二の人気が高まっているという。代表作の「蟹工船」が若い人たちを中心によく読まれている。それだけではない、外国語に相次いで翻訳され、国際的な評価も高まっている。

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筆者は子どもの頃に書の稽古をしたことがなかったので、毛筆はおろか、およそ美しい文字を書くこととは無縁だった。それでも字体に対するこだわりというか、一種の美意識というべきものはもっていたので、自分なりに工夫して納得できる字を書きたいとは思っていた。

臓器移植には免疫という壁がある。免疫の型が合わないと、移植された臓器は強烈な拒絶反応にあって、定着することが出来ない。それ故臓器の移植に当たっては、なるべく免疫が適合する個体から選ばねばならない。

再生医療の最先端をNHKが報道していた。それを見て、ついにここまで来たかと驚かされた。(NHKスペシャル「人体"製造"~再生医療の衝撃~」)

エルトン・ジョンの歌から「さようならイギリスのバラ」Candle In The Wind 1997(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  さようならイギリスのバラ
  きみのことは けして忘れない
  きみはけなげに生きてきたんだ
  つらいつらい毎日を
  きみはこの世に生まれて
  ひとびとを励まし続けた
  天国に召されたあとも
  なおも励ましつづける

エルトン・ジョンの歌から「きみにはなんともいえない風情があって」Something About The Way You Look Tonight(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  その一瞬
  ぼくは天地がひっくり返った気持だった
  きみと出会ったとき
  ぼくは太陽を掠める雲のような気持だった

エドガー・ポーの詩「大鴉」The Raven(壺齋散人訳)

  あるわびしい夜更け時 わたしはひそかに瞑想していた
  忘却の彼方へと去っていった くさぐさのことどもを
  かくてうつらうつらと眠りかけるや 突然音が聞こえてきた
  なにかを叩いているような音 我が部屋のドアを叩く音
  いったい何者なのだろう 我が部屋のドアを叩くのは
  それだけで 後はなにも起こらなかった

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ここ数年アメリカやオーストラリアで起きているミツバチの謎の消滅は、果樹や野菜栽培などの農業に深刻な打撃を与えている。その影響は受粉作業を輸入蜂に頼っている日本の農業にも及んでいるというから、他人事ではない。

ダンテ・ガブリエル・ロゼッティのソネット集「命の家」から「希望」The One Hope(壺齋散人訳)

  満たされぬ欲望と癒されぬ悔恨を抱いたまま
  いざ死にゆくというときになって
  忘れる事の出来ない痛みを癒してくれ
  忘れられないことを忘れさせてくれるものは何だろう

薤露青とは韮の葉のように真っ青な夜の空と、その葉に丸く固まった露のように白い星をイメージしている。宮沢賢治の詩の中でもとりわけ美しいこの詩は、銀河を歌ったものであり、またその銀河を横切ってきらめき現れる魂の所在を歌ったものだ。

「春と修羅」第二集のなかの北上山地を主題にした一連の作品の中に、「北上山地の春」と題するものがふたつある。ひとつはここに紹介するもので、「浮世絵」という添え書きが付されており、もうひとつは単に「北上山地の春」とある。このうち筆者が座右に置いている筑摩文庫版の全集には後者が本体部分に納められ、前者は異稿の部分に納められている。

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中村不折といえば明治、大正から昭和の初期にかけて活躍した画家にして書家。絵にせよ書にせよ伝統を突き破ったユニークさが時々に物議をかもしたことで知られている。

「悪の華」諸篇の中で、ジャンヌ・デュヴァルと並んでボードレールの詩想を掻き立てた女性が二人いる。サバティエ夫人とマリー・ドーブランだ。サバティエ夫人からは「あまりに快活な婦人へ」や「霊的な夜明け」が生まれ、マリー・ドーブランからは「旅への誘い」や「秋の歌」が生まれた。

杜甫の五言古詩「鐵堂峽」(壺齋散人注)

  山風吹遊子  山風 遊子を吹き
  縹緲乘險絕  縹緲 險絕に乘ず
  峽形藏堂隍  峽形 堂隍を藏し
  壁色立精鐵  壁色 精鐵立つ
  徑摩穹蒼蟠  徑は穹蒼を摩して蟠り
  石與厚地裂  石は厚地と裂く
  修纖無垠竹  修纖なり無垠の竹
  嵌空太始雪  嵌空なり太始の雪

杜甫の五言古詩「赤穀」(壺齋散人注)

  天寒霜雪繁  天寒くして霜雪繁し
  遊子有所之  遊子之く所有り
  豈但歲月暮  豈に但に歲月の暮るるのみならんや
  重來未有期  重ねて來ること未だ期有らず
  晨發赤穀亭  晨に赤穀の亭を發す
  險艱方自茲  險艱方に茲よりす
  亂石無改轍  亂石 轍を改むるなく
  我車已載脂  我が車已に脂を載せり

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上の写真(ロイター提供)はリマの海岸でアルパカにサーフィンを教えているペルー人のピアネッツィさん。ピアネッツィさんは過去10年間、犬のサーファーを育ててきたことで有名だが、今度はアルパカを相手にサーフィンを教え始めたということだ。

シェイクスピアの作品の中でも「ヴェニスの商人」The Merchant of Veniceは、最も論議を呼んだもののひとつだ。それはこの作品が、いくつものプロットから構成されていながら、それらが相互に余り関連しあっていないことによるが、それ以上に、題名のもととなったヴェニスの商人たるアントニオの影が劇の中では非常に薄いこと、脇役であるシャイロックの性格が非常に複雑であることなどによると考えられる。

「じゃじゃ馬馴らし」の中にはメイン・プロットとしてのペトルーチオとカタリーナの物語と平行して、サブ・プロットとして妹のビアンカをめぐる恋の駆け引きが繰り広げられる。

エルトン・ジョンの歌から「生命の環」Circle Of Life(ライオンキングのテーマ:壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  この世界に生まれてきて
  初めて太陽を目にしたけど
  さらに見るべきものがあり
  さらになすべきことがある

エルトン・ジョンの歌から「愛を感じるかい」Can You Feel The Love Tonight(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  日は静かに暮れ
  闇がただよう
  目くるめくような熱気が
  さまされる時
  すばらしいひと時
  ぼくは打ち解ける
  君といっしょにいられるだけで
  十分すぎるんだ

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川越の一番街を歩いていたら何ともミスマッチな光景に出会った。古風な作りの店蔵を前景にして、ドーム式の尖塔を戴いた洋館が覆いかぶさるようにして立っているのである。

ダンテ・ガブリエル・ロゼッティのソネット集「命の家」から「上書き」A Superscription(壺齋散人訳)

  我が顔を見よ 我が名は「だったかもしれぬ」
  または「二度とない」、あるいは「遅すぎた」とも「さらば」ともいう
  海辺に横たわる汝の足元には打ち上げられた貝殻がある
  わしはそれをとって汝の耳に押し当てる

ダンテ・ガブリエル・ロゼッティのソネット集「命の家」から「夢」HEART OF THE NIGHT(壺齋散人訳)

  子どもから青年へ 青年から男へ
  無気力から熱気ある心へ
  信仰の生活から夢見がちな日々へ
  信頼から疑念へ 疑念から放埓へと

大正13年4月20日、宮沢賢治は北上の山の中で夜明けを迎えた。そのときの感動を、賢治は「東の雲ははやくも蜜のいろに燃え」と歌いだす。北上山地夜間行を歌った一連の詩の中で、4番目に位置するものだ。

「有明」は春と修羅第二集のなかの北上山地夜間行を歌った一群の作品の中で三番目につくったものだ。大正13年4月19日の夜から北上の山の中を歩き始めた宮沢賢治は、翌日の未明に、北上川とその下流に広がる盛岡の町を見下ろす稜線にさしかかった。

ボードレールはいかがわしい女の相手をするのが好きだった。好きだったというより、そんな女でなければ心を開いて交わることができなかったというほうが正確だろう。

杜甫の五言古詩「秦州を發す」(壺齋散人注)

  我衰更懶拙  我衰へて更に懶拙なり
  生事不自謀  生事 自ら謀らず
  無食問樂土  無食くして樂土を問ひ
  無衣思南州  無衣くして南州を思ふ

杜甫の七言律詩「促織」(壺齋散人注)

  促織甚微細  促織甚だ微細なり
  哀音何動人  哀音何ぞ人を動かす
  草根吟不穩  草根に吟ずること穩やかならず
  床下意相親  床下 意 相親しむ
  久客得無淚  久客淚無きを得んや
  故妻難及晨  故妻晨に及び難し
  悲絲與急管  悲絲と急管と
  感激異天真  感激天真に異なり

じゃじゃ馬馴らしの最後の場面でカタリーナが女たちに語りかける言葉は、問題が多いとされるこの劇の中でも最も問題が多いとされ、これまでに様々な議論を呼んできた。その多くはこの言葉に盛られた女性蔑視ともいえる内容を、果たしてシェイクスピアがどんなつもりで差し込んだのかということだった。

手の着けられないじゃじゃ馬娘がどのようにして調教されるのか、この劇の真髄はペトルーチオによるカタリーナの調教ぶりにある。観客はペトルーチオが手を変え品を変えカタリーナを手なずけていく過程を、お笑い寸劇を連続して見せられるような、気楽な気持ちで、しかも腹を抱えながら見ることとなる。それは当時の男たちにとって、気の荒い女房を思いのままに操るための、お手本のようなものであった。

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土蜘蛛は「大江山」や「羅生門」などと同じ系列に属する風流能である。派手なアクションが見世物になっており、初心者にもわかりやすく、人気のある曲だ。歌舞伎の演目としてもなじみが深い。

エルトン・ジョンの歌から「残念なんていやな言葉」Sorry Seems To Be The Hardest Word(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  どうしたら愛してもらえるんだろう
  どうしたら抱いてもらえるんだろう
  雷に打たれたようなこの苦しみ
  目覚めたらきみはもういなかった

エルトン・ジョンの歌から「風に揺らめくともしびのように」Candle In The Wind(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  さようなら ノーマ・ジーン
  きみに会ったことはないけど
  きみが素敵な人生を
  生きたことは知ってる
  きみは世の中から
  おもちゃにされて
  さんざんいたぶられて
  名前まで変えられたんだね

ダンテ・ガブリエル・ロゼッティのソネット集「命の家」から「最後の贈り物」Love's Last Gift(壺齋散人訳)

  愛の天使が歌い手に光る葉を示していった
  バラは花を開いてミツバチを招き寄せ
  リンゴは見事な実を結ぶ
  黄金の茎が束ねられと羽のようだ

ダンテ・ガブリエル・ロゼッティのソネット集「命の家」から「彼女なしでは」Without Her(壺齋散人訳)

  彼女なしでは 鏡も何の役にたとう
  月の表面のような虚ろな水溜りと同じだ
  彼女なしでは ドレスも何の用をなそう
  月を横切る千切れ雲のように空虚なだけだ

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狂言「柿山伏」はわかりやすい筋書きで単純な笑いに満ちているので、初心者にもとっつきやすい作品だ。そんなところからよく上演される。演じる役者も若い人から年配のものまで幅広い。

宮沢賢治は「春と修羅」を書き終えた後も、「心象スケッチ」と称するものを書き続けた。そのうち大正13年から14年にかけて書いたものを「春と修羅 第二集」として出版するつもりだったらしい。

宮沢賢治の詩集「春と修羅」の末尾には、「風景とオルゴール」と題する一連の作品群が置かれている。賢治は作品の配列を作成日時の順に並べているから、これらの作品は、詩集の中で最も新しく作られたということになる。

アンリ・トロワイアのボードレール伝(沓掛良彦・中島淑恵訳、水声社刊)を読んだ。トロワイアはフランスの伝記作者で、バルザック伝やドストエフスキー伝が邦訳されている。作家でもあるこの人の評伝は、ありきたりの伝記とは異なり、読み物としても面白い。ボードレールについても、残された膨大な手紙を豊富に引用しながら、ボードレールといういわば神格的な詩人の闇の顔を明るみに照らし出すことに成功している。

杜甫の七言律詩「初月」(壺齋散人注)

  光細弦欲上  光細くして弦上らんと欲す
  影斜輪未安  影斜にして輪未だ安からず
  微升古塞外  微に升る古塞の外
  已隱暮雲端  已に隱る暮雲の端
  河漢不改色  河漢色を改めず
  關山空自寒  關山空しく自ら寒し
  庭前有白露  庭前白露有り
  暗滿菊花團  暗に菊花に滿ちて團なり

杜甫の七言律詩「寓目」(壺齋散人注)

  一縣蒲萄熟  一縣蒲萄熟し
  秋山苜蓿多  秋山苜蓿(もくしゅく)多し
  關雲常帶雨  關雲常に雨を帶ぶるも
  塞水不成河  塞水河を成さず
  羌女輕烽燧  羌女烽燧を輕んじ
  胡兒製駱駝  胡兒駱駝を製す
  自傷遲暮眼  自ら傷む遲暮の眼に
  喪亂飽經過  喪亂飽くまで經過するを

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恐竜が絶滅した原因として、これまでは二つの主要な仮説が対立してきた。ひとつは宇宙から飛んできた巨大隕石あるいは小惑星が地球と衝突し、その打撃で大規模な気候変動が起きて恐竜が絶滅したとするものだ。その詳細についてはこのブログでも取り上げたことがある。(恐竜を絶滅させた巨大隕石

「じゃじゃ馬ならし」の女主人公カタリーナは、まさにじゃじゃ馬のあだ名にふさわしく、劇の最初では手の着けられないあばずれ娘として描かれている。男の弱点を捕まえては口汚く罵り、あまつさえ近づく男を叩いたり蹴飛ばしたりして散々な目にあわせる。伝統的な笑劇におけるあばずれ女のイメージを最大限に引き伸ばした形だ。だからこんな女に近づこうとする男はいない。男たちはみな彼女を悪魔呼ばわりまでするのだ。

「じゃじゃ馬馴らし」 The Taming of The Shrew はシェイクスピアの作品の中でも、ひときわ論争の種が多いものだ。喜劇のうち最も早い時期の作品だが、彼の若さが盛り込まれているせいか、荒々しい笑いが逆巻いているような感じをさせる。

エルトン・ジョンの歌から「黄昏のレンガ道」Goodbye Yellow Brick Road(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  いつ降りていくんだよ
  いつになったら戻れるんだ
  やはり田舎にいればよかった
  爺さんのいうことをきくべきだった

エルトン・ジョンの歌から「サタデー・ナイトは最高」Saturday Night's Alright(壺齋散人による歌詞の日本語訳)

  時間だぜ あいつらを見なかったかい
  いったいいつになったら やってくるんだ
  もう7時だ いっぱつやる時間だ
  たらふく楽しみたいもんだぜ

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桐生本町通りの有隣館から天満宮に至るまでの南北五六丁の間は、両側に古い街並が比較的よく残されている。表通りには蔵作りの商家が点在し、通りに垂直に交わる多くの横丁には、鋸屋根の織物工場やら古びた民家やらが立ち並んでいる。

ダンテ・ガブリエル・ロゼッティのソネット集「命の家」から「愛と死」Death in Love(壺齋散人訳)

  生命に仕えるもののひとつのイメージがある
  それは天使の翼をつけ手には旗を持ち
  その美しい翼には なんと
  魂を抜かれたお前の顔が描かれていた
  妙なる音が響いて 春が目覚め
  音はわたしの心の中まで染み入って来る
  まるで中身のない時間のように空虚に
  すると新しく生まれでたものがうめき声をあげた

オホーツク挽歌の一連の作品は、宮沢賢治にとっては、死んだ妹トシの魂の行方を捜す旅でもあった。この旅の間中賢治はトシの魂のことを考え続けながら、宗谷海峡を渡って樺太に至り、そこの広大な自然と雄大な天空を眺めつつ、この宇宙のどこにトシがいるのだろうと、問い続けた。

宮沢賢治は大正12年7月31日から8月12日にかけて、北海道を経て樺太へいたる一人旅をした。直接の目的は農学校の教え子のための就職活動だったらしいが、ほかにもうひとつ大きな目的があった。それは前年の秋に死んだ妹の、魂の行く先をたずねることだった。

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先日猫の肉のシチューを食ったといってイタリア国民の反感を招いたベッペさんの話題をとりあげた。その中でベッペさんは、ウサギの肉は食べてもよく、猫の肉は食べてはいけないというのは偽善的だと反論していた。実際ヨーロッパの食文化の中では、ウサギはいまでも人気のある食材なのだ。

ポール・エリュアールの詩「ぼくは君に語りかける」L'absence(壺齋散人訳)

  ぼくは君に語りかける 町の彼方から
  ぼくは君に語りかける 草原の彼方から
  ぼくは唇を君の耳に密着させようとする
  すると壁の表裏両面がひとつの面となり
  君を求めるぼくの声を受け止める

ポール・エリュアールの詩「恍惚」L'extase(壺齋散人訳)

  ぼくはこの不思議な光景を目の前に見ている
  火を目の前にした子供のように
  口には薄笑いを浮かべ 目からは涙を流しながら
  その光景の前で ぼくの中のあらゆるものがうごめいた
  曇った鏡にも 光り輝く鏡にも
  裸のふたりが映ったのだ 季節と季節がせめぎあうような

杜甫の七言律詩「天末にて李白を懷ふ」(壺齋散人注)

  涼風起天末  涼風天末に起る
  君子意如何  君子 意 如何
  鴻雁幾時到  鴻雁幾時か到る
  江湖秋水多  江湖秋水多し
  文章憎命達  文章命の達するを憎み
  魑魅喜人過  魑魅人の過るを喜ぶ
  應共冤魂語  應に冤魂共に語るなるべし
  投詩贈汨羅  詩を投じて汨羅に贈らん

杜甫の五言律詩「不見」(壺齋散人注)

  不見李生久  李生を見ざること久し
  佯狂真可哀  佯狂 真に哀れむべし
  世人皆欲殺  世人皆殺さんと欲す
  吾意独憐才  吾が意 独り才を憐れむ
  敏捷詩千首  敏捷 詩千首
  飄零酒一杯  飄零 酒一杯
  匡山読書処  匡山は書を読みしところ
  頭白好帰来  頭白好し帰り来たれ  

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先日のハイチの大地震に続きチリでも大地震が起きた。その規模はマグニチュード8.8というから、滅多に起こらぬ巨大地震といってよい。エネルギーレベルでいうと、ハイチの500倍ものすごさだ。だがその割に被害はメチャクチャなものにはならなかった。まだ完全な統計は出ていないが、死者の数はハイチの場合の22万人に対し700人台、倒壊したビルもハイチに比べればずっと少なかった。

「ウィンザーの陽気な女房たち」には、メインテーマとしての女房たちの報復劇の傍らに、フェントンとアンの愛の物語が、サブテーマとして組み込まれている。この二人の愛は最後には結婚というかたちで実を結ぶが、そのことがこの劇を喜劇たらしめているともいえる。もし彼らの結婚がなかったなら、単なるドタバタ笑劇に終わってしまうところだ。

ウィンザーの女房たちによるフォールスタッフの懲らしめは、ついに亭主たちをも巻き込んでの大掛かりなものへと発展する。最初はフォールスタッフの無礼に対する個人的な反撃として始まった懲らしめだが、それが女房たちの個人的なうさばらしにとどまっている限り、たいした結果にはならない。そのことは女房たち自身がよくわかっていたことだった。

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昨年の暮れから日本海側の沿岸にリュウグウノツカイという深海魚が数多く打ち上げられ、地元の人々を驚かせているそうだ。この魚は普段200-1000メートルの深海に生息していて、水面近くに現れることはほとんどない。それがこんなに多く現れるのは、異変の兆しかもしれない、そう心配する人も多い。



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