人肉裁判 Most learned judge! :ヴェニスの商人

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ヴェニスの法廷を舞台に展開される人肉裁判は、当時の観客にとってもショッキングな内容だったろう。人肉を抵当にとるという話は、余りにも人倫から逸脱しているがゆえに、今日の読者にも荒唐無稽なものとしか映らない。こんな荒唐無稽なプロットを持ち込むことで、シェイクスピアはいったい何を狙ったのか。誰もがそういう疑問を抱く。

これはシャイロックというユダヤ人の金貸しを、悪逆無道の典型として描き出し、その悪逆振りが正しい法によって裁かれることによって、正義がもたらされる、その過程をドラスティックに浮かび上がらせるために、こんな筋を持ち込んだのだろう。こう考えるのが普通ではないか。

だが人肉を抵当にとるという話は、歴史的な事情を踏まえれば、そんなに異常なことともいえない側面がある。人間の歴史の中には、今日の読者から見て異常と思えることが、異常でなかった時代がいくらでもあるのだ。

シェイクスピアの時代に限定して考えても、借金をめぐる血なまぐさい話は日常の出来事だったと思われる。彼の生きていたイギリスは空前のインフレーションに悩まされていた。ひとびとは次々と破産し、また債務の奴隷になるものも多かった。そんな中でひとびとは非情な債権者から借金を取り立てられ、払えないで自殺するものも多かったのだ。

そんなひとびとの眼には、金貸しは人の血を吸って生きている連中であり、ときには借金のかたに人肉さえそぎとってはばからない連中だと意識されていたのである。

シェイクスピアの時代には金貸しはユダヤ人には限らなかったが、ユダヤ人の多くは金貸しを営んでいた。金貸しもユダヤ人も憎しみの的だったところへ、そのふたつの属性が一つの人格の中で融合したとき、それは最も忌まわしいもののシンボルとなりえたはずだ。

「ヴェニスの商人」における人肉裁判のシーンはだから、人々の憎しみの的である金貸しのユダヤ人が正義によって裁かれなければならぬという、当時の民衆の素朴な感情に合致するものでなければならなかった。

シェイクスピアはこのシーンで「正義とは何か」という問題を取り上げているのだが、正義とはそんなに単純なものではない。

社会生活を営む上で当面正義が問題となる場面は法律をめぐってである。この劇の舞台として設定されているヴェニスはシェイクスピアの時代にあっては最も進歩的な都市国家であり、法の前の平等が正義の最大の原則として確立されていた。法律を守る限りにおいて、都市国家の市民はみな平等であり、その市民にはユダヤ人も含まれていた。人種の如何にかかわらず、法律を守りさえすればどんな人間も一人の市民として法的な平等が保障されていたのだ。

金貸しのユダヤ人であるシャイロックにも法の原則は平等に適用される。シャイロックはその原則に従って自分の権利を主張する。アントニオとの間での人肉を担保にした契約は合法的なのだ。だから法律に従ってアントニオの人肉を要求することはなんらやましいことではない。

ここに弁護士に変装したポーシャが現れて、法の上での正義と人間としての正義との間に折り合いをつける作業をする。利口な人間でなければできない離れ業だ。

  ポーシャ:契約を認めますか
  アントニオ:認めます
  ポーシャ:ではユダヤ人の慈悲を期待するしかない
  シャイロック:わたしにそんな義務があるのですか
  ポーシャ:慈悲とは義務によって強制されるものではありません
   それは空から降ってくる恵みの雨のようなもの
   慈悲には二重の祝福があります
   与えるものを祝福するとともに与えられるものも祝福するのです
   この世のうちで最高のもの
   王冠にまさる王者のしるしなのです(第四幕第一場)
  PORTIA:Do you confess the bond?
  ANTONIO:I do.
  PORTIA:Then must the Jew be merciful.
  SHYLOCK:On what compulsion must I? tell me that.
  PORTIA:The quality of mercy is not strain'd,
   It droppeth as the gentle rain from heaven
   Upon the place beneath: it is twice blest;
   It blesseth him that gives and him that takes:
   'Tis mightiest in the mightiest: it becomes
   The throned monarch better than his crown;

ポーシャは法律家としての立場から、シャイロックの権利にはなんら意義をとなえない。人肉をとることも契約で定められたことであれば違法とはならない。だから法律で解決できないことは人間の感情に訴えねばならない。

しかしシャイロックは人間的な感情を介在させて問題を解決することを拒む。彼は差別されているユダヤ人として、キリスト教徒に慈悲を垂れる気持ちにはなれないのだ。貸した金の二倍の額を返すと申し出られても、彼は断固として拒絶する。いまや彼にとって、アントニオの肉をそぎ取ることは、ビジネスの問題ではなく、人間としての面子の問題になっている。

だがそこがシャイロックにとってのつまずきの石となる。ポーシャはかたくななシャイロックを懲らしめてやる必要があると思ったのだろう、一種の詭弁を用いてシャイロックの要求にブレーキをかけるのだ。

  シャイロック:すばらしい裁判官だ さあ判決が出たぞ 用意しろ
  ポーシャ:ちょっと待ちなさい 付け加えることがあります
   契約の文言は肉一ポンドを切り取るとなっているが
   血を流してよいとは書いていない
   したがって契約どおり一ポンドの肉を切り取っても良いが
   そのさいにキリスト教徒の血を流してはならない
   一滴でも流そうものなら ヴェニスの法律に従って
   あなたの土地と財産は ヴェニスの国庫に
   没収されることになります
  SHYLOCK:Most learned judge! A sentence! Come, prepare!
  PORTIA:Tarry a little; there is something else.
   This bond doth give thee here no jot of blood;
   The words expressly are 'a pound of flesh:'
   Take then thy bond, take thou thy pound of flesh;
   But, in the cutting it, if thou dost shed
   One drop of Christian blood, thy lands and goods
   Are, by the laws of Venice, confiscate
   Unto the state of Venice.

ポーシャのいうことは紛れもない詭弁だ。人肉を切り取ることには、血が流れるという事態も必然的に内包されている。だから論理的に筋が通らないのはポーシャのほうなのだが、観客はポーシャのいうことに一理あるとして喝采したことだろう。

現代の読者なら人肉を切り取ることは重大な公序良俗違反なのだから、そんなことを盛り込んだ契約はそもそもが無効だと思うだろう。しかしそのような考え方は、シェイクスピアの時代には成立していなかっただろう。なにしろ人間の尊厳という思想は、シェイクスピアの時代よりももっとあとに確立された近代的な法概念なのだ。

この裁判の結果シャイロックは、自分がよりどころとしたヴェニスの法にしたがって、財産を没収され、その上キリスト教徒に改宗することまで求められる。つまりユダヤ人として生きていくことさえ放棄させられる。

  シャイロック:俺の命でも何でも取り上げるがいい
   俺の家を成り立たせている財産を取り上げることは
   俺に家を取り上げるのと同じことだ 暮らしの元手を取り上げることは
   俺の命を取り上げるのと同じことだ
  SHYLOCK:Nay, take my life and all; pardon not that:
   You take my house when you do take the prop
   That doth sustain my house; you take my life
   When you do take the means whereby I live.

こうしてみるとこの劇はかなり残酷な要素を盛り込んでいることがわかる。その残酷さとは、シャイロックの主張の残酷さというより、異分子としてのシャイロックを社会の中に取り込んでいくキリスト教道徳の残酷さなのである。


関連サイト: シェイクスピア劇のハイライト





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このページは、が2010年4月 5日 21:00に書いたブログ記事です。

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