豊穣たる熟女たちと花を見る:千鳥が淵から靖国神社へ

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豊穣たる熟女たちと花見をした。今年は桜の開花が例年より早く、三月のうちに満開になると予想されていたので、散ってしまわないうちに是非見に行きましょうよと語らいあって、三月の末日に千鳥が淵へと繰り出した次第だ。

いつもの通り小川町の駅で待ち合わせ、地下鉄に乗って九段下駅に到り、田安門へと通じる坂を上っていくと、濠の土手沿いに植わっている桜の木は五部咲きの花を咲かせている。開花するのは早かったが、その後この季節には珍しく寒い日が続いたので、やや足踏みしているようだ。それでも人の目を楽しませるには不足はない。坂道には花見に集まった人たちが蝟集していた。

土手には桜のほかに菜の花やら小さな野の花が一杯咲いている。T女がその一々について名前を聞く。筆者にはわからないものが多い。薄紫の花が群れて咲いているのをみると、あれは大根の花かしらと訪ねられるが、これも筆者にはよくわからない。

筆者は彼女らを絶景ポイントに案内した。いつか水彩画に描いた場所だ。上の絵がそれだが、今日は絵にあるほど咲き広がってはいなかった。だがボートをこぐ人たちの風情は変らない。

武道館の周りを一周した後、靖国神社へ向かった。途中大山巌の銅像が建っているのを見て、M女が誰かしらと問う、筆者は軍人さんの銅像だよと答える。

靖国神社の鳥居をくぐると大村益次郎の銅像が目に入ってくる。その銅像を見上げながら、三人とも人相の品定めをする。ずいぶん眉毛が長いのね、髪の毛が薄いのにちょんまげがついているのね、といった具合だ。

左手に持っているのはなにかしらとY女が聞く。筆者はとっくりだと思うよと答える。するとみんなはいっせいに笑って、銅像になってまでとっくりを放さないなんて、よほどの酒飲みだったのねという。

筆者は靖国神社の来歴を説明する。この神社は戊辰戦争で死んだ官軍側の兵士たちを祭るために、薩長政府が建てたものなんだよ。その後西南戦争で死んだ官軍側の兵士たちが加えられたが、その中には第二連隊の兵士たちも多く含まれていた。第二連隊は千葉の佐倉にあったが、そこは筆者の育った土地なんだ。それはともかく、この神社の内外に薩長の軍人の銅像が立っているのは、そんなわけがあるからなんだよ、といった具合だ。

折角靖国神社に来たのだからおまいりをしましょうよと、本殿に向かって歩いていく。すると正門の扉が目の前で閉じられてしまった。午後6時になると、この門は閉じられるのだそうだ。

あたりがようよう暗くなる頃、境内の坂を下って再び九段下に到り、とある居酒屋に立ち寄った。結構広い店内はすでに満席に近い状態だ。そうか今日は年度末の日に当たっているから、サラリーマンたちが送別会などをやっているのだな、そんな風に思いながら、四人で座敷の一角に席を占める。

生ビールで乾杯して打ち解けた気分になると、いつものとおり気兼ねのない会話に弾む。筆者が彼女らの職場を去ってまだ一年にもならないのに、ずいぶんといろいろなことがおきているようだ。筆者自身の職場でも、短い間にいろいろなことが起きたから、それはお互い様かもしれない。

こんな具合で今日も楽しい宵を過ごすことができた。





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このページは、が2010年4月 1日 20:30に書いたブログ記事です。

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