先稿「プラウダが北方領土占領を正当化:居座り強盗の屁理屈」を当ブログにアップロードした直後、友人3名にメールをして、読んでくれと案内した。
この友人たちとは、執筆する前の晩に、銀座のむらきという料理屋で一杯飲んだのだったが、その席上筆者が件のプラウダ論文を話題に取り上げ、その言い分に根拠のないことをのべたて、反論を書くつもりだと、予告していたのだった。すると友人たちは、ロシアの新聞記事に反論するのだったら、ロシア語で反論しなきゃ意味がないよと、筆者を交わすようなことを言ったのだが、とりえずは熱の醒めないうちにと、日本語で文章を書いた次第だった。
彼らは筆者が大学時代にロシア語を勉強し、プラウダなどを取り寄せて読んでいたことを思い出して、こんなことをいったのだろう。だが筆者は大学を卒業した後、ロシア語の勉強をほったらかしにしてきたので、今ではすっかり忘れてしまい、書くことはもとより、読むことさえ出来なくなってしまった。だからロシア語で反論を書くことはこの先も無理かも知れぬ。
ともあれ、友人のひとりから早速反応があった。その友人は、筆者が引用した英語の文章を取り上げ、文法が一部間違っているとか、日本語訳を添付したほうがいいとか、アドバイスしてくれた。
文法については、筆者もおかしいと思うところがあったが、それをわかった上で、原文をコピー&ペーストしただけだ。日本語訳を添えなかったのは、ただ単に手間を省いたというだけで、たいした意味はない。
さて、以上のやりとりはメールで行われた。筆者は先日フェースブックにアカウントを作ったばかりだったので、できればフェースブックでのやりとりを行いたかったのだが、友人たちにはフェースブックをやっているものが、まだ一人もいない。
そこで飲みながらの席で、俺でさえやり始めたんだから、お前たちも始めろよとそそのかしたが、乗ってくるものはいなかった。面倒くさいという以上に、ソーシャルネットワークなるものに、胡散臭さを感じているようだ。
フェースブックの話が空回りしたところで、筆者は話題を旅行のことに切り替えた。
去年生まれて始めてパリに行ったよ、その紀行文をブログに載せておいたけど、読んでくれたかい、と筆者が聞くと、Oは面白かったといってくれた。だがMはつまらなかったという、何故なんだと聞くと、旅行案内のパンフレットみたいで個性に欠けている、君にしてはちょっと手を抜いたってところがありありだと、きついことをいう。でもまあそんな見方もあるのかなと、ちょっと出鼻をくじかれた気持ちになった。
男同士二人で行ったんだけれど、パリの連中は男の二人連れを見ると、頭からゲイ扱いするんで辟易したよ。パリではアラブ系の人間が多かったな、俺たちはどこでもベトナム人に間違えられたよ、筆者は照れ隠しに、こう続けた。
そうだろう、フランスは今やアメリカ並みの他民族社会というからな、サルコジだってレバノンかどこかの出身だろう?
いやレバノンじゃない、ハンガリーからの移民で、母親はたしかユダヤ人だ、いづれにしても、これまでのフランスじゃ考えられなかったことだ。ともかくサルコジは大変な女たらしで、その点でベルルスコーニと相性がいいというじゃないか
ところで俺が一番困ったのは、パリには公衆便所が少なく、あっても高いチップを取り、日本人にとっては便器が使いづらいということだったよ、とにかく小便器の高さがへその辺りまであって、俺は小便をするたびにちんぽこを摘み上げなければならなかった。
こんなことをいうとMが、そうかなあ、僕にはそんな記憶がないけれどなあ、
お前は人並み以上に背が高いから、ちんぽこを持ち上げなくても出来たんだろうよ。
こんな調子で会話が続く。そのうち筆者は、今年はみんなでどこか海外へ旅行しようと提案した。どこがいいんだと聞かれたので、どこでもいいけど二泊で行ける所に行こうよ、たとえば中国、台湾、韓国など、
いや、海外旅行に行くなら、二泊じゃ短かすぎるよ、やはり数泊はしなきゃ、でも俺にはそんな暇はないな、引退して毎日が日曜日の身分にでもならなけりゃ、海外旅行なんて無理だな
こうYが言い張るので、結局今年もいつものとおり、近場へドライブ旅行をしようということで落ち着いた。
料理の味はまずまずだった。酒もうまかった。久しぶりに命の洗濯をした思いだった。
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