シェイクスピアの造形した女性の中で、オフェリアは独自の位置を占めている。彼女はポーシャやベアトリスなど喜劇に出てくる女性たちのようには逞しくないし、あまり利口でもなさそうだ。だが歴史劇の女性たちのように、自分のこうむった不幸な運命を嘆いているだけでもない。
彼女は恋する女性だ。恋の相手はハムレット。そのハムレットが狂気を装って彼女の愛を拒絶しようとする。だが彼女は自分の恋があきらめられない。彼女とハムレットとは、いったんは恋人の契りをしたはずなのだ。だからもういちど、ハムレットを以前のように自分だけのハムレットにしたい。
ところがハムレットはあくまでも自分の愛を受け入れてくれない。それどころか人生を清算して尼寺へ行けとまでいう。
ハムレット:お前を愛したこともあった
オフェリア:わたしもそのように受け取りました
ハムレット:そう受け取ってはならなかったのだ
どんな美徳を接木しても 古くなった木が実を結ぶわけではない
おれはもうお前を愛してはおらぬ
オフェリア:わたしがひどい思い違いをしていたのですわ
ハムレット:尼寺へ行け
結婚して出来損ないを生んだとて何になろう(第三幕第一場)
HAMLET:I did love you once.
OPHELIA:Indeed, my lord, you made me believe so.
HAMLET:You should not have believed me; for virtue cannot
so inoculate our old stock but we shall relish of
it: I loved you not.
OPHELIA:I was the more deceived.
HAMLET:Get thee to a nunnery: why wouldst thou be a
breeder of sinners?
ハムレットのこの言葉をどう受け取ったらいいのか、オフェリアは悩んだに違いない。というのも、ハムレットは狂気を装いながらこの言葉を発しているからだ。
狂人の言葉は、道化の言葉と同じように、聞くものにとってその意味を一義的に解釈できるものではない。聞くものはいわれた言葉が果たしてどんな真実を含んでいるのかと、言葉の背景や言葉の底に潜んでいるものを暴きだそうとするだろう。オフェリアもまた、ハムレットが発した残忍な言葉を、その残忍さゆえに文字通り受け取ることができなかったに違いないのだ。
だがハムレットは、言葉だけではなく、行動によってもオフェリアに打撃を与える。オフェリアのカケガイのない父親を殺してしまうのだ。
オフェリアはハムレットを愛している。だがハムレットは、残酷な言葉だけではなく、残忍な行為によっても、オフェリアの思いを踏みにじる。
こうしてオフェリアは本物の狂気へと追い詰められていく。ハムレットの狂気が主体的な選択として演じられているのに対して、オフェリアの狂気は強いられた狂気である。
オフェリアの狂気の中には時折真実がもれ出てくるところがある。それが周囲を不安がらせる。
ガートルード:どうしたの オフェリア!
オフェリア(歌う)
あのひとに愛されてるって
どうしたら知ることができるでしょう
あのひとは巡礼姿
手には杖足にはわらじ
ガートルード:いったい何の意味なの
オフェリア:聞いてくださらなきゃだめ(歌う)
あの人は死んだの
あの人は死んだのよ
頭には青草茂り
足元には墓石が立つ
ガートルード:でも オフェリア
オフェリア:お願いだから聞いて(第四幕第五場)
QUEEN GERTRUDE:How now, Ophelia!
OPHELIA [Sings]
How should I your true love know
From another one?
By his cockle hat and staff,
And his sandal shoon.
QUEEN GERTRUDE:Alas, sweet lady, what imports this song?
OPHELIA:Say you? nay, pray you, mark. Sings
He is dead and gone, lady,
He is dead and gone;
At his head a grass-green turf,
At his heels a stone.
QUEEN GERTRUDE:Nay, but, Ophelia,--
OPHELIA:Pray you, mark.
ここでオフェリアが歌っているのは、前段ではハムレットのこと、後段ではそのハムレットと重なった父親のイメージだろう。ハムレットが巡礼姿であるのは、彼が先王の死の真実を求めていることをほのめかしている。
狂気の中から現れるこんなオフェリアの言葉は、クローディアスやガートルードに猜疑心を植えつけたに違いない。オフェリアもハムレットと同じく、監視の対象とせねばならない。
オフェリアは結局、狂乱のなかで水死してしまうが、その様子を劇の中で紹介するのはガートルードである。
ガートルード:小川の堤に柳の木が斜めに生え
その葉陰が水の流れに映っている場所に
あの子が大きな花束を持ってやってくると
キンポウゲやいらくさや雛菊
そして粗野な羊飼いが下卑た名前で呼び
乙女たちが死人の指と呼んでいる紫の花の
大きな束を折れ曲がった枝にかけようとして
よじ登ろうとしたら小枝が折れてしまったのです
あの子は花束もろともまっさかさま
ざわめく流れに落ちると 着ているものを広げながら
人魚のように流れに浮かび
子どもの頃に聞いた歌を歌い続けた
まるで自分の身に迫る危険を知らないように
あるいは水の中こそ自分の世界といったように
でもやがて衣装は水を含んで重くなり
かわいそうなあの子は歌声もきれぎれに
泥の中に沈んだのです(第四幕第七場)
QUEEN GERTRUDE
There is a willow grows aslant a brook,
That shows his hoar leaves in the glassy stream;
There with fantastic garlands did she come
Of crow-flowers, nettles, daisies, and long purples
That liberal shepherds give a grosser name,
But our cold maids do dead men's fingers call them:
There, on the pendent boughs her coronet weeds
Clambering to hang, an envious sliver broke;
When down her weedy trophies and herself
Fell in the weeping brook. Her clothes spread wide;
And, mermaid-like, awhile they bore her up:
Which time she chanted snatches of old tunes;
As one incapable of her own distress,
Or like a creature native and indued
Unto that element: but long it could not be
Till that her garments, heavy with their drink,
Pull'd the poor wretch from her melodious lay
To muddy death.
ガートルードの言葉には、現場を目撃したものにしかわからないことが盛り込まれている。それはオフェリアが監視されていたことをはからずも暴露している。ガートルードは自分自身の目によってか、あるいは手下の目を通じてオフェリアの死の一部始終を知っている、そのように感じさせる部分だ。
ところでオフェリアの水死の場面は、ハムレットという劇の中でも、もっともインスピレーションを掻き立てる部分だ。ラファエル前派の画家たちは好んでこの場面を絵にしたし、アルチュール・ランボーを始めさまざまな詩人がオフェリアの死を歌い上げてきた。
関連サイト: シェイクスピア劇のハイライト
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