中村不折の書「龍眠帖」

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中村不折といえば明治、大正から昭和の初期にかけて活躍した画家にして書家。絵にせよ書にせよ伝統を突き破ったユニークさが時々に物議をかもしたことで知られている。

日本人にしては珍しい型破りな芸術家だ。その型破りな生き方で、鴎外、漱石、子規といったこれもまた型破りの文人たちと親しくもあったので、筆者のように鴎外以下の三人に親しみを感じてきた人間にとっては、なにかとその名前に接することも多かった。

といって中村不折について深く研究したわけではない。それでも彼の作品のいくつかは心の中に深く刻み込んでいる。

絵のほうはそんなに感心することもないと思っているが、書のほうはなかなかどうして、凡人のよくすることのできぬ独特の個性を感ぜしめる。上は彼の書の代表作とされる「龍眠帖」の一部だ。一目見ただけで、その尋常ならざる迫力に圧倒される。

実際こういう類の書は、誰にでも書けるものではない。また書いてやろうと思って書けるものでもないだろう。

この書の原題となったのは、北宋の詩人にして書家蘇轍の詩「題李公麟山荘図」。冒頭に龍眠とあるところから、不折は「龍眠帖」と名づけた。その折不折は深刻なうつ病を患っており、リハビリを兼ねてこの書を書いたと伝えられている。龍の眠りに自分自身の眠りを重ね合わせたのかもしれない。

なお、画家としての中村不折は太平洋画会と深いかかわりがあった。この会は民間の洋画教育に功績のあった団体で、多くの西洋画家を送り出している。かくいう筆者の絵の先生鈴木輝美師匠もこの団体の出身だ。なにかの因縁を感じる。





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