映画「武士の家計簿」を見た。同名の本を読んで、徳川時代後半期の武士の生活ぶりに関心を覚えていたので、映画も見てみようという気になったのだった。果して期待は裏切られなかった。原作の雰囲気をよく伝えているうえ、仲間由紀恵さんはじめ俳優の演技もよかった。
原作を書いた磯田道史氏は、ほんのちょっとしたきっかけで加賀藩御算用者の日記や書簡を入手し、それを読み解くうち、徳川時代末期から明治維新前後にかけての武士の生活ぶりがどういうものだったか、詳細に再現することに成功した。武士の生活の詳細がこういう形で明らかになったことは、徳川時代の庶民生活を知るうえで、非常に貴重な成果だ。
原作は無論学問的な著作であるが、読み物としても面白い配慮がなされている。破産に直面した家計を立て直すため、家財一切を売り払ったうえ、借金の返済に便宜を図ってもらうべく債権者と交渉する場面、息子を御算用者として一人前にするため、算盤で頭を打ってまで愛の教育をする父親の姿、そんな父親としての夫に精魂を込めて尽くす妻、こうした人間臭い出来事が物語のように配置されていた。原資料からは、そうした光景を読み取ることは困難だろうから、そこは著者の工夫によるのだろうと、筆者は思ったりしたものである。
映画は原作の持つこうした物語性を最大限に活用していたといえる。ただひとつ原作にないところは、飢饉に苦しむ百姓たちへのお助け米の配分を巡って起きた汚職事件と、それに抗議する百姓たちの動きを描いた部分だ。
映画では、この場面で果たした主人公の役割を、藩主が評価したが故に、主人公は藩主お取次ぎ役の要職に抜擢されたということになっていた。
映画のクライマックスともいえる場面は、貧乏の余り、息子の袴着の儀式に本物の鯛を出せず、絵に描いた鯛ですませるところだ。(写真はその場面を写したもの)
この絵の鯛が、家族の結びつきを強める役目を果たすこととなる。原作のもととなった家計簿にも記されているところだ。
俳優の演技の中では、中村雅俊さんの父親役もよかったが、やはり仲間さんの演技が素敵だった。仲間さん演じるお駒は、原作では初めから猪山家の嫁となっているが、映画では直之との馴初めから描かれている。
お駒は父親から勧められた縁談ではあったが、婚儀の前に自分でじかに相手と会い、相手の男を気に入ったうえで結婚したということにしている。
実際もそうだったかもしれない。だからこそお駒は、自分の生涯を、夫や夫の家のために捧げることができたのだろう。また幸いに子供にも恵まれ、子供の成長に情熱を注ぐことができた。
こうした彼女の生き方は、孟子の教えを絵に描いたものだったといえる。そういう生き方こそ、当時の日本人の女性にとって、普遍的な美徳だったのだろう。夫や子供の出世を唯一の生きがいとして生きることこそが、人生の意義をかけた喜びでもあったのだ。
もうひとつ、原作では、明治維新を契機に、時代に取り残されて没落した士族と、猪山家の人々のように、新しい時代に適合した人々との運命の分かれ目について面白い考察をしていた。猪山成之が海軍に奉職して時代の波に乗れたのは、新しい時代の経済官僚として必要な知識能力を、金沢藩の御算用者としての経験が与えてくれたからだ、こう著者はいっていた。
映画では、こうした事情についても、ちょっとばかりではあるが、触れていた。いろいろな意味で、配慮が行き届いた映画だった。
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