カダフィの大虐殺(Genocide by Kadhafi):リビアの内戦

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リビアでの民主化運動の動向がかなり異常な様相を呈してきた。カダフィが徹底的に抗戦するする姿勢を崩さず、民主化運動に血の弾圧を加え、力によって粉砕しようと意気込んでいるのだ。2月16日にベンガジなど東部の都市で始まった混乱は、まだ8日しかたっていないのに、すでに800人以上の市民がカダフィによって殺されたとの情報も流れている。(アルアラビーア)

カダフィは21日の未明にテレビ取材に応じ、引退する意思がないことを言明したが、それに続く22日のテレビ演説では、デモに参加する人々を「ごきぶりども」とののしり、徹底的に弾圧する姿勢を表明した。そして「ムアンマル・カダフィはこの国の歴史そのものであり、抵抗、自由、栄光、革命のシンボルであると自画自賛した上で、最後の血の一滴まで戦うと宣言した。

カダフィの宣言に呼応する形で、カダフィ派の部隊が市民運動の波に襲い掛かり、無差別銃撃に加えて空爆まで実施し、おびただしい人々が殺された。弾圧に当たっているのは、主に外人部隊だといわれる。カダフィは外国から殺し屋を招きいれて、国民を虐殺していると、指弾の叫びが国中を駆け巡っている状況だ。

リビアがこんなにも混乱しているのは、リビア特有の事情によるものだと、事情通は見ている。リビアはもともと部族が寄り集まってできている国で、そもそも国民としての一体性に欠けていた。カダフィはそれを利用して徹底した分割支配をしてきた、軍隊でさえ互いに縁のないいくつかの部隊から構成され、統一した軍事力という体裁をとっていなかった。まともな政府も存在せず、秩序だった行政も存在しなかった。

こんな国の中で、ベンガジを中心にした東部地方がいち早くジャスミン革命に目覚めた。彼らの運動は比較的計画的で整然としていたといわれる。今日では政府軍が東部地域から撤退し、反政府運動が東部地域の実権を握るにいたった。

だが首都トリポリの民主化運動は、誰が呼びかけるのでもなく、自然発生的に始まった。整然とした意思が欠けているため、ある意味で烏合の衆に近い。加えてトリポリはカダフィの拠点として、政府側に付くものも多いとあって、反政府運動は袋のねずみになる危険性を常に持っているわけだ。

今のところ、カダフィはあらゆる手段を投じて反政府運動を粉砕しようと必死だ。カダフィ派の義勇軍が大規模なパトロール隊を組織して、反政府運動に加担するものを片っ端からあぶりだして殺している。殺されるほうは、整然とした反撃能力に欠け、無残な死を遂げるものが多い。

カダフィとその仲間がこんなにも権力に固執するのは、権力こそが安全の盾であり、それを失うことは死を意味するということを、知っているからだ。

だがいまや東部地方が全面的に反政府派の手に落ち、油田地帯ではサボタージュが蔓延し、トリポリでは深刻な内戦が進行している。こんな状態では、カダフィの権力基盤はガタガタというべきで、早晩彼は失脚するだろうと、誰もが見ている。

「カダフィは遠からず吊るされるさ」、いまやリビア人の誰もがそう思っている。(上の写真はテレビ演説するカダフィ:AP提供)


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このページは、が2011年2月23日 20:10に書いたブログ記事です。

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