曽根崎心中:観音めぐり

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近松門左衛門が「曽根崎心中」の冒頭に観音めぐりの道行を加えたいきさつについては、先稿で簡単に触れた。観音を始めとした霊社・霊寺めぐりの道行は、中世から徳川時代の初期にかけて、民衆の信仰心に訴えるものがあったらしく、能や説経そして古浄瑠璃の中で繰り返し歌われてきたのである。

とくに説教節においては、こうした形式の道行が好んで採用されている。説経の多くは本地垂迹の縁起ものの形式を採用しているように、主人公の苦しみも神仏がこの世に示現してとっている仮の姿に他ならず、やがては再び神仏として甦り、人々に至福を与えるのだという信仰心のようなものを盛り込んでいる。

たとえば「さんせう太夫」は金焼地蔵の縁起を解いたものであり、「をぐり判官」は八幡大菩薩のこの世での仮の姿を現したものだと説いているように、芸能を神仏の縁起にことよせる考えは民衆の中に根強くもたれていた。だから芸能の作者が、そうした民衆の想像力にもたれかかるのは、理由のあることだったのである。

近松が、まず観音めぐりの道行から始めるとき、それを聞いた観客は、これから始まるのが、市井で起こったただのつまらぬ出来事などではなく、観音の縁起にかかわる尊い物語なのであり、そこで運命に翻弄されるひとびとの悲しみは、観音の悲しみそのものなのだと感じたことだろう。またそこに主人公たちの救いの道を用意してやりたい、そんな近松の思いが込められているのだとも解釈できる。

その道行は次のような名調子の文で始まる。

謡「實にや安樂世界より、今此娑婆に示現して、我等が爲の觀世音、仰ぐも高し高き屋に、登りて民の賑ひを、契りおきてし難波津や、
スエテ「三ツづつ十ウと三ツの里、札所々々の靈地靈佛、
ヲクリ「廻れば罪も夏の雲、熱くろしとて駕籠をはや、をりはの乞目三六の、十八九なる顏世花、
フシヲクリ「今咲出しの初花に、傘は着ずとも召さずとも、照日の神も男神、除けて日負はよもあらじ。頼みありける巡禮道、西國三十三所にも向ふと聞ぞ有難き。

冒頭の部分は謡曲「田村」からそっくり借用したものである。謡曲ではこの部分は前半の地謡のなかで歌われ、これに引き続いてシテの名所案内が繰り広げられる。近松もまた、この冒頭部分に続けて、西国33箇所の霊社・霊寺めぐりを展開する。

田村は、徳川時代には謡曲の中で最も人気のあった曲であり、能が武士の式楽であったことを割り引いても、民衆にはなじみあるものだったに違いない。それを知っていて、近松はこの部分を援用したのだろうと推測される。

能では田村丸は実は清水の観音が仮に示現したということになっている。それを引用することは、これから展開する劇の主人公もまた、観音が仮にこの世に示現した姿なのだということを、観客に向かって主張しているとも受け取れる。

道行は次のように、33箇所の霊所をたどっていく。その霊所を行くのは、主人公のお初なのである。近松は劇の冒頭にこのような仕組みを取り入れることで、主人公のお初に花道を用意してやったのだとも受け取れる。

巡礼「一番に天滿の大融寺。此御寺の名も古りし、
フシ「昔の人も氣のとほるの、大臣の君が鹽竃の、浦を都に堀江漕ぐ、汐汲舟の
フシ「跡絶えず、今も弘誓の櫓拍子に、法の玉鉾
ウタ「ゑい/\。大阪巡禮胸に木札の普陀落や、大江の岸に打つ波に、
ハルフシ「白む夜明の、鳥も二番に長福寺。
地「空に眩き久方の、光に映る我影の、あれ/\走れば走る。これ/\又留れば留る。振のよしあし
フシ「見る如く、心も嘸や神佛、照す鏡の神明宮。拜み廻りて法住寺。人の願ひも我如く、誰をか戀の祈りぞと、仇の悋氣や
フシ「法界寺。
地「東は如何に大鏡寺。草の若芽も春過て、遲れ咲なる菜種や罌粟の、露に憔るる夏の蟲。おのが妻戀ひ優しやすしや。彼地へ飛つれ、此地へ飛連れ、彼地やこち風ひた/\/\、羽と羽とを袷の袖、染た模樣を花かとて、肩にとまればおのづから、紋に揚羽の
フシ「超泉寺。さて善道寺栗東寺。天滿の札所殘りなく、其方にめぐる夕立の、雲の羽衣蝉の羽の、薄き手拭暑き日に、貫く汗の玉造。稻荷の宮にまよふとの、闇はことはり御佛も、
スエテ「衆生の爲の親なれば、是ぞ小長谷の興徳寺。四方に眺めの果しなく、西に船路の海深く、
歌「波の淡路に消えずも通ふ、沖の潮風身に染む鴎、汝も無常の烟に咽ぶ。色に焦れて死ふなら、しんぞ此身は成次第。さて實に好いけいでん寺。
ハルフシ「縁に引れて又何時か、此處に高津の遍妙院。菩提の種や上寺町の、長安寺より誓安寺。上りやすな/\、下りやちよこ/\、
ハル「上りつ下りつ谷町筋を、歩みならはず
フシ「行きならはねば、所體くづをれア、恥しの、森で裳裾がはら/\/\、はつと翻るを打掻合せ、ゆるみし帯を引締め/\、しめて絆はれ
フシ「藤の棚。十七番に重願寺。これからいくつ生玉の、本誓寺ぞと伏拜む。珠數に繋がん菩提寺や。はや天王寺に六時堂、
オクリ「七千餘巻の經堂に、經讀む鳥のときぞとて、餘所の待宵きぬ%\も、思はで辛き鐘の聲、こん金堂に講堂や、萬燈院に灯す火は、影も耀く蝋燭の、しん清水にしばしとて、
フシ「軈て休らふ逢坂の、關の清水を汲上つ、手に掬び上げ口嗽ぎ、無明の酒の醉さます、木々の下風ひや/\と、右の袖口左の袖へ、通る烟管に燻る火も、道の慰み熱からず。
オクリ「吹て亂るる薄烟、
フシ「空に消えては是も亦、
フシ「行衞も知らぬ相思草、人忍ぶ草道草に、日も傾きぬ急がんと、又立出る雲の脚。時雨の松の下寺町に、信心深き眞光寺。覺らぬ身さへ大覺寺。さて金臺寺大蓮寺。
ハズミ「廻り/\て
フシ「是ぞはや、
ハルフシ「三十番にみつ寺の、大慈大悲の頼みにて、かくる佛の御手の糸。白髪町とよ黒髪は、戀に亂るる妄執の、夢を覺さんばくらうの、此處も稻荷の神社。佛神水波のしるしとて、甍竝べし新御靈に、拜みおさまるさしもぐさ。草のはす花世にまじり、三十三に御身をかえ、色で導き情で教へ、戀を菩提の橋となし、渡して救ふ觀世音。誓ひは妙に
三重「有難し。

こうして霊所めぐりを終えたお初は、旅先で思いかけず恋人の徳兵衛と出会うのだ。





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