韓国経済は表向きには好調だ。2010年度は6.0パーセントほどの成長率を達成したと見られる。それを支えているのは輸出だ。かつての日本と同じような成長パターンを描いているといってよい。
今日の韓国経済の成功は、1997年のアジア通貨危機以降進めてきたグローバル化の成果だとする見方が有力だ。李明博政権は、対EU、対米の自由貿易協定(ETA)を結ぶなど、引き続きこの路線を続けようとしている。
グローバル化は、製品の輸出にとどまらず、資本の輸出と、それに伴う海外経済活動への進出にも現れている。いまや韓国は、中国などの新興市場に、官民総力で進出している。韓国の企業は世界ブランドとして確実に成長し、日本企業を尻目にするような事態も珍しくなくなった。
だがグローバル化は、いいことづくめではない。一方で強烈な副作用を伴う。その最たるものは、農業への壊滅的な打撃だ。それ以上に深刻といえるものが、経済・社会構造の大きな変動と、その結果としての格差社会の到来といった事態だ。
韓国の階層間格差は、日本のそれよりも強烈だ。あらゆるところで競争が生じ、勝ったものがエリートになる一方、負けたものは月給6万円の貧困層に脱落する。日本よりも格差が大きいといえる。
韓国の人びとにとっては、競争に勝つことが人生最大の目標だ。そのことが人々の強迫観念となり、子どもの頃から競争に勝ち抜くことだけを考えて生きるように仕向けられる。競争の圧力に耐えられないものは、舞台から降りなければならない。舞台から降りることには、自分で自分の未来を閉じる行為も含まれる。
韓国の格差社会のあり方は、日本のそれよりはるかに病的だと、いえなくもない。そこには緊急に手当てすべきさまざまな問題が横たわっている。
もっとも大きな問題は、非正規雇用の拡大だ。グローバル化を担う人材は、そんなに多くなくともよい。それにもれた人間は、非正規雇用で安く使えばよい、こんな風潮が、日本以上に露骨になっている。
企業間格差の問題も深刻だ。グローバル化を一線で担うのは、財閥系を中心にした大企業、それ以外の中小企業は、実力も乏しく、人材も集まらない。
韓国の大学進学率はいまや80パーセントを越えるほどだが、卒業生はまず中小企業には入らない。中小企業に入るくらいなら、大学を留年したり、非正規雇用でも大企業と名のつくところで仕事をしたがるからだ。
こういうわけで。韓国の経済・社会システムは大企業を中心にしたグローバル展開と特徴付けることが出来る。だがそのグローバル化の恩恵を受けて稼ぎ出した金はどこへいくのか。
少なくとも、国民一般には還元されてはいない。せいぜい新たな投資の資金として回されるか、あるいはもっと悪いことには、外国の投資家への配当に回されるかだ。
これでは何のためのグローバル化か、わからなくなろうというものだ。
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