ポル・ポト派虐殺責任者に初判決

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1970年代のカンボジアで起きたポルポト派政府による大量虐殺事件、その犠牲者はカンボジア国民のほぼ四分の一に当たる170万人にのぼった。何故このような悲劇が起こったのか、原因解明と責任追及をめざした特別法廷において、26日、初の判決が出された。

被告はトゥールスレン政治犯収容所の元所長カン・ケ・イウ(上の写真:共同通信提供)。2万人近い被収容者を拷問のうえ虐殺したとして、禁固35年の判決を受けた。裁判の過程で自分の罪を認めるなど、終始協力的な姿勢を示したこともあって、最高刑である終身刑は免れた。

ポト派の虐殺が断罪されるのはこれが始めてだ。事件からすでに30年以上が経過し、その記憶も風化しつつあるなかで、事件の真相解明と責任追及という点では、一歩前進したというべきだが、まだまだ全容の解明には程遠いというのが関係者の一致した認識だ。

カン・ケ・イウのほかにも、国際法廷が拘束しているポト派の最高幹部が四人いるが、こちらのほうは、起訴の日程も定まっていない中で、当事者たちの高齢化が進んでいる状態だ。

なぜかくも、事件解明への動きが遅々として進まないのか、その理由は、ポト派の生き残りがカンボジア社会の各層に存在していることだという。首相のソン・セン自身も、クメール・ルージュ政権時代の地方高官で、やはりポト派の生き残りだ。

そんなこともあって、政府自体がこの問題の処理に消極的な姿勢をとっている。というのもあまり大胆に取り扱うと、国民の間に再び対立と分断が広がり、ひいては内戦に発展しかねないという懸念があるからだ。

20世紀は暴力の世紀ともいわれ、おぞましい殺戮が世界中で起きたが、政府が自国民を対象に大規模な虐殺を行ったケースはそう多くはない。その意味でカンボジアの虐殺は、解明を要する多くの問題を抱えているといえるのだが、それらが解明される見通しは、決して明るくはない。





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