ルーマニアにおけるホロコースト

| コメント(0) | トラックバック(0)

101121.romania_graves.jpg

先稿「ウクライナにおけるホロコースト」のなかで、ナチスによるユダヤ人虐殺がウクライナにおいても広範に行われ、殺されたものの数は150万人にものぼったことを紹介した。ホロコーストはウクライナの隣国ルーマニアにおいても大規模に行われたが、ウクライナと異なるところは、ナチスではなく、ルーマニア人自身が迫害者だったことだ。その概要を、TIMEの最新の記事が伝えている。A Mass Grave Raises Ghosts of Romania's Holocaust Past By Rupert Wolfe Murray:TIME

この記事は、1941年に起きたイアシの虐殺を取り上げている。当時牛飼いの少年だったワシーレ・エナチェ Vasile Enache の証言によれば、大勢の人々がヴルトゥールの森を行進させられた後に、10人づつ一緒くたにされて、次々と銃殺された。銃殺したものはルーマニア軍の軍人たち、殺されたものはユダヤ人、その数は14000人、なかには母親や子どもたちも大勢含まれていた。

エナチェ自身もユダヤ人と間違われて危うく殺されそうになったが、自分の身元を証明してくれる人が現れたおかげで、九死に一生を得たということだ。

長い間歴史の闇にうずもれていたこのような陰惨な事件が、改めて問題にされるようになったのは、ルーマニア出身でアウシュヴィッツの生き残りとして知られるエリ・ヴィーゼルを記念する財団の努力によるところが大きい。

ルーマニア人は、戦後の共産党政権の時代からチャウシェスクの時代を通じて、ルーマニアにホロコーストがあったことを、隠し続けてきた。ましてルーマニア人自身がホロコーストの当事者だったことなど、認めようとはしなかった。

だが、歴史的な事実は、完全に葬り去られることなどできない。2004年には、当時のイオン・イリエスク大統領の口から、この痛恨の出来事について、公に認める事態にまで至った。

エリ・ヴィーゼルの回想によれば、ルーマニアにおける反セミティズムは19世紀以来の長い歴史を引きずっていた、ホロコーストはそれが、一種の真空状態の中で爆発したという側面をもっていた。ルーマニア人たちは、歴史の衝動に駆り立てられるようにして、ユダヤ人たちを殺害したというのだ。

1030年の人口統計によれば、ルーマニアに居住していたユダヤ人は759,000人、そのうち280,000人乃至380,000人がホロコーストによって消された。現在ルーマニア国内に住んでいるユダヤ人は、10,000人に満たない。


関連記事:
ウクライナにおけるホロコースト
ソ連の強制収容所





≪ ロシアにおける言論の自由の状態:戦慄すべきカーシン事件 | 世界情勢を読む | ロシアとNATOとの関係改善 ≫

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://blog.hix05.com/cgi/mt/mt-tb.cgi/2693

コメントする



アーカイブ

Powered by Movable Type 4.24-ja

本日
昨日

この記事について

このページは、が2010年11月17日 19:07に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「ロシアにおける言論の自由の状態:戦慄すべきカーシン事件」です。

次のブログ記事は「天の川銀河の中心部にガンマ線の泡」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。